「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
あっりえなぁ〜い!・・・・・・否定形間投詞に見る現代


これも「あっりえなぁ〜い!」って!?・・・・・・目の前にあるよ!(いわき「中華のんき」ののっけ丼ミニ)

 ・・・・・・なぁ〜んて、妙に堅苦しい副題を付けてしもたがな。

 ともあれ、若者の言葉の乱れ、なんてーのが問題視されるようになって久しい。新聞やNHKなんて機関は今でも正しい日本語に拘ることに躍起になったりもしてる。

 しかし、誤用ってことに対しておれは余り目くじら立てる気が無い。だから、彼らに与する気はない。いわば、「全然OK」だ。ハハ、おれが中学くらいまでは「全然」っちゅうのは絶対その後ろに否定の「〜ない」を伴って使われなくてはならない、となってたんだな、これが。「全然嫌い」は×で「全然好きではない」が○、とかね。「全然駄目」もだから本当のところは間違いなんだ、とか教わった記憶がある。それが僅か30年ほどですっかり様変わりしてしまった。

 30年ちょっとでこうなんだから、長い時間のスパンで見ると、言葉の遣われ方にはそもそも正解も間違いもないのだ。実のところ、若者の言葉の乱れに眉を顰めてるのはジジィババァだけであって、その背景には案外、自分たちが時代から取り残されていくことへの不安だとか嫉妬だとか、年取って頑固で融通が利かなくなって来たとか、そんなんがあるだけなんぢゃねぇのか!?っておれは睨んでる。でもって、新聞やNHKを支えてるのは専らこれらジジババであるからして、ほれ、彼らも商売っちゅうのがありますやん、それでこれらメディアは阿諛追従してるのかな?なんて最近は思えて来た・・・・・・って、民放の女子アナはもちょっと勉強した方がいいかも(笑)。

 しかし、言葉を発するにはその背後に人格や思想がある。いささか大袈裟だからもちょっと平たくゆうと、まぁ、その人なりの考えっちゅうか、思考回路とか価値観みたいなモンがあるはずで、そこだけは安易に看過しては行けないんぢゃないかと思ってる。
 今日はそんなコトについて、気になるいくつかの否定形間投詞から考えてみた。ちょっとだけマジメな話だ。どうして間投詞なのか?っちゅうと、それは思わず発してしまう言葉であるからして演技するのがむつかしい。だからその人のかなりボトムの部分が見えてしまうように思えるからだ。

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 人ってーのは自分の範疇を超えるもの、平静でいられなくなるものに出会うと、大概はある種の拒否反応を起こす。

 「いやっ!」とか「いやぁ〜ん!」っちゅうのがまさにそれだ。しかし、「嫌」ゆうくらいなんやからイヤなんかい!?と思ってたら、面白いことに、とても美味しいものを目の前にしたり、食った時なんかもこの言葉は発せられる。セックスの時、愛撫に感じまくってるくせに「いやぁ〜ん!」なんてのもあるな(笑)。
 こうしていささかロクでもない実際の使用例から考えてくと、人は快にせよ不快にせよ何らかの刺激に際し、心が騒いで平静を喪い、混乱することに対してまずは恐れ、怯えてしまうようだ。それはどこか動物的な防衛本能なのかも知れない。つまり、「嫌」は対象物ではなく、感動したり興奮したりして自分が平静を保てなくなることに対して発せられてるのである。いや〜、有名な「嫌よ嫌よも好きのうち」ってーのは実に含蓄のある格言だわ・・・・・・ん!?この会話の初めに置かれる「いや〜」ってのは何なんだろ?(笑)

 似たような言葉では「だめぇ〜!」なんちゅうのもある。これも同じく拒絶を表す言葉で、上よりはかなりトーンが強く、また何かの行為に対するリアクションとして用いられることが多いと思う。ちなみに「いやぁ〜ん、だめぇ〜!」はあっても「だめぇ〜、いやぁ〜ん!」って順番はあまり一般的ではない、ってーかかなり当人が混乱してないと出ない。
 そぉいやエロマンガの世界に「らめぇ〜!」ってな表現法があることを最近知った。呂律の回ってない状態で「だめぇ〜!」のことらしい。何だか中島らもが書いてたみたいに、ラリッて「おられるららい〜(お酒ください〜)」ちゅうてんのと一緒だな、こりゃ。

 ともあれ、今取り上げた2つは、まずもって男が使うことはない。だから女言葉で書いたのだ。「そんなことはない。男のボキャブラリーにだって『イヤ!』『ダメ!』があるぢゃないか」、ってご指摘があるかもしれないが、決してこれらを男が間投詞として単独で合いの手のように使うことはないと思う。また、それを踏まえて「だから女には論理性がないのだ」といった意見があることも知ってるけど、むしろ上に述べた通りで、論理性の欠如っちゅうよりは、防衛本能の強弱の違いによるものではないのかな?とおれは考える。

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 ちょっと変わって「うっそぉ〜!」ってーのもある。

 急速に広まったのは80年代以降、ジョシコーセー言葉として一気に広まった気がする。基本的には大小の差こそあれ驚くようなことが起きた時(まぁ、9割方は些細なビックリではある、笑)に発せられるので、「いやぁ〜ん」とか「だめぇ〜」と一緒に使われることも多いが、こちらは男でも使用する例がけっこうある。言い方は「ウソッ!?」とか「ウソやろ!?」とかだから少々異なるが、ほぼ同じシチュエーションで同じように発せられる。
 この言葉にしたって「いやぁ〜ん!」とか「だめぇ〜!」と同様、全く論理的ではないのだけど、それらに較べると自己の経験則や価値観に基づいた判断がより色濃く反映されているように思う。つまり個人やら自我が強調されている印象がある。それと、現実に目の前で起きてることなんだからどだいウソもヘチマもないんだけど、それを認めたくないから目や耳を塞ごう、ってな感じもどことなく感じられる。

 似たようなのでは「信じらんなぁ〜い!」っちゅうのもあって、これはさらに個人や自我が前面に出てきている。「うっそぉ〜!」とセットになって出てくることも多く、用例としては「え〜っ!うっそぉ〜!信じらんなぁ〜い!」ってな風だ。

 ぶっちゃけ言わせてもらうと、おれはこの「信じらんなぁ〜い!」っちゅう言葉が大嫌いだ。なんぼオマエが信じられんっちゅうたかて、現実に目の前にあるやんか。オマエの貧弱な経験則や狭い価値観ぢゃ信じられんのは当然かも知れんが、それはオマエが愚かなだけやろーが!!了見が狭いにもほどがある。それでいちいちピーピー抜かすな!ダボッ!・・・・・ってな気持ちになってしまうのをどうしても禁じ得ないのだ。

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 この流れで近年登場し、急速に広まってきたのが「あっりえなぁ〜い!」である。ふぅ、ようやっとやっとタイトルに辿り着いた。

 これについては男が使ってるケースもしばしば見る。「ありえねー!」っちゅうのがそれ。「あっりっえっねぇ〜っ!」ってな具合にスタッカートでリズミカルに言うのがどうやらコツのようだ(笑)。また最近はいろんなタイトルに使われることが増えてきた「ありえない大きさの**」あるいは動画なんかで「**がありえない件について」ってな風に。

 何となく元はお笑いの世界から広まって行ったような気もするし、「ありえないくらいの」のから「くらいの」がいつの間にか省かれて「ありえない」だけになったような気もするが、ま、それはともかく、原義的にいやぁ「在り得ない」ってんだから、要は「論理的に考えて、存在する可能性がない」っちゅうコトだろう。これはここまで取り上げてきた言葉たちと根本的に異なっている。異なってるのは論理性の強さではない。論理に基づくって形式を取ることで、ここまでの言葉にはなかった客観性が大きく強調されてるのである(実際には無いんだけどね)。私だけの意見ちゃうよ、これは誰がどう見たってそぉゆう風に思うに決まってるよ、みたいな。

 整理すると否定形間投詞はインフルエンザのウィルスみたく、年々進化して強力になって来てるのだ。「本能的な叫び」から「個人の感覚」、そして紛い物にせよ「客観的な主張」ってな風に。

 おれはこの「あっりえなぁ〜い!」が嫌いっちゅうよりも、どこかおっかなく思える。一銭五輪の価値もないただの主観的な感覚を、巧妙に客観的で権威を持った意見にすり替えるいやらしさを感じてしまうからだ。いっくら「ありえない」ゆうたかて、あるモンはあるのは動かしがたい事実なのに、そこにこの「あっりえなぁ〜い!」を持ち出すことで、そのあるモンの存在を圧殺しようとするような意図を何となく感じてしまうのである。
 それが証拠に発展型で「ありえねぇんだよっ!」ってな恫喝パターンな言い方までがすぐに登場してきた。やはりこの「あっりえなぁ〜い!」には単なる否定や拒絶だけにとどまらない他者への攻撃性が内包されていることが良く分かる。

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 ・・・・・・クドクド書いた。お断りしておくと、女言葉を遡上に載せたからといって、別に女性蔑視どうこう、って意図はない。大体において男はやはり間投詞の語彙が乏しくて、こっちの方が用例が豊富なのと、響きが面白かっただけだ・・・・・・でだ。

 「いやぁ〜ん!」も「だめぇ〜!」も「うっそぉ〜!」も「信じらんなぁ〜い!」も「あっりえなぁ〜い!」も、考えずにみんな使ってんだからどぉでもいいやんかという人もいるだろう。オマエちょっと気にしすぎやぞ、と。

 なるほど、おれは少々神経質になりすぎなのかも知れない。

 しかし、言葉の背後にはその人の人格や思想がある一方で、忘れちゃならないことがある。同時に言葉がその人の人格や思想を規定し形成してくって事実だ。そぉゆう言葉を使ってると、そぉゆう人になる、あるいは「歌は世につれ、世は歌につれ」くらいのベタな意味で理解していただいて一向にかまわない。つまり、言葉と人はインタラクティヴに影響を及ぼし合う関係にあるってことだ。
 そのことを考えると、やはりどうにも引っ掛かるのである。自我の肥大と裏腹の他者への攻撃性がだんだんと増して来てる現代っちゅうのは、案外、無反省かつ思慮なしにそのような言葉が広まってるからこそそうなって来てるんぢゃないのか?と。

 ・・・・・・え!?そんなの「あっりえなぁ〜い!」ってか!?(笑)

2010.11.15

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