「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
魔の通る時、魔の通る場所


今年はおれ、艮が吉なのか・・・・・・


 「逢魔が刻」とは薄暮の時間帯を指すらしい。黄昏の語源は「たそかれ----誰ぞ彼」にあると言われるけど、真っ暗がりではなく、あたりがパープルグレーに沈んで誰が誰か分かりにくくなる時間に、魔がスッと滑り込んでくるのだ、と思った古人の感覚は悪くないなぁ、と思う。
 しかし、実際は四六時中、あやかしの存在は立ち現われているような気もするし、そぉいったものが重なる時、重なる場所はたしかにあるような気がする。

 晩夏の頃を迎えたが、いよいよ日々暑いので、今回はちょっと薄ら寒くなる、そんなお話を・・・・・・

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 もう40年近く前、おれは団地の住民になった。当時の公団住宅としては標準的な、5階建てで1棟に3つの階段があり、各階向かい合わせに3DKが2戸づつ、したがって30戸が一つの建物になった箱状のものがズラッと並んでいた。
 そのうち、とある棟の縦のの5戸にのみ集中して、不幸なこと・奇妙なことが続いてることにおれは気づいた。迷惑な話だが、まずは引っ越して半年もしない頃に3階の部屋でガス自殺があった。しばらくして5階の子供さんが重い障害をわずらってしまった。何分古いことで何階かは忘れたが、同じ縦の並びの別のフロアの奥さんはノイローゼになり、また違う家の旦那さんは原因不明の病気で入院してしまった。たしか失踪だか蒸発だかもあった気がする。その縦の5戸だけで。
 元々は低い丘陵地帯の松林を切り拓いて作ったと言われる団地に、何らかの土地の因縁があるようにも特段思えず、おれの母親を含め近所の奥さん連中は、声をひそめてあれこれ口さがない噂話に明け暮れるのだった。

 父方の叔母夫婦が住んでいたところでも似たようなことがあった。クルマ一台がやっと通れるほどの狭い通りに沿って、5戸イチの大阪で言うところの「文化」が向かい合わせに建ち並んでいたそこで、ある時期を境に、通りの一番奥の家から順に不幸ごとが続き始めた。
 大黒柱の急死、不慮の事故、大病、発狂、自殺、夜逃げ・・・・・・果たして親戚のその家にも禍は訪れた。下の子供の方が原因不明の大病を患い、内臓の一部を切除しなくてはならなくなってしまったのだ。
 禍の波は、全戸ではなかったものの、通りの奥から順に手前の家まで5年ほどかけて、非常なスローペースで舐めるようにしんねりと通り過ぎていったのだった。そして路地の入口の家の不幸が終わり、何も起きなくなった。

 あるいは、以前住んでたマンション。ここも不思議なことに3つある階段の真ん中の並びだけに集中して、脚を悪くする人が続出しはじめた。その中にはまぁそれなりに節々にガタが来てもおかしくない年齢の人が多かったとはいえ、それでも松葉杖をつく人は数年のうちに4〜5人に増えた。
 おれは別の階段の並びに住んでいたのだが、何だかここに永く済み続けることはあまり良くない気がしていた。しかし、先立つものがなくてはどぉしようもない。ああ、弱ったなぁ〜、と気を揉んでるうちにまさしく天佑、転勤で関東に越すことに決まった。
 助かった気がした。

 そぉいやぁ同じような話は中上健次の一連の路地を舞台とする作品にも出てきたっけ。

 これらの出来事は、単に偶然の積み重なりと捉えることもできるだろうが、それにしてはあまりに話ができすぎている。やはり、「魔が通った」とでも言うしかないのかもしれない。意外に迷信深い、っちゅうか気にしぃなんですわ、おれ。

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 魔の通る、ということで思い出されるのはやはり「鬼門」という考え方だろう。ある場所から見て、北東(艮)の方向が表鬼門、南西(坤)方向が裏鬼門と呼ばれる。文字通り鬼の門、そこから鬼(中国語では幽霊のこと、「鬼哭啾々」の鬼も同義)はやって来る、ってあれだ。
 家ならこの方向に扉や水回りのものを置くことは大凶の相であると言われる。まぁ、これには若干合理的な意味もある。例えば台所やトイレが北東にあれば日当たり悪くジメジメして、冬などとても寒くて使ってられないし、南西にあった日にゃ、夏場は物は腐りやすいし、暑くてたまらないだろうからね。

 ともあれ、だから内裏の北東には比叡山延暦寺が置かれ、反対側には鬼の住まいとして打ち棄てられた長岡京が当てられたワケだし、江戸城の北東には寛永寺、南西には山王神社が造営された。
 ここを塞いどけば魔や禍はやってこない、と。

 思えばヘンな話ではある。

 なぜなら、方角とはあくまで相対的なものだから、すべての場所はどこかから見ての鬼門や裏鬼門になりうるし、通り道ともなりうる。また、山陰の一部には北西を表鬼門とする古い風習が残っているともいうし、諸星大二郎の「闇の客人」では、ときに禍ツ神が入り込んでくる鳥居はかつて東向きに建てられてた、なんて〜くだりが出てきたりする。それと、おれが見聞した垂直方向の禍の波は、単に東西南北の方位だけではどうにも説明がつかない。

 もう何が何だかワケが分からないが、言えることは、魔の通る道は無限に確保されている、ということなのだろう。

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 話は変わるが、不思議に流行らない場所、なんてーのもある。

 実家から少し行ったところの駅前角地がまさにそうだった。商圏としては悪くない、どころか一等地である。朝夕は通勤客が数多く乗降するし、昼間も踏切は買い物のオバハンや学生が行き交っている。だから、そこには菓子屋ができたり、食堂ができたり飲み屋ができたりするのだけど、どれもせいぜい持って1年。気づくとガランドウになって「貸店舗」の張り紙が出ているのだった。
 ひょっとしたら一等地ゆえにテナント料が高すぎてペイできなかった可能性もあるが、しかし、今になって思えば、入る店入る店、客足は悪かった。特段店作りに問題があるとも思えないのだが、とにかくあらゆる商売がそこでは上手く行かないのだ。
 先日帰省した折、偶然前を通りかかった。時代は移り変わり、そこはコンビニの建物らしきものに変わっていたのだが、やはり、通りに向けて空っぽの室内をガラス越しに白々と見せているだけだった。
 蛇足で申し添えると、目の前の踏切で事故が続出するなどという話は聞いたことがない。店のある場所だけがエアポケットのように、人気が出ない、それだけだ。

 ちなみにこの手の話はそう珍しいものではない。以前何かの本で、かつての刑場跡、70年代には凄惨なデパート火災で多数の死傷者の出た千日前界隈にも同様のポイントがある、って話を読んだこともある。
 ワケもなく事故の多い踏切や交差点についてはあまりにポピュラーで、ここであえて言及する必要もないだろう。サルベージ物件のマンションやホテルについても。

 レアなケースでは、今の家の近く、おれの散歩コースに奇妙なポイントがある。何だかそこだけ妙に周囲より涼しいのだ。どぉいうトコかっちゅうと、両側に木々の植えられた遊歩道があって、その途中のある一ヶ所なのだが、約10mくらいの区間だけがたしかに涼しい。テコテコそこを歩くようになって何度目かに気づいた。冬は寒いから分からないけれど、夏の暑い時期、そこに差し掛かるとスッと温度が下がるのが分かる。気になって往復してみたが、やはり何となくそのあたりだけ冷気が漂ってる。
 何か他と違いがあるワケではない。植えられた木はどこも同じようなものだし、生い茂り方でいえば、もっと深く道路に覆いかぶさって太陽を遮っているところは他にいくらでもあるのだ。地下水が地表近くを流れているとこのような現象が起きると聞いたことがあるが、造成地でそんなことはは考えにくい。
 おそらくは、ここで屋台を開いても絶対に流行らないだろう。そんな気がする。

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 しかし、これらのオカルティックな魔はまだ密やかで良かったのかもしれない。

 今の時代、見た目ごくフツーのガキがテムパッていきなりプス〜ッとやっちゃったりする。油断も隙もあったもんぢゃない。ニュースを見ても不感症になってしまって、「あ〜またか〜」、くらいしか感想が出ないほどに、生きながら魔となった連中が跳梁跋扈するようになってしまった。よくよく考えれば、そのことの方がずっとおそろしい。

2006.09.02
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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