「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
獅子身中の虫・・・・・・ビールに関する私見


普通に手に入るものとしては世界一だと思うベルギーのシメイ

http://www.belgianbeer.co.jp/より
 発泡酒やら第三のビール、だったっけ?もはや発泡酒でさえない炭酸アルコール飲料やらの前に、ビールがどうしようもなく落ち目なのである。スーパーに行ってもビールコーナーにビールはほとんどない。大半はビールもどきの連中ばっかしで、瓶ビールに到っては飲み屋にでも行かなくてはすっかり目にしなくなってしまった。

 まぁ実際おれもあまり本物ビールを飲まなくなってしまった。だっておらぁ貧乏サラリーマンだしさぁ〜、何たって安いんだもん。普段はちょっと酔えれば何でもいいんだし、まぁ缶チューハイだってなんだって構わない・・・・・・なーんてコトしてるうちにおれの酒の飲み方はずいぶん安っぽくも薄べったいものになってしまった。味わうためにちっとも飲んでない。

 これって何だかアル中の飲み方に近い。いつの間にこんなコトなっちゃったんだろ?

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 たしか1983年か84年の夏の暑い日だった。京都・修学院の比叡山に向う音羽川に沿った緩い坂道の途中にあるT酒店の前に、レースクイーンみたいな銀色のコスチュームに身を固めた2人のキャンギャルが強い日差しをものともせず立っている。酒屋といっても昨今のケース売りを主体とするような量販店ではない。店の表に軽トラが置いてあるだけの、日本酒といえば松竹梅と月桂冠と白鹿と菊正宗と日本盛しかないような、単に小さな田舎の垢抜けない酒屋だ。夏の昼下がり、人通りはまったくない。

 こんな片田舎の酒屋でキャンペーンをやってるのをそれまで見たことはなかったし、何やら無人の通りに向って懸命に声を張り上げてるのと、意外にもイケてるオネーチャンたちだったので、おれは近寄ってみた。プルタブを取って渡されたのは試飲用の小さな100mlの缶。コスチュームと同じ色をしていた。何だかサッパリした味だな〜、って思った記憶がある。土産にさらに2本手渡された。

 それこそがまさにアサヒの起死回生の一作「スーパードライ」だった。

 スーパードライが出るまでのビールの動向をここでちょっとおさらいしておくと、味的には70年代半ばの生ブーム以降、沈滞傾向が続いていた。今でもたまに見かけるでっかい樽生とか、青竹型の缶とか、口が広い飲み切りサイズの小さな瓶とか、缶の裏をペチペチ叩くといい感じに泡立つ仕掛けのついた缶とか・・・・・・要は目先の小細工、っちゅうやっちゃね、それだけ各社とも味そのものに新機軸が打ち出せずに手詰まりになっていたのだろう。
 おれはその前年、酒屋で配達のバイトしてたので、器ばっか取っ替え引っ替えされるワリに各社のシェアに変化がないことは分かっていた。

 そんな中でなるほどスーパードライはそれまでのビールの概念を根底から覆すような味だった。アルコール度数が5.5%と少し高めで、麦特有の甘みやホップの苦味を取り去った、焼酎を炭酸で割って若干の苦味をつけただけのようなその味は、これまでのどんなビールにも似てなかったのだ。無論、マーケティングや宣伝戦略についても周到に準備されたもので、だからこそ修学院の野暮ったい酒屋にさえキャンギャルがやってきたのだろう。
 アサヒは生き残りをかけて必死だったのだ。ガリバー・キリンには磐石のラガーがある。サッポロには生の定番・黒ラベル、サントリーはビールではポコペンだけど洋酒ではダントツに不動の地位を築いている。そんな中で、特に何の個性もないアサヒは埋もれかかっていたのである。実際、それまでのアサヒはどう言えばいいのだろう、味に「ある種の粉っぽさ」みたいな独特のクセがあって、おれたちの仲間内でもアサヒ党はいなかったように思うし、酒屋でもアサヒを取る家は非常に少なかった。いや、ほとんど無かった、と言った方が正解かも知れない。

 そんな状況の中、「スーパードライ」は爆発的なヒットとなった。各社も一斉に「ドライ」とやらを出して追随したが、時すでに遅し。コンセプトを最初に打ち立てたアサヒの確固たる地位は揺るがず、それどころか長い間動くことの無かった業界勢力図さえも塗り替えてしまったのだ。20何年経った今、今やアサヒはキリンと肩を並べる業界の二大勢力である。
 そして日本人のビールに対する味覚もすっかり変えてしまった。飲み屋に行けば昔は判で押したようにキリンラガーばっかしだったのが、今は黙って座ればたいていがスーパードライだ。オッサン連中にもドライ党は多い。彼らはこぞってこう言う。

 --------アッサリしてて飲みやすいし、料理食べてても邪魔にならんからな〜。

 わりと初期のドライブームの頃、このような風潮に対して「美味しんぼ」が強い調子で反対意見を述べてたけど、焼け石に水だった。それにさして美味くもないサントリーも麦とホップからだけでできてるってことでヨイショしてたけど、ちょとムリがあったなぁ。素材はともかく、80年代半ば頃のサントリービールは不味かったんだもん(笑)。

 ともあれ、そんなこんなでアサヒ・スーパードライは国産ビールの代名詞になったのである。

 しかし、このスーパードライの味に日本人が慣らされたことが、回り回ってビールを衰退させたのではなかろうか?自分自身の首を絞めたのではなかろうか?おれは今、そう感じてる。だって、この味は発泡酒と大差ないもん。大差ないんなら安い方がそりゃエエわな。

 90年代初頭、まだ輸入品でしか発泡酒がなかった頃、その品質はひどいものだった。青臭くて、水っぽくて、苦味が薄くて、ビールの代用品としてもいささかムリのある代物で、「こんなん飲むくらいなら正規の値段でビール飲んでた方がナンボかマシぢゃぁ〜っ!」と言いたくなるような出来栄え。それでも350mlで150円くらいしたかな?
 それから較べると、国産発泡酒はずいぶん改良はされている。たしかにビールに肉薄しているのも事実だ。酔っ払うと分からない(笑)ただし、そのビールとはすなわちスーパードライのことだ。おれの大好きなヱビスとは較べるべくもない。

 アサヒを責める気はない。ないが、目指した味の方向は結果的には極めて危険な方向だったのだ。発泡酒や雑酒が市場を席巻し、ドライ人気に翳りの出た今、アサヒの業績はゆっくりと凋落していくような気がする。

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 ビールについてあれこれ述べたけど、実は日本酒だってそうだ。ここまで日本酒を衰退させたものは日本酒自身である。戦後の窮乏期に生み出されたアルコール添加の三倍醸造に寄りかかり、流通がこれほど発達したにもかかわらず火入れした古酒を何の疑いもなく売り続け、味そのものを置き忘れてきたツケが回ってきただけのコトだ。ウィスキーも似たようなモンだな。

 ・・・・・・と、左党にはいささか今夜の酒が苦くなるような話でスンマセン。

 でも、あんまし粗製濫造したモンばっか飲んでたら、飲み方が荒んぢゃうんも事実なんで・・・・・・って、自戒の意味も込めて(笑)今日はちょっと「この味・辛口」でまとめてみたんですよ。

 お後がよろしいようで。チャンチャン♪
2007.04.09
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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