「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
(笑)考

(^_^.)

(^・^)

(笑)を表す顔文字の例
 何ちゅうタイトルやねん(笑)。
 ホンマおれはアホちゃうやろか(笑)。

 ・・・・・・ってな感じで今ではやたら頻用される(笑)である。おれもバンバン使ってるのは言うまでもない。最早完全に(笑)は市民権を得ていて、より強い笑いを表す(爆)なんてーのもあれば(泣)とか(怒)、恐縮をあらわす(汗)、はては(滝汗)までヴァリエーションは広がってる始末だ。

 昔はインタビュー記事や対談集なんかで使われてるのをチョロチョロ見かける程度だった。しかし、さほど知的レベルの高くない読者たるおれからしてみれば、その(笑)の置かれたポイントが大して可笑しくもないところだったりすると、どうにも度しがたい知識人の高踏と驕慢がその(笑)の中にイヤな形で凝縮されてるように思えて、思わず鼻白んでしまうのだった。
 いやホント、何がおもろいねん!?コラ!とか悪態を本に向かって吐いてしまうほどに、実はおれは(笑)という表記が嫌いだったのだ。(笑)なんて敢えて書かなくても、本当に面白いことなら読者の方だって面白い筈で、余計なお世話だと思っていた。

 それがこの有様である体たらくである。パソ通に端を発する我が国のネットの普及は恐ろしいことに、僅か20年足らずで書き言葉に対するおれの意識もアッサリ変革してしまった・・・・・・って、偉そうにしつつおれの性格が付和雷同の右顧左眄でミーハーなだけ、ってことか(泣)←あ、使っちゃった!。

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 他の()つき感情表現記号まで市を広げるとややこしくなって終わらなくなるんで、(笑)についてのみもう少し書くことにする。

 そもそも(笑)は現在どんな文脈で使われるんだ?

 一つには本当にそのとき笑ったから(笑)と書く本来的な用法である。ただこれはもう今では少数派だ。どだい、巷間氾濫する三文サイトやブログで対談やインタビューが載せられているケースなんて滅多にない。考えられる例としては会話シーンくらいだが、どなたさんもこなたさんもコミュニケーション能力の低下が著しいのか、或いは忠実に会話をなぞるのが面倒なのか、案外見かけない。
 二つ目は、おれはここで面白いこと言ってんだよ、ホレホレ、笑うポイントだよ、ってな(笑)である。いささか押し付けがましかったりして鬱陶しい。おれはこれを勝手に「『どや!?』の(笑)」と名付けている。見分ける方法は(笑)の代わりに「どや!?」とか「ですかね?」なんてのを入れてみてスンナリ読めれば、それは「『どや!?』の(笑)」である。やたらこのタイプの(笑)を使いたがる人がいるが、おそらく実生活に於いてもこぉゆうカテゴリーの人は、何か面白いことを言ったらウケを確認するかの如く必ず相手の目を覗き込んだり、無闇にエネルギッシュでオイリーで暑苦しい赤ら顔だったりするような気がするのだがどうだろう?
 三つ目はの2番目の全く逆で表現に自信がない時に用いられるケース。言うなれば「お願いだからここで笑ってくださいよぉ〜」みたいなトーンで女々しく、鬱陶しいっちゅう点では実は2と変わりない。
 四つ目は如何にも日本人的な謙遜、あるいは自嘲・自虐の文脈で使われる(笑)だ。ちょっと情けない、漫才ではボケに相当するような笑いである。(笑)の代わりに「トホホ」とか「んくく」とか入れてスーッと文意が頭に入ってきたらその(笑)は3番目だ。ちなみに冒頭の一文目は「2」の用例、二文目は「3」の用例のつもりで書いたのだけど・・・・・・トホホ。
 最後、五つ目はかなり刺々しい。他人を嘲ったり罵ったりする(笑)である。一昔前まで2ちゃん等に出てきた「プゲラ」や「草生やす」とも言われる「wwwwwww」なんかは大体この四つ目の意味合いで使われている。「笑う」のではなく「嗤う」のである。闘争的なようで実はフラワーなおれはこの意味での(笑)を殆ど使わないようにしてる。使ってたらごめんなさい。

 ともあれこうして自分なりに(笑)の使われ方を分類してみると、無各性の陰に隠れて暗い感情の炸裂する掲示板はともかく、「4」続いて「3」あたりの用例が世の中最も多い気がする。意外にみんな慎み深く、そして自分に自信がないのだ。

 実はもう一つの(笑)がある。掲示板のスパム投稿なんかでよく見かける(笑)だ。「ギャハハwww、ただ横になってるだけで収入3桁(笑)、おいしすぎてヤメられねぇぜwwwww」・・・・・・みたいな文面のヤツ。見つけたらただもう消してアク禁設定するしかない。これは「騒がしくも浅ましく、ひたすら頭の悪い(笑)」とでも呼ぶしかないし、これを論じてもどうにもならないと思う。

 世の中はけっこう寂しい(笑)に満ちてると言える。

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 思い起こせば小学生の頃、文章に「!」や「?」、「’」「”」なんてーのも使っちゃダメ、と教わった。なぜならそれは英文表記に使われるべきものであり、だから使うのは「、」と「。」、そしてたった今も使った「」と『』、それらだけで日本語の文章は書きなさい、と。また、縦書きで「0123456789」の算用数字を用いるのも御法度。12,345円ならちゃんと一万二千三百四十五円と書きなさいとも教わったのも覚えている。勿論「¥」記号なんてのも文章記号でないからNG。そぉいや片仮名も外来語以外には使っちゃいけないもの、と教え込まれたなぁ〜。あの頃はまだ素直だった。

 できるだけ話すように書くことを心掛けてきた。話しぶりには自ずとその人の人柄が表れるという。今更矯正のしようもないおれの騒がしくも露悪的な性格からすると、上につらつら列挙した各種の、日本語の文書に用いるには反則の記号群はアクの強い文章には好適過ぎるくらいに好適だった。横書きであることもこれまた都合が良かった。縦書きではアルファベットやアラビア数字を入れ込むのが大変だもん。
 そんな中、これだけはどうしても馴染めなくて嫌いだった(笑)も、書く行為が紙からPC、そしてネットの世界への移行の流れの中で感覚が麻痺して行った。で、使いまくった(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)。

 そして倦んだ。いや、そのシロップにテンコ盛りに味の素を振り掛けたような諄さにちょっと自家中毒を起こしたような気分になり、辟易した。また、コテコテのラーメンのことはあれほど貶すクセに自分の文章がコテコテなのは棚上げかよ?・・・・・・といった、柄にもない良心の呵責のようなものさえ僅かとはいえ感じた。平たく言えば嫌になったのだ。

 おれがぐにゃぐにゃと大学ノートに駄文を綴り始めた頃、そのようなコッテリした文章は極めて少数派だったし、誰かに読ませたところで顰蹙を買いこそすれ、到底世の中で一般的に受け入れられるものでもなかった。ところが今では状況は逆転してしまっているのである。無駄にへそ曲がりなおれとしては在所不明の反感を抱いてしまうほどに。

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 30年来の習い性になってしまったクセを取ることができるかどうかは分からないけれど、おれは今、ヴィジュアル的には地味で平明な文章に強い憧れを抱いている。色付けた字も、アンダーラインも、ボールドもイタリックもない文章、それが一番美しいように思えてきたのだ。

2009.12.31

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