「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
All Night Long !


名盤ですよ。やっぱ。ちなみにスペルは”Nite”だけどね。

 ロックンロールオールナイトもあればダンシングオールナイトもある。大体においてお祭騒ぎ、バカ騒ぎは夜通しやるモンと相場が決まっている。できればオージーオールナイトもやってみたいもんだ、と軽口叩いてみても、そんなにカラダが持ちまんのかいな?とツッコまれそうなんで止めとこう。

 ・・・・・・なワケで今日は「徹夜」のハナシだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先日、たまたま一冊の本を読んだ。中野 純「闇を歩く」(光文社文庫)っちゅうのがそうで、要は夜中に山に登ったりして闇を愉しむ、って内容である。クダらないといえばとてもクダらないのだが、この本との邂逅はしかしある意味、おれの蒙を啓いてくれたのだった。
 その中で、本来山はご来光を拝むために夜中に登るものだったし、日本人は他にも色々徹夜をしていたんだし、徹夜は健康に良い、みたいに書かれてあって、そこでおれは眼からウロコ、だったのである。
 健康に良いはともかく、たしかに日本には徹夜の伝統があったのだ。いや〜、これに気づかぬとは迂闊だったっす。

 考えてみよう。

 盆踊りがある。
 秋祭りがある。
 その外にも氏子となってる神社の例祭なんかがある。
 大晦日〜元旦の2年参りがある。
 誰か死んだら、昔は文字通りの「通夜」である。
 おまけに60日に一回の割で庚申講がある。
 春秋の彼岸とかに合わせて阿弥陀堂や三昧堂に篭っての念仏講がある。
 2〜3年に一回は富士講だとか御嶽講だとかがある。そしたら徹夜登山だ。

 こうして考えると昔の日本人、月にいっぺんくらいは徹夜をしてたワケですな。ところが、宮本常一の本で読んだのだけれど、実は昔はもっと無礼講の祭りだらけで、それがあまりに多すぎて農村部が非生産的かつ不道徳なために、大正年間には祭りを整理する政令が施行されたりもしたらしい。これを境に日本からは祭りがずいぶん消滅したのだそうな。富国強兵ってヤボだ。
 だとすれば、月イチどころか数週間に一度の割で日本人は徹夜、少なくともものすごい夜更かしをしてたことになる。

 ちなみに庚申講とは、かのえさるの日、人の身体の中に巣食う「三尸(サンシー)」って三匹の虫が----否、三匹だから蟲、と書いた方がいいか----寝てる間にその人間の悪行を天帝にチクりに行く、チクられると寿命が縮むので、その日は帝釈天や青面金剛、あるいは猿田彦を祀った前で夜っぴき起きてなくてはならない、っちゅう古い道教の教えに基づく信仰だ。元は道教かもしれないが本地垂迹とかの影響で祀る対象が支離滅裂だな。ともあれ、江戸時代にムッチャクチャに流行した。
 信仰、っちゅうより徹夜の理由をこじつけで引っ張り出してきたような感じがあって楽しい風習だが、今はすっかり廃れて各地に庚申塚とか庚申堂とかの遺物や地名を残すに過ぎない。

 こんなコトをしょっちゅう、それも大っぴらにやれてた昔の人がおれは素直にうらやましい。申しわけ程度の「ハレ」ではない、まさに陰陽が等価な世界がそこには広がっていたように思う

 蛇足だが、精進潔斎を基本とする「**講」以外が、本当にオージーの場であったのは言うまでもない。若者の下半身のモラルに眉を顰めるオッサンオバハンどもよ、あんたたちのジーチャンバーチャンくらいまでの世代はもっと性的に無軌道で放埓だったんですよ、と言ってやりたい。




今でも賑わいを見せる八坂庚申堂と青面金剛

「大黒山金剛寺(八坂庚申堂)」http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/index.htmより

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ともあれまず徹夜に、無理やり生活サイクルが狂わされることと眠気をガマンすることによる、精神的・身体的な影響があるのは言うまでもないことだろう。疲れるし、アタマが煮えてボーッとする。でもそれはナチュラルハイ、と言ってもいいかも知れない。徹マン明けに面子の下らない冗談が笑えて笑えて仕方なかったりするのもそれだろう。そぉいや先日の富士登山でおれは、下山中、「足元の小石が全部何らかの顔に見える」っちゅう、まるでもうシュミラクラの極致のような強烈な幻覚に襲われたりもした。
 でもその分、その夜の眠りは近年絶えてなかったような深い眠りだったし、目覚めた時の意識はひどく冴え冴えとしたものだったのも事実だ。

 それは何だか久々の新鮮な体験だった。何かが取り戻せた気がした。

 以前に音楽の項で書いたように、20年ほど前、Kっちゅう友人にそそのかされてノイバウテンのビデオクリップ撮影に東京まで送りに行かされた時、おれはまるまる3日くらい一睡もしなかったが、思い起こせば若い頃は他にもバカな徹夜をやってる。

 たとえば3日間の夜勤のアルバイトをやった時、運がいいのか悪いのか、昼間に遊びの用事がキッチリ入ってズ〜ッと起きてたことがある。詳しく書くと、無理やり昼間寝て夜勤に行く〜上がってそのままみんなで神戸に遊びに行く〜2日目の夜勤〜今度は和歌山へ〜3日目の夜勤〜今度は丹後半島一周〜帰宅してそのまま爆睡、ってな内容だった。当時はクルマの運転はしなかったので、乗せてもらった車中で若干は寝たかもしれないが、まぁ数に数えるほどではあるまい。

 またたとえば、会社に入って入社研修を受けさせられた時は、完全な徹夜でなかったものの毎日1〜2時間の睡眠だけで一週間を過ごしたこともある。研修カリキュラムがハードだったのではない。単に夜も寝ないでみんなで酒飲んで大騒ぎしてたのだ。
 おれたちの宿泊部屋となっていた瀟洒なコテージは、往年の外タレが宿泊したホテルのように・・・・・・は大袈裟だけど、かなり破壊された。あんなことして特段叱られもしなかったのは、当時が売り手市場だったからだろうか。ホント、ひどいことをしたものだ。
 しかし、昼の研修中にしょっちゅう居眠りこいてたので、こまぎれの質の悪い睡眠とはいえ、トータルではけっこう寝てたかもしれない(笑)。

 そぉいやぁ完徹でヤリまくった挙句、明け方部屋に戻り、男衆数名を叩き起こして、これまた丹後の天橋立の向うまで海水浴に行ったこともあった。別に太陽は黄色くなかったが、まぶしさに眩暈がし、動悸がバクバクしていた。おれは浜辺でビーチパラソルの下、ひたすら惰眠をむさぼるだけだった。

 ・・・・・・挙げだすとキリがないな。ハハ、しょーもねぇ〜。

 無論、体力も衰えた今、そこまでやる気はさらさらない。やれば死にこそしないだろうが、少なくとも血圧が上がったり、内臓に支障をきたしたりすることが確実だからだ。一晩でジューブンっす。
 別に何を、っちゅうワケでもない。そりゃまぁ、単に起きてても虚しいので、何らかのイベント性は必要だろうが、別に非合法なこととかアングラなことをしようって気持ちはまったくない。スケベもまぁどぉでもいいや。あ、いや、機会があれば遠慮しませんけど(笑)。

 そぉいや、今はどうか知らないが、ガキの頃は夜更かししてヤンタンやヤンリク聞いてるだけで、オト−チャン・オカーチャンの言いつけどおり早寝してる連中に対して、ちょっとした優越感をもてたものだった。幼稚な限りだが、草木も眠る丑三つ時を起きている、というコトに何とも名状しがたい魅力を感じていたのは事実だろう。

 一言で言って、徹夜には反抗の香りがした。それにはしんどい思いするだけの価値があった。そしてガキのその直覚は間違ってはいなかった。

 どだい夜の夜中に起きて、労働ならともかく遊びに費やすとは、為政者の側からすると、実にもう反社会的で唾棄すべきことであろう。陽光の下、大方のみんなが規則正しく生産活動に励むことが、管理国家の正しいあり方だろうから・・・・・・そこまで言うと大層か(笑)。ま、でも、抜け忍カムイだって、忍者集団に叛いてスピンアウトしたからこそ、「闇の中を駆けて行く」のだな。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 つまりだ。

 ロックンロール「を」、オールナイトなのではない。
 ダンシング「を」、オールナイトなのでもない。
 オールナイト「が」、ロックンロールでありダンシングなのだ。

 そう思い当たったおれは、「闇を歩く」のひそみに倣って、近々、深夜の低山ハイクを敢行しようと思っている。怖がりのヨメはさすがに付いて来てくれんだろうけれども。


闇の中を駆けて行く、といえばわたいの世代はやはりカムイですな(笑)。

2006.08.08
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved