「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
土一升、金一升


「ヨッ!」って、有名なポーズ

 「100年に一度の恐慌」がやって来たんだそうである。

 自動車・電機関連の大どころは昨年の秋の終わり以降軒並み、年初予測とは裏腹の巨額の赤字決算になりそうな発表してるし、すでにその前からだけど、建設・不動産関連では毎日のように倒産が相次いでいる。マスコミ・メディア系なんかも広告料収入が減って苦しくなってるし、他の業種も概して良くない。おれ自身は元々拘束時間の長さからすれば大した給料を貰ってる程でもないので、今一実感に乏しいが、世間的にはまさに「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく」っちゅう、しょうもない格言通りの事態が進行中である。

 ここまで事態が大きくなってしまうと総花的に不況についてあれこれ触れてもちっともまとまらないんで、ちょっと今回は建設・不動産関連に絞ってウダウダ並べてみようと思う。

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 ・・・・・・って、実のところ建設・不動産業界については冒頭のとおり、今回の金融危機でおかしくなったのではない。そのはるか前、バブル崩壊のとき以来の超低空飛行状態が続いてて、株価10円とか最早笑うしかないような経営状態のところがいくらでもあったのである。道路やハコモノといった公共事業に税金を投入する従来型行政が行き詰まり、一方で都市部を中心に新築マンションや一戸建てが供給過剰になって、1千万単位で値引きしてもサッパリ売れないのだから仕方ない。そこにさらにこの不況の波が襲って来た、っちゅうのがまぁ単純な図式だろう。

 個人的な話で申し訳ないが、おれの家の近所でも、自分ちを含めてこの何年かで急に物凄い数でマンションが建てられた。そして、10年ちょっと前に東京に越してきた頃は5千万とかしてたのが、地価の下落もあって、より広い間取りのが半値くらいで売られるようになっていた。手が届きやすくなったためにそれなりに最初の頃は好調だった気がする。それでおれも購入したんだから。
 それに気を良くしたのか、最近になればなるほどだんだん「総戸数」っちゅうのが増えてきて、大型物件だらけになっていた。そんなんだから埋まりにくくなる。「完売御礼」なんちゅうてるけど、最後まで売れなかった分はどこかの会社に法人契約を持ちかけたり自分の会社で寮代わりに使ったりして、上げ底、っちゅうかかなり無理してる。個人で買ってはみたもののどうにもならなくて、すぐに売りに出される物件も多いみたいで、数ヶ月前に「完売御礼」したはずの建て売りの一戸建てやマンションがしょっちゅう新聞のチラシに載っている。

 需要と供給、と言われるけど、明らかにボコボコ建てられる数が多過ぎるのだ。それで売れんようになるんは当たり前や、っちゅうねん。
別に建設・不動産業者が次々にツブれて行くことをいい気味だとか心地良いとまで言う気はまったくないけれど、あまり同情する気にもなれない。これは不景気なんかではなく、当然の帰結、単なる自然淘汰なんぢゃないのかって思う。

 そもそも今まで土地に関わる業者が多過ぎたのである。狭い国土に大小合わせて一体いくつの会社がひしめいているのか。それらが寄ってたかってBOSSのコマーシャルのコピーよろしく、山を削り、海を埋め立て、トンネルを掘り、橋を架け、そして恐るべき大量の家やらマンションを建てて来た。何かに取り憑かれたかのように無節操に、それが復興と発展と近代化の証と言わんばかりに、戦後一貫して。

 「土一升、金一升」っちゅう俗言がある。タイトルにもした。それだけ日本では土地の値段が高いことの喩えであると同時に、日本人の「土地の値段は上がり続けるものだ」、っちゅう地価信仰を表している。実は何の根拠もないのに。そぉいえばこんな話がある。80年代末のバブル華やかりし頃、「日本一高い米」っちゅうのがあった。もちろん天日干しの魚沼産コシヒカリではない。大阪は江坂のオフィスビル群の間に唯一残った田圃で作られる米だ。当時、坪2千万とか言われてた記憶があるからそら高い。おれはそれでも土地を売らなかったお百姓をえらいと思う・・・・・・ってまぁ、やってたのは爺さんだったから、家族はずっとしたたかで、老い先短いジーチャンの楽しみを奪って自分たちに不利な遺言書かれても困るし、それにもっと待てば値段はさらに上がるだろうと踏んでただけなのかも知れない(笑)。今でもあるのかな?あそこ。

 ともあれ日本人の「土一升、金一升」の心性に付け込むようにしてバブルは起きたワケだけど、思えばこれまでの建設・不動産業界の隆盛自体、この言葉の上に乗っかった砂上の楼閣だった。

 たしかに終戦直後、国土全体は荒廃し、鉄道中心の交通インフラのために道路事情は極端に悪かった。よぉもこんな状態で戦争しよったな〜、と連合軍は呆れたと言われる。加えて都市部には果てしない焦土が広がっている。だから、ゲルニカの歌詞にあった通り「築こう明日を焼け跡に、都市計画で夢の街」ってな感じで、建設・不動産業界は湧きに湧いた。ちょうど今日発生して14年目を迎えた阪神大震災の後に建設・不動産業界が空前の好景気に沸いたのが、全国規模で展開されたのである。おまけにこの業界、参入の敷居がムチャクチャ低い。端的に言って誰でも始められる。そりゃぁ設計とかは簡単ではないけれど、実際に作るのはかなりの部分が人足仕事だから、下請けとしていくらでも食いこむことは可能なのだ。需要はいくらでもあった。面白いように儲かったことだと思う。

 もちろん、何事によらず繁栄はいつまでも続くもんではない。

 おそらくピーク・・・・・・いや、爛熟期は70年代初頭、だみ声の傑物・田中角栄の唱えた「日本列島改造論」辺りであったのではあるまいか。政治家の本にありがちな「絵空事ばかり並んだ」パターンで、今はスッカリ忘れ去られた本だけど、当時は大ベストセラーになったものだ。余談だが、彼と同郷のマンガ家・魔夜峰央は作品の中で登場人物に「何のかんので偉大な人だったよね〜」と言わせてる。それくらい新潟では立志伝中の人なのである。まぁたしかにスケールだけはデカかったと言っても構わないだろう。何せ国土全体をマクロに捉えて再開発しちゃおう、っちゅうんだから、主張の内容はともかく、その大風呂敷ぶりだけはけっこうおれも好きだ。
 しかし、彼の唱えたスキームは結局は失敗だった。交通網の整備は、一時的に薄く広い所得をもたらしはしたものの、それ以上に利権を生み、土地の値段を吊り上げただけでなく、地方からの一層の人口流出と都市部への集中、都市と地方のさらなる格差を生んだだけだった・・・・・・このことについてはこれまでも何度か書いてるので、ここではこれ以上は書かない。

 改めて今の地平から「日本列島改造論」以降も含めて眺めてみると、直後にはオイルショックに伴う不況やインフレ(そぉいやぁ〜、うちのオカンもトイレットペーパー買いだめしてたっけ、笑)が到来し、それまでの高度成長発展期は重大な曲がり角を迎えている。人々の意識も変わり始め、発展オンリーな流れへの反省や、今で言うところのエコみたいな動きが顕在化し始めるのも70年代半ばからだ。
 ひょっとしたら老獪な田中角栄自身は、自身のバックボーンでもある建設・不動産業が早晩これまでどおりに行かなくなる時代が来ることも見越した上で、一か八かの大勝負に打って出たのがあの本だったのかも知れない。

 リテールな住宅関連については上の動きよりは遅れているものの(当たり前だわな、人口移動があって、それがさらに購買層に育たねばならんのだから)、おおむね2〜30年後・・・・・・すなわちバブルの頃がピークだった。当時は6ヶ月ごとに家の相場が500万円づつ上がって行った、などと言われる。とてつもなく辺鄙な場所が当たり前のように造成され、売り出された。新聞記事になったので覚えてるが、大阪では比較的安価な府の分譲地の競争倍率が宝くじもたまげる1千数百倍に跳ね上がったりもした。
 その結果はどうか?論より証拠、グンタマチバラキや京阪神の郊外に行ってみるがいい。私鉄駅からバスに乗り換えてさらに20分とか不便極まりないところでも、似たような形でほとんど見分けのつかない没個性な建て売りが延々と続く風景を各所で見ることができる。それがおれには何だか死屍累々の光景に思える。

 近年の従来より都心に近いところ、あるいは都内でのマンション建設・不動産ラッシュなんて、結局それらが反省の時期を迎えた中での残り火のようなムーヴメントに過ぎない。だが、歌手のリバイバルが決して最初と同じだけの人気を博し得ないように、決してあの時の熱狂が再来することはないに違いない。だいたい、家なんて家電製品みたく買い替え需要がポンポンあるもんぢゃなし、それでなくとも少子高齢化は進みまくり、若年層の無気力・怠惰と経済的窮乏はいよいよ厳しく、そして景気はそれこそ「100年に一度の恐慌」なのだから。

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 結論を言おう。

 建設・不動産業界は決していつかは出口のある「不況」なんかではない。今際の際を迎えているのだ。絶対そうだとおれは思う。

2009.01.17

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