「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
薄暮の「紙」


へぇ〜!360円やってんね〜!!

 日本版「PLAYBOY」が終刊となったそうだ。

 今でも覚えてるが、その創刊は70年代の半ばくらい、おれが小学校の終わりか中学校の初めくらいだった。とにかく大々的に宣伝されていた。いずれにせよ70年代半ばと言えば、まだ「アメリカ文化」が幾許かの神通力を保ちえていた時代であり、「PLAYBOY」はヒュー・ヘフナーのサクセスストーリーも含めてそれを代表する存在だった。とにかくムチャクチャに売れまくって新聞記事にもなった気がする。そぉいや堅物の父親も噂にアテられてか買って来た。
 どうにもブロンドでホルスタインみたいな乳したプレイメイトのピンナップばかりが取り沙汰されるし、ガキのおれもドキドキしながらそのページを盗み見したりもしたのだけれど、今となって思えば実のところそれはあくまで付録みたいなモンで、全体的な内容としては硬軟さまざま玉石混交な、まさに「総合男性誌」と呼ぶしかないようなものだった気がする。

 それが最近は僅か6万分足らずにまで売上は低迷していたらしい。ハッキリした数字は分からないけれど、本家アメリカ版にも昔日の勢いはもうないと言われる。
 まぁ、「GORO」やら「平凡パンチ」も無くなって久しく、それに雑誌全体が低迷してる現状で今さら「PLAYBOY」でもなかろうって気もする。本国ではライバルで、本家よりちょっと下世話度をアップさせた「PENTHOUSE」日本版なんて、柳の下狙ってすぐに売り出されたけど遥か以前に消滅しているワケだし。
 それでもおれには終刊の報せが何だか象徴的な出来事に思えたのだった。

 さてさて、そんな記事を見てしばらく後、今度はトリビューンが破産したってニュースがあった。単なるシカゴの一地方紙だと思ってたらさにあらず、、実はとても古い歴史を持ち、傘下に何十もの地方紙やTV局、プロ球団を抱える押しも押されぬ一大メディアコングロマリットであるらしい。それが天文学的な債務を抱えて沈没である。直接の原因は株式非公開化による資金調達で負った債務が返せなくなったことだけど、実はもうず〜っと以前から広告料収入の減少で経営は傾く一方だったのだという。
 そぉいや日本でも、サンケイ新聞が部数低迷から数年前より夕刊を止めてしまったし、朝日もトリビューンと同じ理由で大赤字を抱えてるらしい。そら、あんな記事ばっか書いてたらスポンサーも付きにくくなるわな(笑)。実際、おれにしたって新聞記事の大半は事前にネットの情報で押さえてしまってる。だから無くたって全然困らない。それでも家に新聞を引いてるのは、ただもう惰性に過ぎない。新聞はその追認と色んなチラシを見るためにあるようなモンだ。

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  片やITメディア業界はどうだ?世界的な大不況を尻目に、例えばGOOGLEなんぞやることなすこと大当たりで我が世の春の謳歌状態で儲かってる。利益は率で実に20%を超える(なんと経常ではなく純でだよ!)。1億売ったら2千万以上が残るのである。収入源はすべて広告手数料。いくらなんでもちょっとこれはボロ儲けちゃうんかい!?って気もするが、とにかく異常に儲かってる。設立わずか10年でこれ、こんなん。笑いが止まらぬとはこのことだろう。羨ましい限りだ。
 YAHOOにしたって本国の業績はもひとつパッとしないものの、日本では実態は借金まみれのパチモン企業と呼ぶしかないソフトバンクの屋台骨を唯一支えてる。この事業がなかったら明日にでもここは倒産だろう。

 やはりいよいよ本格的に紙の時代の終わりが近づいてるのだろう、って思う。パピルス以来5千年くらいの間、紙は文字や絵を定着させ記録する道具として唯一無二の存在だったワケだけど、それがここにきて急速に揺らいできている。
 卑近な例で言えば行き帰りの電車の中でだってそうだ。10年ほど前、東京に越してきた頃は今よりもっともっとたくさんのサラリーマンが新聞をタテ半分に折ったものや週刊誌を窮屈そうに読んでたものだったが、今はすっかり様変わりして少数派になってしまった。かなりいい歳した人でもケータイ弄ったり、DSやPSPに熱中してたり、中にはノートPC開いて仕事に没頭してる人だっている。いささか悲しいがおれは少数派の方だ。新聞は持ち歩かないものの、本や雑誌でカバンはいつも重い。

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 しかし、紙っちゅう媒体が減って行く事実に、ノスタルジーに関わること以外の何か重篤な問題があるのだろうか?

 何せこいつは原料が木、それも寒い所に生育する針葉樹である。いくら再生可能な資源とはいえ、成長する以上に伐採してしまってはどうにもならないし、良く考えると針葉樹って暖地に育つ広葉樹に較べるとはるかに成長が遅い。そんなん再生紙使たらエエやんか、と思われる人も多いだろうが、それだと紙のコシがなくなるのと見た目が悪いこと、何より不純物除去のための製造コストがかさむことから、それほど普及していないのが実態である。まったくもうエコの欺瞞で、世に言われるほどに再生紙なんてモノは存在しないのだ。ヒステリックなまでに分別やらされて、そんでもってみんなそれなりに再生されてるなら諦めもつくが、大半は埋められたり焼却処分されてる。
 おれはマンションに住んでるので、敷地内には小さなゴミ捨て小屋みたいなものがある。たまにゴミを捨てに行くと今でも驚くほどに古紙の束が多い。山積みになってる時もある。もったいない話である。大半は一過性の情報のために膨大な森林資源が消尽されているワケだ。

 それだけでない。紙は重くて嵩張る。重い、っちゃ〜いつだったか本キチガイが2階に暮らすアパートの床が抜けて本人も階下の住人も大怪我をしたって事件記事を見たことがある。作家の井上ひさしも木造住宅に住んでた頃、蔵書の重みで床が抜けてエラいことになったとエッセイに書いていた。ことほどさように紙は重いのだ。ゴミ捨て場に持って行くのだって一番億劫なのは古新聞の束だ。新聞販売員も勧誘にばかり来ず、たまには引き取りに来てくれればいいのに。
 嵩張るのも困ったもので、大した蔵書量でもないにおれの家だって本があちこちで溢れだしている。写真だってそうで、銀塩時代のはどれも5冊ひと組の箱に入ったアルバムに整理してたのだが、これがもうハンパなく大量になった。それがデジタルに移行してからは、すべてファイル1冊に、技術はともかく、昔に較べて遥かに高画質かつ大量の画像がバックアップも含めて収まっている。まだ、ファイルを使い切ったワケではない。まだまだ媒体を入れる余裕はある。
 今となっては懐かしいが、フロッピーディスクが初めて出た頃、「これ1枚に新聞何ページ分の情報が収まってるんです」なんて説明がされたものだ。フリスビーと変わらないくらいの直径の8インチだったけど(笑)。思えばあの頃すでに衰退の萌芽はあったのだな。

 さらに紙には耐久性の問題がある。まず水濡れは厳禁だし、折れたり皺が寄れば元に戻らないし、引っ張ればすぐに破れる。経年変化にも弱い。昔買った本が実家に大量に残されてることはこれまでにも書いたけど、帰省の折、たまにひょっと思い出して引っ張り出して愕然とすることがある。そりゃぁ置いてあるのが夏場は温室のように暑くなる2階の書庫なので保管状態が悪のもあるとはいえ、黄ばんでるだけならともかく、すっかりパサパサになって脆くなってたりするのだ。紙質の悪いものほどその傾向が強いのは当然だが、そんなんに限ってこそ残しておきたいものが多いので、本当に悩ましい。

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 無論、紙には紙のメリットがある。道具を介さず直接見たり書き込んだりができるっちゅう簡便性は新手の記録媒体では逆立ちしたって真似できない。しかし、冷静に考えれば考えるほど今や紙のメリットってそれだけなんとちゃうんかい、って気がする。個人的な思いは置いといてやはり、本の、雑誌の、新聞の・・・・・・つまりは紙っちゅう媒体の時代は急速に滅びつつあるのだろう。

 ・・・・・・とまぁ取りとめもなくそんなことを、これまた昔ながらの紙のハガキの年賀状をパソコンでチャチャッとこしらえてて考えてたのでありました。技術の進化に感謝しつつ、一方である種自己嫌悪にも似た疑問を抱きながら。
2008.12.14

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