「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
大海嘯の日・・・・・・2011.03.11


大体赤く丸した部分がズズズッといったワケっすな。

 平成23年(2011年)3月11日の金曜日、14時46分、という日時は決して忘れられないものになるだろう。千に3つはせんだみつおの芸名の由来だが、北日本の太平洋側、日本海溝に近いあたりを震源に、千年に一度クラスと言われる超巨大地震が起きた。その規模は国内観測史上最大の実にM8.8。世界でも5番目らしい。ひぇぇぇ〜。それも暫定値で、ヘタすると今後まださらに上方修正される可能性があるっちゅうのだから凄まじい。関東大震災のおよそ30倍、阪神の180倍と言われている。南北500km東西200kmのプレート境界がズルズルッと20m以上動いたのだから、そんじょそこらの大地震とはマジでケタが違う。間違いなく未曾有の大震災である・・・・・・って、これ書いてる最中に速報が流れてM9.0だって。きゅうてんれい〜!?・・・・・・フィギュアスケートの得点かよ!?

 しかし、阪神淡路大震災の正式名称が「平成7年兵庫県南部地震」であるように、気象庁は相変わらず箸にも棒にも掛からぬような詰まらない名称をつけるのが得意で、「平成23年東北地方太平洋沖地震」な〜んて小学生でもつけれるような名前になってしまった。

 TVは次々と大津波に襲われた東北沿岸各地の悲惨な状況を伝えている。町が丸ごと無くなっちゃったようなところもいくつかある。南三陸町や大槌町等では人口の半分以上のおよそ1万人がそれぞれ行方不明らしい。そんなけの大人数が一瞬で波にさらわれた。田老の有名な大防潮堤も残念ながらほとんど用をなさなかった。時代は移り変わって文明は発達しても、三陸一帯に伝わる「津波てんでこ」の哀しくも切実な教訓は何も変わっていなかったのだ。
 オマケに近代化や生活水準の向上の弊害で、過去には無かった問題まで起きている。福島の原子力発電所がエラいことになってるのである。ひじょうにコワい。ほれ見たことか的な放言を繰り返す反対派の連中は原始生活に戻ってくれとしか言えない。また、いかにも良識派ぶった原理原則論の質問ばっか浴びせるマスコミ関連の記者も金輪際電気使うな、って思う。おれたちは既に散々、「利便性」っちゅう甘い汁を享受しちゃってるのである。リスクだって引き受けるしかないではないか。輪番制の計画停電だって、まったく止まることを思えば仕方ないぢゃん。

 ・・・・・・実は今回おれが書きたいのはそんな話ではない。

 市井の個人であるおれが体験した、その日のことをある程度克明に記してみようという、まことに極私的でささやかな試みだ。いや、国家的な非常事態の最中にあんましここで俯瞰的なこと大上段に書いてもしゃーないやんか、って気がするのだ。何かそれって妙にエラそうぢゃん!?何か自分にもシックリ馴染まんぢゃん!?それよっか身の回りのことを単純に、時系列に沿って書いた方が絶対いいと思うんだわ。

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 威張る気はさらさらないけど、9日のM7.2(修正後M7.3)の地震と、それ以降の余震の発生頻度、あるいはその前から続く南九州の火山の動き等もあって、何となくおかしいな、って気はしてたのは事実だ。9日当日のブログにもそのように記した。
 でも、地震学者でも予想できないモノが、どぉして多少地震に興味ある程度のおれに予想できよう。結局そんなもん、「太平洋岸一帯はヤバいんちゃう?」くらいのアバウトで微かな疑念に過ぎなかった。

 一方で仕事は日々あるワケで、11日のその日も、いつもどおりの時間におれは家を出、いつもどおりの時間に会社に着いた。そしていつもどおりコーヒーを飲む。やはりいつもどおりスタッフはだんだん出勤してきてやがて始業時間。要は何も予兆らしきものも無い、いつもどおりの何の変哲もない1日の始まりだった。ただ、金曜日っちゅうコトで週末だから、来週の予定その他についていつもより若干長い朝礼を行ったくらいのものだ。
 来週からはかなり忙しくなるのが分かってる。しかし、今日は幸い特段の予定は入っていない。一番鬱陶しいのはいろんな打ち合わせなんだけど、それもありがたいことに今日は一つも無い。まぁ平たく言って流す日だ(笑)。実のところ管理職なんて、目の前の仕事に関しては問題なく回ってりゃ特にすることは無い。これからどんな風に持ってくか?変えてくか?についてのあれこれを部下の報告や意見を聞きながら企画・立案・折衝・調整するだけなのである。

 昼は何食ったんだったけかな?たしか定食だったと思うが、忘れてしまった。あまりにもその後いろんなことが起きた、って言い訳も出来るけど、何も起きなくたって何日も前の昼食なんて想い出せんわな。まぁ、これも概ねいつもどおりの昼メシだった、ってこった。あとは午後の始業まで机でウトウト昼寝するだけ・・・・・・クレイジーキャッツの歌そのものなサラリーマン生活ではある(笑)。

 午後も天気はうららかだった。晴れすぎるくらいの晴れだ。そして「それ」は意外に静かに始まった。

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 実際、関東は普段から地震の多いところで、ましてやオフィスビルの結構高いところにいると、ちょっとした揺れでも敏感に感じることが出来る。今回の地震も最初はそんな感じだった。ゆらゆらした僅かな横揺れ。おれはすぐに後ろを振り返って窓の外を見た。というのも向かいの小さなビルはオンボロで、屋上の避雷針はちょっとした地震でも揺れる。だから、地震計代わりになるのである。まだこの時点では長閑だった。

 ------お〜、ちょっと揺れてない?
 ------あ、ホントだ。
 ------いつもよりちょっと長くないっすか〜?
 ------そういやそうかも。
 ------地震、怖いわよね〜!
 ------え!?
 ------あ!?
 ------うわわわぁ〜!!
 ------大きい!大きい!大きい!
 ------デカいぞ!机の下もぐれ〜!
 ------足許のヘルメット出せ〜!
 ------キャァァァ〜ッ!
 ------バカ!キャビネットんトコから離れろ〜!這ってでも離れろ〜!

 悲鳴や怒号が飛び交う。建物はビシビシバキバキメキメキガタガタ、あらゆる不気味な音を立てて軋み、ワッサッ、ワッサッ、ワッサッ、ワッサッといった感じの奇妙なリズムで大きな横揺れが続く、机の上の書類が次々落ちる。身体全体が揺さぶられ、とても立ってられる状態ではなかった。しかし、揺れのタイプから何となく震源がかなり遠いところであることがすぐさま分かったのと、以前、ビルの責任者がこのビルは古いけれど莫大な費用をかけて筋交いを多数入れて耐震補強を施したぁるから、ちょっとやそっとぢゃ崩れないって豪語してたのも想い出し、おれは一人イスに座ったまま、案外冷静に外の景色を見ていた。件のオンボロビルは蒟蒻のようにグニョングニョン揺れて、両隣のビルに触れそうになっている。屋上に整然と並んでた空調機があっという間にてんでバラバラの方向に動き、それらを繋ぎ合わせた断熱パイプの配管が面白いようにパコパコ外れて行くのも見えた。避雷針は竹竿でも振り回したようにビュンビュン揺れてる。幸い停電は発生しなかった。
 おれは茨城より北方あたりの海溝型の地震だろう、と踏んだ。関東近縁の直下型ならこんな船のような揺れ方しないはずだ。

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 確実に阪神のときよりも揺れの時間は長かった。2〜3分はたっぷり揺れてたのではなかろうか・・・・・・ってーか、本震の直後から余震が頻発し、ビルは大きく揺れるとナカナカ収束しないのもあって、なんだかいつまでもずっとユラユラ揺れてる。そのうち船酔いみたく気分が悪くなってきた。ともあれPCやネットワークにに特に被害はないようなので、ネットを開く。発生から既に5分くらい経ってて速報はもう出てたような気がする。そうして画面に示された数字はおれの予想を遥かに上回る内容だった。これもウロ覚えだけど、最初はまずM7.9と出て、それがすぐにM8.4に上方修正され、その日のうちにはM8.8にさらに上方修正されたように思う。

 固定も携帯も電話はすぐに繋がらなくなったもののメールはちゃんと飛んで、すぐに家族の無事も判明した。家は家具類を突っ張り棒で固定してたのが功を奏し、マンションの高層階としては被害はほとんどなかったようだ。とにかく家族が無事なら何だっていい。

 それにしてもIT社会の凄さを改めて知った思いだった。阪神の時は最初、一体全体どこでどれほどのことが起きてるのかサッパリ分からなかった。停電が復旧するのに2時間ほどかかり、最初に目に飛び込んできたのはペッチャンコになった阪急・伊丹駅の大写しで、激震地となった神戸市内の情報をある程度正確に得たのはもっと後になってからだった。
 それに比べて、今回はかなり地震発生後からすぐに正確な情報が次々に入ってきた。極めて大規模であること、三陸沿岸部を巨大津波が洗うことが確実なこと・・・・・・もちろん、阪神の時は震源近くに住んでたので情報が入りにくかったっちゅうのも大いに影響してるとはいえ、やはり情報化社会はこういうときにはありがたい。アイタタなことに首都圏の交通機関がすべて止まってしまったこともすぐに把握できた。画面は各地の津波の到達予想時刻と高さを伝えている。高いところは最初6mとあったのがすぐに10mに訂正された・・・・・・10m!?ビル3階分の高さやないか。

 1時間くらいしたところでかなり大きな余震があった。女性陣は本震ですっかりパニック状態なので、あちこちから再びキャーキャー悲鳴が上がる。さっきみたいなことにはもう絶対ならんから、っちゅうてなだめて落ち着かせるのにもぉ一苦労(笑)。そんなM8クラスがボンボン来るわけあらへんやんか。マグニチュードがパソコンのビット数みたく2の累乗の対数比になってて、1上がるとだいたい30倍になることなんかを話して聞かせる。時計を見るともう4時半。なんだか異常に時間の経つのが早い。

 それぞれの家までの距離から、近場はまぁ上がらせても大丈夫だろうと判断して帰すことにした。首都圏が直撃されたのならともかく、道はまず大丈夫なんだし、余震もこの程度だから歩いてりゃそのうち家に辿り着ける。むしろ本震なみに巨大な余震、あるいは誘発される近場での直下型等は1昼夜くらい置いてからくらいの方が発生の確率が高かろう。
 15キロ圏内までは徒歩で帰宅可能とおれは考えた。今からすぐに帰れば9時には戻れるはずだ。今日はどんな靴を履いてきたのか全員に訊いてみると、幸いにしてハイヒールは一人もいない。既に道路はクルマで大渋滞で、歩道も家に向かう人で一杯だけど、歩きがつっかえることはそうはないだろう。

 問題はそれを超える距離だ。まぁおれも含め野郎ならどうにでもなるだろうが、やっぱ女性にはいささか厳しい。ならばもうこのビルに立て籠もるしかない。明日になって電車が動く保証はどこにもないけれど、社内にはいろいろ秘密の備蓄があるらしく、このビルにさえおれば取り敢えず食べ物と水はしばらくなんとかなる。寝ることだってどうにでもなる・・・・・・とは申せ、それで彼女等だけを置いて帰るわけにもいかず、成り行きの一蓮托生でおれをはじめとした遠くの男共も帰宅難民になってしまったのだった。

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 余震はひっきりなしに続いているが、最初に比べると随分収まってきている。日が暮れてあたりは暗くなったにもかかわらず、道路の渋滞はますますひどく、完全にクルマの動きはストップしてしまった。だって交差点内でクルマが立ち往生しちゃってんだから、クラクション鳴らそうがどぉしようがどうにもならんわな。そしてその隙間を縫うように普段からは想像もつかないくらいの大量の人が歩いている。
 おれたちはそんな外の大混乱を尻目に炊き出しのカレーライスを食った。量も味も頼りなかったけど美味かった。こぉゆう時の基本だよな、レトルトカレーは。

 ネットやテレビで情報収集しながら気付くと深更。こんなに早く時間が過ぎたことってこれまでで初めてかもしれない。余震は相変わらず続いており、オネーチャン達はとても寝てられん様子。それでもちょっとでも横になって体力を温存しとかないと、明日がもっとキツくなるのは明白だ。入れるだけはソファーのある応接室等に押し込まれた。あとは必殺「プチプチ」だ。仕事柄、プチプチは大小が相当量ある。床に大粒プチプチを敷いた上にさらに小粒プチプチを敷いて、配給の毛布やらブランケットやらで簡易ベッドが一丁アガリ。キャンプのエアマットよりよっぽど暖かくて寝心地エエやんか(笑)。

 おれもそんな風にして横になると、知らん間に寝込んでしまった。寝てる間もずっと余震は続いていた。床の硬さよりも、プチプチの保温性があまりに良くて暑いために寝苦しかった。

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 目が覚めてしばらくすると朝食の用意ができたという。至れり尽くせりやんけ。何だか良く分からないペミカンみたいなスープ状のものと乾パンだったが、山食のことを思えばずいぶん美味い。どっか他所の部署のオッサンでこんなモン喉通らんとか贅沢ヌかしてるバカもいたが、無視してたらふく食ってやった。
 することもなくゴロゴロしてるとそのうち、順次電車が復旧し始めたって情報が入り、みんなゾロゾロ帰り始める。あちこちのビルからも人が吐き出されている。ぶっちゃけ、これだけの大地震でも一晩かよ、って気になった。
 しばらくすると、今度はメールで電車がとんでもない状況になってるとの報せが入り始める。そらそうやわな。都内の各地のオフィスで一夜を過ごした連中が一斉に駅に押しかけ、一方の電車といえばノロノロの間引き運転なら、結果は火を見るより明らか、ってモンだろう。それでも何だかんだで昼くらいにはもう誰もオフィスからはいなくなってしまった。

 おれは、っちゅうと、運がいいのか悪いのか、一人残って一日様子を見るよう命ぜられてしまった。仕方なく夕方まで眠い目をこすりながら事務所でぽつねんとしていたのだが、そのお陰で殺人的なラッシュにもみくちゃにされることもなく、異様にガラガラの電車で帰路に着くことができたのだった・・・・・・。

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 それからの毎日はもぉ混乱の連続だ。ガソリンは払底し、スーパーからは商品が無くなり、電車は停電の影響で間引かれてスシ詰めで、アーもスーも無い日替わり停電に振り回されてすべての企業活動は生産性がガタ落ちになっている。それでも会社には行かねばならんし、どうしてもやらんならん仕事もある。いまだ見付からない肉親を探しながら避難所暮らしを余儀なくされる被災地の人々の苦しみを思えば・・・・・・などといくら綺麗事を並べても、やはりひどく疲れるモンは疲れる、としか言いようが無い。

 今回の震災の復興までは大変な長丁場の道のりになるだろう。国も地域も、そしておれの生活も。ま、おれ自身は今までそうして来たように、精神論でムダに頑張らず、合理性と効率性を第一にボチボチやってくしかないのかな?と、いささか醒めた目線で今は思ってる。

2011.03.19

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