「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
玩具のような汽車に乗って


話に取り上げた北丹鉄道ってこんなんだったみたい。ヨレヨレっすな。

http://homepage3.nifty.com/ha2002/より
 新潟県が整備新幹線建設費用の地方負担分の増額を断ったんだそうな。これに追随する動きは他の県でも起きているらしい。いやもう赤飯炊きたくなるほどにとても喜ばしいことである。だって、どう考えたってこれ以上のバカみたいな金掛けて新幹線なんて要らないんだもん。ホンネでは既にできちゃってる路線でも、個人的には東北新幹線も仙台以北は無くしちゃっていいと思ってる。山形・秋田も要らない。上越もぶっちゃけ不要だな。だって、早朝は席が埋まらんもんだから割引きしたり、1万円1日乗り放題なんてやってるくらいなんだから、どしたって必要なものとは思えない。
 そこにさらに北陸だ九州だ、ってアホちゃうか?何のために、誰のためにそこまで巨額の投資が必要なのだ?整備新幹線だから安くつきます、っちゅうたかて、それはあくまで新線を完全にこしらえるのと比較した上での相対的なことであって、やはりものすごいモノ入りなのである。

 一方で東京駅始発のブルートレインがついに全廃されるらしい。飛行機や新幹線が発達する中、利便性で取り残されたのだ、とノスタルジーまじりにニュースは報じているが、おれは決してそうではないと思ってる。なぜなら、時間的には同じように掛かる夜行バスは今や大人気で、どんどん増発されている現状があるからだ。夜行列車がダメになった理由は、要するに値段が高すぎたからだ。B寝台でも5〜6千円もする。キャンプのコット並みに狭いベッドの権利が、である。風呂もない。風呂はもちろん、セミダブル・朝食付でもっと安いビジネスホテルがいくらでも「じゃらん」とかで見つかるのに、こんなサーヴィス内容ぢゃぁ実家が駅前とかあるいは余程の物好きでもない限り、とても乗る気にはなれんわ。
 JRにしたって、客車の償却を待って随分以前から無くすつもりでいたのではないだろうか。その気になればフェリーの3等船室みたいな雑魚寝方式(現にいくつかの夜行には採用されてる)でもっと安くすることだってできたハズだ。でも、そんなことより「選択と集中」とやらで新幹線に客を流す方がより効率的に儲かるから、敢えて取り組まなかっただけだ。

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 「より速く、より大量に」は運輸の永遠の命題である。今に始まったことではない。

 昭和の初め、東京〜大阪間の所要時間で特急「つばめ」は初めて9時間の壁を破り、8時間半とした。これは当時にしてはムチャクチャに画期的なことだったので、超特急と呼ばれていた。「ひかり」がその名の嚆矢ではなかったのだ。機関車の付け替えとか給水方法とか、工夫に工夫を重ねてこの時間を実現したのである。それが今は2時間半、およそ4分の1だ。それだけでなく乗るのに特別の気構えも何も要らない。15分間隔で次から次にのぞみは東京駅を出発してるのだから。
 ちなみに戦前、つばめだけでは飽き足らず、東京〜下関を4時間台で結ぶ特急までが計画されていた。その名も「弾丸列車計画」。そのまま列車ごとフェリーに乗っけて中国大陸に渡って北京まで行っちゃおう、っちゅうんだから実にガイな話ではあった。戦争の激化で全ては夢と消えたのだけど、ともあれこれが戦後の新幹線計画に繋がってる。

 如何に速く移動するかについての追求には、実はもっとバカバカしいエピソードがある。詳しくは忘れたが、トンネルの中をロケット、っちゅうか大砲のように飛ばしてしまおうなんてアイデアが実験されたこともある。文字通りの弾丸列車やね(笑)。こんな頭でっかちでバカなこと大真面目に考えるのてっきりナチスかと思ったら正真正銘日本の話。乗客をカメか何かにして実物の数十分の1の模型が作られて実験もされた・・・・・・結果はどうだったか?
 結論から行くとこれは失敗だった。いやいや、たしかにチャンと移動することはしたのだ。けれども余りに猛烈な急加速と急減速のGに生物の身体が耐えられなかったのである。これではお話にならない。
 もし、これが実現していたら東京〜大阪間は10分ちょっとで行けるようになってたらしい。ま、大阪着く前にソッコーであの世に着いてるだろうけどね(笑)。

 どこの国かは忘れたが、途中での停車駅での停車時間がもったいないからと考えだされた機構もある。ホームが長〜いベルトコンベアになってて大きなフックが付いてる。列車がそこに当たるとコンベアが動き始めて列車は止まらずとも乗り降りできる、っちゅう寸法だ。
 考えた人は「初速」とか「加速」・・・・・・もっと言えば「物理」をまったくご存じなかったのだろう。列車がドガーンと当たってコンベアが動き始めたら、もちろんホーム上の人間は乗り降りするどころか、立ってることさえできない。こちらの方はたしか実用実験にも至らなかったんぢゃなかったのかな。

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 無駄話が長くなったが、そろそろ本題だ。

 根本的な疑問がある。そもそも「人ははそんなに速く移動したいのか?」そして「速いことはそんなにベンリなのか?」ってコトだ。おれは今やこのテーゼに対して否定的なほどに深い懐疑を抱いている。何事も程度モンだ。端的に言ってもう十分なくらい移動は速くなり、世界は狭くなった。どこかでおれ達は分水嶺を越え、そしてもはや速さに倦み、疲れている。
 かつて、「大きいことはいいことだ」だった。また、「豪華なことはいいことだ」だった。今、これらに諸手を挙げて賛成する者は今はむしろ少数派だろう。現代の驚異的な経済発展と挫折の中で、少しはおれ達は学ぶことを覚え、いささかなりとも「足ること」を知ったのだ。ところが、なぜか未だに「速いことはいいことだ」っちゅう価値観だけは、特段の疑問を抱かれることもなく罷り通ってる。
 そりゃぁ、「スローライフ」だとか「スローフード」だとか「スローセックス」なんて言われ始めてはいるけれど、スローだのファーストだのゆうたら、やはり運輸/交通でしょ?その部分でスローが称揚されることは決してない。でも、だ。

 まぁ、旅行とか生き方の話はこの際置いといて、仕事の話をしてみよう。

 交通網が発達して出張なんてものは随分ラクになったと言われる。おれが小さい頃、父親が出張に行く、っちゅうとそれはその日は帰ってこないことを意味した。鳥取や石川あたりでもだいたい前泊で行ってた記憶があるから、要は2日の出張だったのだ。たしかに仕事で出かけるのなら、チャッチャと行って用事済ませたらチャッチャと帰ってくる方がいいに決まってる・・・・・・と思ってしまうけれど、でもその分、出張に行かせられる頻度が増えては元の黙阿弥どころか却ってしんどい。
 知り合いがボヤいていた。彼の勤める会社は出張が頻繁にあるのだが、どんなに遠方でも絶対に日帰り出張しか認められないのである。もちろん、宿泊費と移動の時間がもったいないからだ。だから沖縄日帰りの翌日に札幌日帰り、なんてエラい目に彼は1年中遭っている。移動中でも使える小さなモバイルPCや携帯のモデムカード等は会社から支給されており、マッタリする時間など元々ちょっとも与えられていないにもかかわらず、である。疲労困憊の彼はまさにしみじみと「飛行機なんてなかったら良かったのに、っていつも思いますよ〜」と語っていた。

 これまた知り合いの営業マンの勤める会社では、昨今の不況の影響もあって地方の支社が閉鎖されてしまった。地方勤務を解かれ大都会の東京に戻って喜んだのも束の間、もっと過酷な運命が彼を待ち受けていた。大量の商品サンプルと共にビジネスホテルを転々としながら、元の県どころかその隣県までレンタカーで得意先回りをやらされるのである。一昔前ならそれは到底無理なことだったが、何たる不幸か、近年になって辺鄙なその地方にも高速道路網が整備されてしまい、そのような離れ業もできるようになってしまったのだ。家に戻るのは月に2回の宙ぶらりんの生活。
 単身赴任でそれなりにアパートでもあてがわれてた時の方が数段マシだった、高速道路がホント恨めしい・・・・・・とは彼の弁だ。

 喩え話でも冗談でもなく、どっちも実話である。彼等は移動の速さ、便利さに圧殺されかかっているのだ。ジェット機で世界を飛び回るビジネスマン、ってなのに憧れる上昇志向なお方が今なおいることも事実だろうが、実態はエグゼクティヴなんかではさらさらなく、シートはクソ狭いエコノミー、泊まる場所はビジネスホテルっちゅう名のがらんどうで味気ない木賃宿、メシは寂しくコンビニ弁当と缶ビール、そんでもって飛び回る忙しさだけはエグゼクティヴと一緒、っちゅうケースが大半なのを忘れてはいけない。

 生憎、どこがスピードとその利便性の分水嶺だったのかを軽々に論じれるほどの材料をおれは持ち合わせていない。しかし、超えたような気だけはしているし、その認識はおれ個人だけのものではなく、ある程度普遍性があるのではないかっちゅう気もしている。

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 ここからは多分に懐古的で感傷的な話だ。

 おれが鉄道好きであることはこれまでも折につけ触れてるけど、現代の大量・高速輸送の鉄道にはまったく興味がない。実のところブルートレインについても今春の廃止に特段の感慨はない。昔からどうだっていい、と思ってた。
 おれが愛するのは今はもう殆ど喪われた、零細でノロノロ走る鉄道だ。すなわちローカル線であったり、路面電車、地方私鉄、軽便・簡易鉄道、森林・鉱山のトロッコの類である。それらのモノクロ写真を見ると心が和む。ちなみに廃線跡マニアではまったくない。そんなもん見たくもないし、見て古に思いを馳せたくもない。

 さて、これらが次々に淘汰されて行ったのは60年代、それも多くは前半に集中している。だから、感覚的にはこの辺りが分水嶺だったのかな、っちゅう気がしてる。俄かに信じられないことだけど、この頃はまだ明治初期に作られた汽車や客車が現役で残ってたりしたのである。一方で東海道新幹線の開通が64年だから、何かを狙ってでもいたかのようにそれはシンボリックな出来事ではあった。

 当時、国鉄ローカル線での普通列車の平均時速は25km前後だった。準急や急行で35km前後。今の感覚からするとムチャクチャ遅い。現在ならロードバイクでも同じくらいのスピードで走れるがな(笑)。しかしこれでもさすが官営鉄道、速い方で、地方の私鉄等の整備が十分でないところとかになると平均時速で15km前後なんてーのがいくらでもあった。例えば、日本一路盤が悪いと言われた北丹鉄道は僅か12.4kmを45分も掛けて走っていた。実に時速17km弱。これって、マラソンブームの今の御時勢、ちょっとジョギング趣味にしてる人なら勝てる速さである。おまけに乗り換えなんてしようもんなら何分どころか、ヘタするとい1時間くらいはヘーキで待たなくてはならない。だから当時はどこかに出かける、って行為にはたいへんな辛抱強さが求められたのである。

 しかし、だからこそ地方都市は栄え、地元百貨店に客が溢れ返ることもでき、それなりに雇用もあったのだ。そして豊かではなかったけどノンビリもしていた。そんな貧弱な交通インフラだったからこそ、何日も寝ないで運転した揚句、大事故起こすような長距離トラック運転手もいなかったし、小さな駅にも駅員がいて、貨物の積み替えをやる人足のオッサンがいて、駅前にはあまり流行ってはないものの食堂やら商人旅籠があった・・・・・・まぁ、極論だけど。
 おまえ、それなら戦後の集団就職はなんだったんだ?と突っ込まれそうだが、おれは地方の貧しさに起因する部分はそりゃ〜一方に大きくあったにせよ、他方には、日本特有の家督継承の長男への集中もひじょうに大きく影響してたのではないかと思っている。惣領は竈の灰まで貰える、長男以外は家を出るモンだ、っちゅうアレ。
 四の五の理屈を並べるよりも統計的な人口動静を見ればわかる。3大都市圏およびその周辺区域を除いた、所謂「地方人口」はこの半世紀、ほぼ一貫して漸減しているのである。逆に言えば、昔はそこでもっと沢山の人が暮らしてたのだ。そして暮らす以上は霞食って生きるワケには行かない・・・・・・ってことは何がしかの食い扶持はあったのだ。

 速いことは本当にベンリなことなのか?

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 玩具のような汽車に乗っておれは向かいたい。
 過去へ、
 そこそこの不便へ、
 ゆっくりと。

2009.02.21

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