「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
銀天街を行く・・・・・・続・地方の終焉


まだそんな遅い時間でもないのにヒッソリと静まり返る鳴門銀天街。

 「銀天街」というのは元々は九州の方で造られたアーケードの商店街に付けられた愛称らしい。ひょっとしたら屋根の塩ビ板がキラキラしてたことからの連想でそんな名前になったのかも知れない。東京の銀座が元になって各地の商店街に「**銀座」なんて名前が付けられたのと同様、「銀天街」の名を冠した商店街が特に西日本中心にかなりある。何となく、字面からも音からも古風な響きが感じられる

 「シャッター街」などと商店街の凋落が報じられるようになって久しい。日本のどこに行っても旧市街、あるいは駅前の商店街は郊外型の巨大スーパーマーケットに完全に客を奪われてしまっている。開いてる店を探すのに苦労したり、道行く客より野良猫の数の方が多い商店街が本当に存在するのである。
 それを批判するのは簡単だけども、クルマ社会が進展して、道路が狭隘で駐車場の確保ができていない商店街が敬遠されたことに加え、安売り攻勢や、最後にまとめて支払える簡便さ等々・・・・・・冷静に考えれば郷愁やら懐かしさ以外、昔ながらの小売店の集まりがスーパーに勝てる要素は実際、見つからない。それに商店街の方にしたって畢竟ただの商店の集合体に過ぎず、百家争鳴・議論百出・侃々諤々・侃々諤々行き着くところは小田原評定、ってな感じで、衰えて行く町に対して意思統一が遅れ、まとまった形での有効な施策を何一つ速やかに打ち出せなかった。現に、年間300万人の観光客が訪れる一大観光地に成長した境港の「水木しげるロード」にしたって最初、商店街の経営者は計画に軒並み反対したと言われる。今はみんな手の平反して大絶賛らしいが、ゲンキンなもんだ。げに救い難きは庶民なのである。
 また、経営者の高齢化・後継者難だけでなく、シャッター閉めたままにしとくのがなぜか一番ソフトランディング、っちゅう理解に苦しむ税制も、商店街の衰退に大きく拍車を掛けた感がある(最近、日本の文化の本当の破壊者は国税庁、および厚生労働省ではないかとおれは睨んでいる)。

 先日、おれは2つの銀天街を歩いた。大きな橋が3つも架かったことで人口流出に歯止めがかからず。ついに人口400万を割り込んだ四国でのことだ。

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 JR松山駅が他県から来たお客さんを迎える表玄関であるとするならば、松山市駅にはどこか勝手口のような親しみやすい印象がある。地元の人は半ば親しみをこめて「市駅」と呼ぶ。ここからは伊予鉄道の鉄道線が3本、チンチン電車の軌道線が1本出て、さらには市内や近郊だけでなく最近流行の長距離夜行バスのターミナルともなっており、JRの方よりよほど栄えている。

 商店街に元気がないように最近は地方都市にも元気が無いが、この松山はそんな中、かなりの活況を呈している方ではないかと思った。経済の中心としてだけでなく行政機関や教育機関、医療機関なんかが今でも集中していることに加え、日本を代表する古湯の一つである道後温泉や松山城、あるいはお遍路の札所のお寺といった観光資源が数多くあることが幸いしたのだろうと思う。今は「坂の上の雲」で盛り上げようとしてるみたいで、街の到る所にモックンの映った大きなポスターが貼られてある。相変わらず坊ちゃんとマドンナは使える定番キャラみたいでこれもあちこちで見かける。

 それにしても松山の人はみんな心が広くていい人ばかりなのかもしれない。夏目漱石は小説「坊ちゃん」の中でこう書いている。赤シャツと野太鼓をフルボッコにして松山を去るシーンだ。

 ------その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。

 ナンボ小説の中とはいえメッチャ嫌ってるやんけ!(笑)。そもそも着任の時点から相当松山が気に食わなかったみたいで、やれ野蛮だの田舎者だのなんだのと散々にコキ下ろしてるのである。挙句の果てに「不浄な地」である。そこまで暴言を吐いた主人公を観光のキャラにしてんだから、松山のあまりの矜持の無さと無節操ぶりはむしろ賞賛されるべきだろう。

 さて、そんな松山の、市駅の駅前ロータリー東側で大きく口を開けているのが「松山銀天街」である。アーケードの通りは500mほど東進したところで北に折れ、大きな道路を挟んで今度は「大街道」という松山で一番の目抜き通りのアーケードに繋がっている。まぁ、つまり中心から離れてるので少し地味ではあるものの、冒頭に述べたシャッター街の雰囲気では少なくともない。どだい通りだって広いし、照明も明るい。夕方の下校時刻近かったせいもあって若者がけっこう歩いていおり、また、そんな若者向きな店も目立つ。
 もちろん、テナント募集中の張り紙の出たシャッターを閉ざした店も、これまで見てきたゴーストタウンのように衝撃的な商店街よりは少ないとはいえ、やはりある。それに昔ながらの店は閑古鳥が鳴いてるのも事実だ。歯抜けのような更地になって駐輪場となったスペースもある。しかし、全体の雰囲気として、街はまだチャンと生きているような気がした。

 ただし、ここはあくまで繁華街であって夕餉のおかずを買いに来るようなところでないのも事実だ。だからこそ生き残っている。それは先に繋がる大街道も同じで、所謂「商店街」とはいささか異なっている。大阪の心斎橋、戎橋のアーケードみたいなもんである。

 それでも、地方都市に繁華街がチャンと残ること自体さえも厳しくなってきてる時代に、まずまずこれだけの規模で賑わいを見せる通りが存在していることは喜んでよいことなのだろう。

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 四国と本州を繋ぐ大きな3本の橋・・・・・・正しくは本四連絡橋のうち、神戸・鳴門ルートが出来たことで絶望的なまでに衰退したと言われるのが徳島の商店街である。元々の商店街が駅前に新たに出来た大型商業ビルにやられて息絶え絶えになってたところに、橋の完成によって新興のその駅前繁華街もろとも神戸・大阪に集客されてしまったのだ。
 ただ徳島県には行ったものの、その状況をおれは実見していない。だいたい徳島市に銀天街を名乗る商店街はない。おれが歩いた銀天街は隣町の鳴門市である。

 鳴門も随分うら寂れた印象の町だった。大塚製薬の城下町にしてワカメや鯛、うずしお等で有名なわりに活気がない。まず何より駅に活気がない。1時間に1本くらい短いディーゼルが単線の頼りない線路をトロトロ走ってるだけだ。恐らくはうずしおの海をイメージしたのか白と水色に塗られてるのも何だか寒々しい。思えばワカメや鯛なんて、今時どこでもフツーに入手できるし、うずしおだって昔のように高い料金払って遊覧船で近付いて行かずとも、高速のパーキングエリアからお手軽に見ることが出来る。わざわざこの街に旅人が降り立つ必要は喪われてしまってるのだ。
 道行く人の姿も少なく、かといってそれほどクルマが走ってるワケでもない。なのに民家は沢山ある。みんなどうしてるんだろ?家の中で体育座りでもしてジッと息を潜めてるんだろうか?って気になってくる。

 線路を横切る道の西一帯が古くからの商店街のようで、車道を挟んでそれぞれの歩道に屋根がつけられている。距離にして300mほどだろうか。
 呆れるほど人通りは少ない。時間はまだ6時にもなっていないので、そんなに遅い時間ではない。しかし、大半の店はシャッターを閉ざしている。昼間もチャンと開いてる店は一体どれだけあるんだろ?と思う。よくある絶望的なまでのシャッター街だ。やはりここでも末期症状を呈する商店街の特徴で、補聴器だの健康器具だのといったモノを扱う店が妙に目立つ。
 そしてここもまた銀天街なのだった。照明の下に行灯状になって「鳴門銀天街」と記されてる。どうやらアーケード無しでも銀天街は成り立つようだ。

 並んだ蛍光灯が煌々と無人の通りに銀色の冷たい光を放っている。銀天街の名称が何とも皮肉に思えた。

 その夜、おれは飲み屋に繰り出した。市の中心部なのに店は少なく、ちょっと雰囲気良さそうなトコを探すのにけっこうウロウロした。海が近いだけあって魚は呆れるほど美味い。そんなに狭くない店だが、いくら平日とはいえお客の入りはあまり良くない。少々手持ち無沙汰な大将は、ヒマの言い訳なのか愚痴なのか、世間話ついでに鳴門の景気を話してくれた。

 ------それでなくても景気悪いところに高速が繋がってからもう全然ダメです。
 ------飲み屋への影響も大きいんですか?
 ------出張のお客さんが来なくなりましたね・・・・・・。
 ------出張!?
 ------はい、クルマで大阪とかからお越しになられるようなお客さんは前は明石からフェリー乗るしかなかったですから。
      淡路に高速できるまでは徳島までフェリーで3時間半でした。
 ------あ〜、だからこっちまで来ると泊まりになっちゃうんですね。
 ------そうなんですよ。泊まればやはり飲みに出られるでしょ?それで何千円か使う。
 ------まぁ、今日の私もそうですわな。
 ------それが今は仕事終わったら,そのままクルマ乗って高速で大阪に戻っちゃうんです。
 ------ああ・・・・・・ま、働く方としては泊まって羽根伸ばしたいんでしょうけど。
 ------宴会とか飲み会もですね、今は警察厳しいですから、運転代行とか頼んでると結構高くつく。若い人は昔ほど呑まないですし。
 ------そらそうですね。
 ------だから、ちょっとした旅行がてら神戸まで高速バスで行っちゃうんですよ。買い物の後に飲み会なんて人がいるんです。
      インターはこっから離れてるんですけど、ちょっと行ったところに高速バスの乗り場に繋がるエレベータがあるんですよ。
 ------そぉいやそこの商店街も寂れてました。
 ------ああ、もう全然です。賑やかになるんは阿波踊りの時だけです。出てった人も祭りの時だけ、みんな田舎に帰ってくるんです。
      それでも、駅の横のキョーエイとかは駐車場もあって大きいんで結構流行ってますけどね。

 ここ鳴門でも橋の影響は大きかったのだ。

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 2つの銀天街を歩いておれは思った。それは至極当たり前の事実である。「需要が供給を決める」ってことだ。経済原則はその一点に尽きる。そりゃ逆に供給が頑張って需要を喚起することはあるし、今の高度な消費の多くがそれによって成り立っているのも否めないけれど、やはり根本のところでまずは需要ありき、である。需要のある松山銀天街は若干地味目とはいえそれでもまずまず命脈を保ち、鳴門銀天街がボロボロなのもつまりはそぉゆうことだ。

 ではその需要を裏付けるものは何か?基本的には人口だろう。現に松山は50万都市であり、四国の中で唯一、僅かとはいえ人口が増えてる町だ。一方の鳴門はたった6万に過ぎない。ところがこの鳴門の人口、良く調べてみると1970年あたりからあまり変わってなかったりする。そこでもう一つの、飲み屋の大将も言ってた交通インフラっちゅうのが出てくる。交通がベンリになって華やかなものが近付けば、誰だってそっちに向かうに決まってる。やってきた人はすぐに去る。しかしよくよく考えると、その交通インフラ自体、地方からの需要によって出来たものなのだ。

 商店街の衰退も、地方の衰退も、特定の誰かが悪意を持って行ったことではない。おれたちが招いた事態である。敢えて言うなら、需要と言う名の欲望が膨らみ続けた果ての報い、とでも表現すべきなのだろう。

2011.02.06

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