「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
エコエコゆう気はないけどな・・・・・・


もっとも物流コストのかかる・・・・・・つまりエコぢゃない食べ物なんだそうです。

飛行機(ボーイング787) 945.71
電車(JRのフツーの10両編成) 163.36
自動車(ホンダ・フィット) 202.00
オートバイ(ホンダ・スーパーカブ) 86.88
自転車(スコット・アディクト) 5.90

 ・・・・・・以上の数字が何かおわかりだろうか?これは車両の重量をその定員数で割ってみたものである。つまり、人一人運ぶのに、どんだけ乗り物自体の重さが必要か?という数字を勝手にデッチ上げてみた。仮にこれを「キャリーウェイト・レシオ」と呼んでみることにしよう。単位は「kg/人」である・・・・・・そのまんまやんか(笑)。ちなみに上に挙げた乗り物には、各カテゴリーの中でも特に経済的、あるいは軽量と言われてるものを選んでみた。

 今回のテーマは化石燃料を中心に、最近つとに世間で喧しい「エコ」とか「地球温暖化」といったものについてである。おれは南方熊楠の信奉者であるからして、エコロジーが政治やら経済の都合といった所詮は「世知」に過ぎないものを遥かに凌駕するとても大切なものだと思ってる・・・・・・とは言うものの、エコロジーに対する見識が高いのが知的でお洒落でアーバンな市民なんだぜ!と言わんばかりの態度の人見ると無性に癇に障ったりもする方なので、いつも通りの漫談で進めたい。論文書いてるんぢゃないんだし、それに・・・・・・おらぁ漫談しか書けない(笑)。

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 ホントかどうか知らないが、二酸化炭素の排出量を減らせば基本的に温暖化は抑止できると信じられている。おれ的にはいくら減らしたって出るモンは出るんだから、もっと光合成による二酸化炭素⇒酸素への還元が促進されるよう、緑化をもっと徹底的に行った方が良いように思うが、ややこしくなるんで今回はそのことには触れないでおこう。
 さて、冒頭の珍概念・「キャリーウェイトレシオ」、いくら軽い方が燃費は良くなるとはいえ、車体重量だけが燃料消費の重要な指標ではない。空気抵抗や路面抵抗、バネ下重量、何よりも発動機自体の性能なんかも大事な要素である。だから、キャリーウェイト・レシオだけが全てではないし、おれはそんなことを問題にしたいのでもない。また、いくら最近ハマってるからって、これでチャリをヨイショしよう、っちゅうのでもないこともあらかじめお断りしておく。だってそんなん言い出したら、三輪車の方がもっと上だし、徒歩なら0.00だもん(笑)。ああ、そもそも燃料も要らんがな。

 それでも、と思う。JIS規格では人一人の体重は55kgとされてるそうなので、5人なら275kgなんだけど、たったそれだけを運ぶのにクルマだと1トンとかの重量が必要っちゅうのは、何だかいかにも無駄な気がする。スシ詰めにクルマに乗ったってこれなんだから。
 正直に告白するとおれだってエラそうに言えない。今のクルマはフルサイズのクロカン4WD、っちゅうヤツなんで、ざっと2トンある。フィットに換算するなら10人乗らなくてはならないが、うちの家族は4人だ(笑)。キャリーウェイトレシオは実に500となる・・・・・・まぁ、乗るのは休みの日だけだし、その時はたいてい家族全員で乗るし、それに旅の荷物が満載になってることが殆どだから、ちょっと許して欲しい気もするけど・・・・・・。

 とりわけ、いっちゃん燃料の無駄遣いなのは通勤や近所の買い物にクルマを使うことではなかろうか?たいていの場合一人で乗るし、どうしてもクルマぢゃなきゃ、って人が一体どれほどいるのかも疑問だ。いくら軽自動車ったって、700kgくらいはあるから、一人で乗ってたらキャリーウェイトレシオではジャンボジェット乗って飛んでくのと大差ない。それに対した距離ではないとはいえ、毎日のことだから何年もとなると、その無駄は看過できないレベルである。
 おれがエコエコ抜かしてる主婦が、近所の買い物なんぞにエコカーとやらを使うのが瞞着も甚だしいと言うのはこの点による。善良な市民ヅラしてエコを標榜するんなら、発動機の付いた乗物に乗ったらアカン、っちゅうねん。「節約」ではなく、「使わない」ことだ。

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 PETボトルはリサイクル可能なのでエコらしい。集めて粉砕してペレットっちゅうキラキラした粉末にしてから、今度は溶かして不純物を取り除くと服とかに再生できる、らしい。おれとしてはその回収〜再生のコストはともかく、そこで消費されるエネルギーまで含めてホントに正しく計算された上でのエコなんかいな?と疑ってしまうのだけど、その辺のデータは不勉強だし良く分からない。でもまぁ、フリースとかになっておれたちの冬を安価に暖かく過ごさせてくれるんなら、それはそれでありがたいことなんだろう、とこれまで思ってた。

 先日、TVのニュースを観てたら、正にこの回収されたPETボトルのリサイクルが特集されてるではないか。何とまぁ、ドンゴロスに詰められたペレットはでっかいトラックに積まれた挙句、貨物船ではるばる海を渡って中国に渡るのである。んでもって、中国の工場で溶かされて繊維になって、結局何に化けるかっちゅうと、UFOキャッチャーのヌイグルミの中綿になるのである(笑)。あの、どぉでもエエ感じのヌイグルミ、アレ。それも中綿。そして再び日本にやって来る。一体この間、どれだけの化石燃料が消費されたのか、と誰だって疑問に思うに違いない
 無論、この番組が、暗に視聴者に対し「な〜にがエコや!?」と言わせる内容で、その企てにまんまと乗せられてしまったおれは単純でアホなんだけれど、やはり、素直に考えてこんなことまでして「リサイクルでござい」はないだろ?って考え込む。UFOキャッチャーを止めちまった方がよっぽどいい。

 なんでこんなことになるか、っちゅうと、どうやら服に仕立てるには不純物が除去しきれないことが問題らしい。そんなんだと消費者に喜ばれず、売れないのだ。ぢゃ、不純物をなくすにはどうしたらば良いか?何としちめんどくさいことに口の白い輪っかを取って、わずかに残った中身もきれいに水洗いせんとあかんのだそうな。でも、これはこれで水資源の無駄遣いだわな。
 ともあれ、小学校での工作であるように、穴開けてジョウロにしたり、ランタン作ったり、水圧で飛ばすロケットとか作って玩具にしたりの方がトータルでは余程エコなリサイクルであることは間違いない。

 そぉいや近頃、古紙偽装が問題にもなってた。これも理由は似たようなもんだ。古紙もPETボトルと同じようにして再生するのだけど、その比率を上げるとどうしたって残るインクやカーボン、他の原料のせいで紙質は落ちる。真っ白にはならないし、滑らかさも悪くなる。なのにヴァージンパルプ使うよりコストがかかる。そのコストの大半は何と、いろんな処理を行うための光熱水費である。でも、消費者、っちゅうのはワガママで総論賛成各論反対だから、いくら口ではエコエコ騒いでたって、見た目悪いと買ってくれない。しかし、最近は企業もエコエコ言わんと世間体が悪い。そのための窮余の一策で古紙使ってないのに古紙よぉさん使ってますぅ〜、なんてウソついたワケだ・・・・・・何かもぉ痛々しいよね。

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 いささか旧聞に属するが、日本版のミシュランが刊行された。三つ星もらったトコは3年先まで予約で埋まるなんてとんでもない状況らしい。今や日本・トーキョーは質量ともに世界一食材が集まる飽食都市である。そりゃぁ〜美味いメシ屋もよぉさんできるはずだわな。ともあれそんな状態だから、残飯も尋常でない量が出る。オマケに消費期限ぢゃ賞味期限ぢゃとうるさいモンだから、残飯どころかまったく食卓に上らぬまま廃棄処分となるのも凄まじい量である。でも、このコトについてもテーマがやや別の方に行っちゃうんで今日は置いとこう。
 こうしてジャカジャカ食料が廃棄される一方で、日本の食料需給率は40%を切ってるのだという。何とも矛盾した話であることよ、とは思うが、これが寒々しい現実だ。つまり、日本の食料の60%は外国からやって来る。毒入り餃子が四の五の言ってる今もどんどんやって来てる。

 実のところ、日本の土地や海の生産力はそこまで低くはないらしい。100%はちょと分からないけど、7〜8割は余裕でクリアできると聞いたことがある。しかし、都市近郊の田畑は安普請の一戸建てに姿を変え、田舎に行けば荒地と化した休耕田がどこまでも続いている。
 何でこんなことになったのかと言えば、つまるところコストの問題だ。吝嗇で貪婪な消費者は特別な記念の食事にはプライスレスで散財できても、日々の食事になんざホンネでは一銭たりとも金は掛けたくないのだ(そのくせ安全・安心だけは要求しよるけど)。バカな中内ナントカが「価格は消費者が決める」などとぶち上げたのにおれたちはスッカリ洗脳されてしまい、安けりゃ何でも良いとばかりに日々の朝餉夕餉っちゅうモノの大事さを忘れてしまった。 衣食足りて礼節を忘れる、とはこのことだ。しかし思うに、礼節とは人間関係においてだけでなく自然との接し方においても問われるモンだ、って気がする。

 話がそれまくるが、かくして食材は莫大な化石燃料を消費して船や飛行機で世界からやって来る。その方が安いから。いやいや、国内での物流だってバカにならない。おれたちが均質で均等な食材を求めるがゆえに、別に近所の畑でだって見た目はともかく作るだけならフツーに作れそうなジャガイモや玉ねぎやニンジンが、10トントラックに満載になって日本を右往左往している。鮮度を保つためだけのために何トンもの海水と一緒に生きた魚が運ばれる。
 やれ食の安全だ、地産地消だ、と省庁やメディアは騒ぐけど、それらの問題とエコが地続きなんだ、って視点が知ってか知らずか欠落してるトコがおめでたいしウソ寒い。

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 結局のどころおれたちゃどぉすりゃエエのか?

 手段そのものは実にカンタンなコトだと思う。もちょっと貧しく、もちょっと小汚く、もちょっと不便に甘んじ、もちょっとアメニティを減らす・・・・・・要するに慎ましく暮らす、それだけの話だ。ただ、その地平に戻るのは、戦争や飢餓、よほどの天変地異でもおっ始まらないかぎり、今の日本に住まうおれたちには最早ムリな相談ではあるのだけど・・・・・・。
2008.03.19

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