「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
昭和30年代のポートフォリオ


下のイメージを図に起こしたもの。線路描くだけで疲れました・・・・・・。

 「昭和30年代」がブームなのである。あちこちの商業施設やアミューズメントパークには「おもいで横丁」だとかなんとかそんな名前の、ちょっと夕焼け空っぽいライティングの下、昔のしもた家を再現したようなセットに琺瑯看板や映画のポスターをそれらしくあしらい、駄菓子類を中心に並べたコーナーが必ずある。横浜のラーメン博物館なんかもそんな仕掛けだったな。
 これらの記号化された昭和のイメージは、言うまでもなく西岸良平の長寿マンガ「三丁目の夕日」の貢献が大だろう。力道山・トーフ屋・オート三輪・三種の神器・・・・・・実写映画版が大ヒットしたので現在パート2が製作中らしい。

 そして今度は伊豆の伊東に、昭和30年代を何とまるごと再現した村までができるんだそうな。ひゃ〜!三文掘っ立て系脱力観光施設死屍累々の東伊豆に、またもや廃虚候補が一つ増える、と(笑)。犬山の明治村には絶対続きそうもないな〜。

 しかし、遅かれ早かれすべての人は「幼少期の風景」に強く捕らわれて行くものなんだと思う。今は団塊世代が人口の年齢構成上多くなってるからこそ突出して昭和30年代がもてはやされてるだけのようにも見える。あと20年もしたらバブルの80年代ブームが起こるに違いない。その萌芽はすでにある。80年代の曲ばかり流すディスコの復活や、ホイチョイプロ(「単にバブル時代の世相にしか生きられない集団」っちゅう指摘もあるけど・・・・・・笑)の製作した、その名も「バブルへGO!」なんて映画がそれだ。

 過去に目を転ずると、永井家風は江戸文化に思いを馳せ、失われ行く江戸情緒に満ちた「?東綺譚」を始めとする花柳小説を書いた。山本夏彦と久世光彦もまた昭和へのオマージュを「昭和恋々」って本にした(2人の見つめる年代は歳の差ゆえ少しずれてるけど)。これらも根は一緒なんぢゃないのかな?あ、3人とも偏屈で鳴らしたトコも似てるな(笑)。

 ここで昭和30年代がホンマに日本の「ゴールデン・エラ(黄金時代)」だったのかどうかを、おれは議論する気も検証する気もない。先日バラエティのニュース番組観てたら、少年犯罪は実は昔の方が多かったとかナントカ、下らないことを並べ立ててたが、そんなことはどぉでもいいことなのだ。
 喪われた過去は、喪われたからこそ光り輝く。忘却は記憶を美化する・・・・・・それだけのことだ。そうだ、そもそも「黄金時代」っちゅー考えにしたって、黄金時代が最初にあって、それから銀〜青銅〜鉄、とだんだんダメになってくんだから退嬰的なことこの上ない。

 現世憎悪的で退行的なおれの昭和30年代への希求は昨今のムーヴメントのはるか以前、人々が何のかんので高度成長を謳歌していた昭和40年代後半にはすでにあった。理由はまぁこれまで色々書いてきたことに断片的に述べてるから繰り返さないが、実はおれは直接昭和30年代を体験していない。記憶があるのは昭和40年代に入ってからなのである。初めからその光景は喪われていた。
 鉄道好きが昂じてレトロな風物に走った、っちゅうよりは、生来備わっていたそのような退嬰志向に、当時すでに衰退しつつあった鉄道の風景がピタッと合致しただけなのだと思う。あ〜、つげ好きだってそうだな。

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 ここに一枚のメモがある。何年か前、手慰みにちょっとしたパイク(超小型の箱庭鉄道模型レイアウト)をこしらえてみたら、これが思ったより上手に作ることができて、それに気をよくして新作を画策したときのそのポートフォリオだ。
 ・・・・・・といってもその時に思いついたものではなく、昔っからいろいろ思いをめぐらせてきたレイアウトプランの集大成のような内容になっている。鉄道に興味のない人には何のことやらサッパリ分からない記述も多いが、ちょっと転記してみよう。


  • 時代は1960年±5年。いわゆる「ヨン・サン・トオ(※)」以前。
  • 季節は春。爛春。
  • 場所は北摂〜丹波〜播州、あるいは奈良・京都といった近畿の周辺部。
  • 路線は歴史のある古い亜幹線。
  • 非電化・単線。通票閉塞、腕木式信号。線路に沿ってハエタタキ。
  • 人口数万の地方の町で、いろいろな公共機関も一通り揃う程度の街道の要衝。
  • 駅は旧街道沿いの町外れに立地。駅前には銀行・郵便局・バス車庫・タクシー車庫・日通事務所・食堂・傘/履物屋・駅前旅館・雑貨屋・酒屋・米屋・和菓子屋等が点在。名所案内看板、クリーム色に赤い屋根の電話ボックス、鋳物の〒ポスト、木の電柱の街灯・・・・・・ロータリーがあっても良い。
  • 駅の周囲には数棟の農業倉庫・製材所・造り酒屋・醤油蔵・消防詰所等がある。町中には小・中学校、少し離れた高台には高等学校。少し離れると藁葺き屋根の農家、水田、若干の畑、村の鎮守、寺、墓地、灰小屋や野小屋。小川。間違ってもスーパーはない。「××百貨店」という名前の食料品店はありうるかも。
  • 道路はまだ舗装されておらず、轍の跡が残り、水溜りも目立つ。
  • 少し行った谷あいには鉱泉宿があり、駅にはその看板があったりもする。
  • 近くを大きな川が流れ、背後に中国山地あるいはそれに連なる山々を望む。
  • 駅からは貧弱な支線が分岐(盲腸線、篠山線等のイメージ)し、本線ホーム先端の「0番線」から出ている。
  • 非電化地方私鉄もありうる(北丹鉄道・加悦鉄道のイメージ)。貨物受け渡しで国鉄と線路はつながる。
  • 支線・私鉄の奥地には大分閉山したとはいえ、マンガン・タングステン・錫・亜鉛・銀等非鉄金属の小鉱山が点在。
  • 従っておもな貨物は、米・木材・肥料・薪炭に加え鉱産物や薬品といったところ。扱い量はかなり多い。1日上下数本の定期列車が組まれている他に不定期の臨時もある。客貨は支線以外は分離されている。
  • 無煙化された4両編成の準急または急行が朝夕上下1本づつある。
  • 本線のダイヤは概ね朝夕が30分ヘッド、昼間の閑散時で1時間ヘッド程度。
  • 支線は1日4〜5往復。一部無煙化されている。朝夕、本線に増結される列車が一本。
  • 本線の客車は10〜12両、気動車で3〜5両、荷物車や郵便車も雑じる。
  • 全列車はこの駅に停車。
  • 支線は客車二両、気動車は1〜2両+貨車2両程度の混合が基本。
  • 駅は跨線橋はあるがテルハのない程度の大きさ(駅弁・電報を取り扱っている程度)で、ホームは0番線と私鉄線を含めて五面。それ以外に機回り線(本線・支線)、上下線の間には待避線、留置線2本、貨物側線は2本+荒荷線、駐泊所等がある。
  • ホームや線路に沿って桜が満開。
  • まだ斜陽化は進んでおらず、施設は全てある。 詰所・物置・風呂・官舎etc
  • ホーム長は15両分欲しいが、前後の余裕も欲しいので現実的には8両が限界か。安全側線は必須。
  • ホーム外れにはタブレット受け。山越えを控えているわけではないので、給水スポートは一考の余地あり。
  • 信号転轍小屋の下からはワイヤーが伸びる。軌線車や職員用の踏切もアクセントとして欲しい。
  • 貨物ホームは最低ニ軸貨車5両分程度。やはり手前の余裕は長め。貨車移動機や計重線はおもしろいので組み込むことにする。
  • ロコは、C11・C51・C54・C57・D51・DF50(新塗装)・DD54。C51・C54⇔DD54やDF50の新塗装は年代が矛盾するが、これは看過する。
  • 客車はオハ30系・35系・43系・61系、改良車の葡萄色塗装も3割くらい混じる。
  • 気動車はキハ05系・06系・10系・20系・55系・58系、いずれも新塗装。58系も新塗装も年代的に矛盾するが看過する。
  • 貨車はワ・ワムワフ・トラ等の旧車中心で、コンテナ等はない。鉱山へ向う貨物にはタンク車も。
  • 駐泊所(または機関支区)は、木造または煉瓦造りの2線。支線やこの駅止まりの区間列車のロコ、たまに気動車が入る。水タンクのみで石炭台はないかもしれない。ただし、ターンテーブルは1線のものがあってもよい。
  • 私鉄は1日5〜6往復。単行の気動車、または小型機関車が牽く混合列車。
  • 私鉄の機関庫はここにはないので構内配線は簡素。上記の貨物受け渡し線に加えて本線と機回し線があるだけ。引上線は長く延び、旧い客車が押し込まれている。
  • ロコはB6や小型のDL、気動車はキハ05系。貨車も払い下げっぽい旧型中心。塗装は国鉄とは変える。

          ※昭和43年10月の白紙ダイヤ改正。これ以降国鉄は急速に旅客輸送の近代化・合理化を進めた。

 ちなみにこれを本気で実寸に忠実に模型化するとなると、たとえ縮尺150分の1のNゲージを選んだとしても、駅とその周辺部分だけでほとんど大広間くらいの長さが必要になることは間違いない。国鉄の駅は無闇に余裕を広く取ってあるのが特徴なのだ。
 それはいささかムリな相談なので、実際の製作に当たっては、列車の長さを短くしたり、少しポイントのカーヴをきつくしたり、余裕を端折ったりして前後長を詰めなくてはならない。しかしそれでも3mくらいの幅にはなるだろう。

 そんなワケですぐに実現できるワケもなく、このアイデアは以来お蔵入りになってしまったままなのだが、ともあれ思いっきり昭和30年代していることがよく分かるでしょ?
 縁起でもない話だけど、おれは死期を悟った時にマジでコイツを作ろうと思ってる。んでもって、この中に墓を建てるように遺言してやろう、などと非常にはた迷惑なことを密かに計画したりもしてるのだ。

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 取りとめなくゴチョゴチョ書いたけど、畢竟、今の昭和30年代ブームとは戦後を支えた人々の敗北と逼塞の宣言に他ならない。古代ギリシャの人々の黄金時代の思想はどうやら正解だ。人は後ろ向きに後ろ向きに前進して行く存在なんだ、ってことを喝破している点において。
2007.02.19
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