「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ネタに詰まれば夢日記!?


この頃はもうヘロヘロ。

 これまで最低限、自分に戒めてきたことがある。

 それは絶対にこのサイトのネタとして夢日記を書かないことだ。夢なんて主観の塊なので、よほど面白い内容、かつ優れた文章に仕立てなくては他の人が読むに堪えない。ダルなだけで、「そんなん知るかぁっ!ボケ!」になってしまう。

 ・・・・・・って、実は避けてきた一番の理由はそんなことではない。貧弱な文章力を臆面もなくさらすことは既に散々やらかしちゃってるワケだし、今さら躊躇するなんて、年増の娼婦の羞恥のように醜いだけである。
 ぶっちゃけ怖かったのである。昨夜の夢と向き合い、忘れかけてる脈絡がありそでなさそなストーリーを無理やり思い出して書き留めることは、精神衛生上ひじょうによろしくない。端的に言えば人を狂わせる。そのことをおれは本で学ぶ以前から体験的に知っていた。

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 眠り込んでる人間を叩き起こすと、しばしば「譫妄」という状態に陥ると言われる。具体的には意識混濁・幻覚・不安といったものらしい。まぁ、夜中に地震とかで急に起こされると、しばらくの間混乱してワケが分からなかったりするが、あれが極端にひどくなったような感じだろう。叩き起こすだけでそれである。どうやら眠りの最中に垣間見る識意識下の世界を無理やり白日の下に引っ張り出す行為は、とても危険なことなのだろう。人間の脳や心のメカニズムにはまだまだ分からないことが多い。

 そうそう、真偽のほどは分からないが、寝言に付き合って会話するのも良くないと言われる。そもそも寝言と会話ができるのか?といぶかしむ向きもおいでだろうが、結論から言うと可能だ。中学の時に行った林間学校の夜、おれたち悪童は眠りこけてる数名に対し試みたところ、大抵のヤツは目を覚ましたが一人だけ成功したのである。成功した相手は起きてる時でもちょっとボーッとしたタイプのヤツだった。
 かなりの長時間にわたって話したのだが、「おでぃ〜ん」とか何とか、昼間はついぞ聞いたことのない不思議な相槌を打ちながら、そいつは何だかとてもシュールなことをいろいろ話していた。もしその時に催眠術のように何かを仕込んだらすごいことになったかも知れないが、そこはさすが浅はかな中学生で「誰が好きなんや?」とか他愛もないコトばっかだった。今から思えばもったいない、もとい、おっかないことをしたもんだ(笑)。

 つげ義春は夢を元に傑作「ねじ式」をものしたが、その後、恐らくは高まる名声と寡作のギャップでネタに苦しむ中で、夢を元にした作品を次々と出し(そのものズバリの「夢日記」や「夢の散歩」なんてーのもある)・・・・・・そしてどんどん崩壊して行った。ねこぢるも見た夢をノートに書き溜め、それを基にした作品を数多く発表したが、最後は若くして自裁の道を歩むこととなった。ま、もっとも、彼女の場合はそれまで手を出してたと思しき各種ドラッグのフラッシュバック等も影響してるかも知れないが。
 文豪・夏目漱石にしたって「夢十夜」っちゅう今読んでもかなりシュールな短編集を著している。そんな彼が終生・神経衰弱に悩まされていたのは有名な話だ。

 夢を自ら記録することは、絶対に精神を病ませる。

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 今はハッキリそう思うのだが、高校くらいまでは見た夢について書き留めることが多かった。当時は蟻の這ったような神経質で細密な字で、ギッシリと大学ノートに日々、くさぐさのことを書き散らしていたのだ。我ながら驚くが、ボールペンを用いてである。一気呵成に書くので書き損じはほとんどなかった。もちろんそんな芸当、裏紙に思い付きを書き殴って部下にあれこれ指示する現在は逆立ちしたってムリだ。あの頃、おれはかなりおかしかった。

 アタマの中からドワ〜ッと出てくるものをまったく制御できないような状態だった、っちゃあカッコいいが、まぁ、若かったから様々な鬱屈した感情がタマりにタマってたんだと思う。若気の至りの一形態、っちゅうこっちゃね。そんなんだから当然見る夢もロクでもないものだ。
 それを学校済んで家に帰ってから書き始める。朝起きた時点でもすでに忘れかけてるのを記憶の底から引っ張り上げるようにして書いていくのだが、不思議なことに何度かやってるうちに慣れてくるっちゅうか、どんどんお筆先状態になってくる。奇天烈なストーリーが澱みなく詳細にノート上に再現されて行くのだ。何か通常の意識の回路とは別のところで脳と手が直結したような感覚と言えばご理解いただけるだろうか?

 こうなるともう書きに書きまくれる。ワハハ、こりゃぁ〜すげぇや!と喜んで、かなりの長きに亘ってこの作業を続けていた。そうしたらその内自分がヤバい状態になって来てることに気付いた。夢の中での意識とか知覚が現実世界に滑り込んでくる、っちゅうか、侵犯してくる、っちゅうか、そんな感じになって来たのだ。それでなくてもかなりおかしかったのが、さらにおかしくなってきたワケですわ(笑)。

 次のような実験をみなさんはご存じだろうか?どこで読んだかは忘れたが、被験者に上下左右が反転して見えるメガネを四六時中装着してもらって、何日間か生活してもらうのだ。
 当然、見る景色や事物が全て左右逆で倒立して見えるから、むっちゃくちゃに不便である。最初はクルマに酔ったように気分が悪くなったりもするらしい。それでも我慢して1日・2日と経った時、突如視界に異様なことが起きる。全てがさかしまな風景の中で特定のモノだけが正しく本来の正立した姿で見えるのである。最初はごくいくつか、それがだんだんと増えてくる。ものすごくサイケでアシッドな体験らしい。何を言いたいか、っちゅうとことほど左様に人間の知覚なんて脆いものなのだ。

 それと似たようなことが起きた。おれの見る夢はたいていモノクロで粒子の荒れた写真のようなのだが、電車に乗ってて風景が突如そんな風に見えた時はギョッとした。見えた、っちゅうのは必ずしも正確な言い方でないかも知れない。厳密に言うと、通常の色付きの世界に、夢の中のようなモノクロの世界が二重写しになって見えたのである。
 ヘンなことはまだ続く。群衆がみんな同じ人に見えたり、福助みたいに大きなアタマの子供がいたり・・・・・・それらがそのまんま見えればおれは狂ってるのだろうが、そうでない本来の風景も見えるし、そんなのが見えるのはおかしいと感じる自分が一方にいる。
 これって、いわば「起きてる自分」と「寝てる自分」に知覚が乖離したようなものだ。

 どうやらおれは知らないうちに危険な実験を自らに行っていたのだった。怖くなったおれはすぐに夢日記を止めた。その後もたまにあまりに面白かったものは書くことがあったが、それは記憶が鮮明に残ってる場合だけにして、無理に引っ張り上げるようなことは努めて避けるようにした。さらに面白がって続けてたらどうなってたんだろう?

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 実は奇蹟なんて誰にでもどこにでも起きる、とおれは思ってる。ちょっとした日々の鍛錬の積み重ねで、人は見えるはずのないモノを見たり、聞こえるはずのないモノを聞いたりするコトができる。それが実生活に役立つかどうかはともかくとして。
 必死でズーッと処理フローを考えてると、突然絵のように最適解が見えたり、くらいのことは今だってたまにある。そんなもん至高体験でもなければ神の御業でもなんでもない。ただもうある種の「帰結」なのだ・・・・・・まぁ、周囲には「神サンが降りてきた」とか言って煙に巻いてるけど(笑)。これも思えば精神衛生上は宜しくないことのように思える。あまり脳にムリさせちゃいけない。
 人間は脳の20%も使っておらず、それはもったいない。残りの80%を活用するには!?・・・・・・な〜んてバカな話があるけど、止しといた方がいい。使えてないのではない。メモリやHDDに必要な余裕みたいなもんで、おそらくは「敢えて使っていない」のだ。そして夢で見る領域はその80%に属しているのだろう。

 だから、今はもうおれは夢日記を書かないし、たとえどんなにネタに詰まったってやろうとは思わない。

 しかし最近、逆の活用法があることに思い至った。
 いささかお手軽さや即効性に欠けるものの、昨今の取り締まりが厳しくなる一方のドラッグの代替手段として、案外これは使えるのではないか?ってコトだ。何せブツを必要としないから、証拠もヘチマもない、っちゅうかそもそも薬物犯罪として成立しない。どれくらいトベるかはどれだけの期間ドップリやったかに左右されるが、まぁ半年も丹念に続ければ大丈夫だろう・・・・・・ただし、ギンズバーグかバロウズの言葉にあったようにあらゆるトリップ体験は結局、決して自分のイマジネーションの枠を超えるものではないけれど。

 あ、勧めてるワケぢゃないっすよ。それに、戻って来れんようになっても知らんし(笑)。

2009.08.08

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