「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2018 台湾(初日)

秋のある日の昼過ぎ、ここは羽田空港国際線ターミナル。
国内線と違って、いろいろ手続きがあるんで待ち時間も長い。
これから出かけるのは台湾。

海外編は多分初めてですよね。
飛行機は台湾のエバー(長榮)航空にしたんですが、安全胴衣の着用ビデオが異常に面白かった。

こぉゆうセンス、日本も学んで欲しいモンです。
石垣島のちょっと先まで行くだけなのに、機内食が出ました。

パンがマズくてビックリ。でもあとはそこそこフツーにおいしく食べられました。
・・・・・・で、松山空港に着いてすぐにワゴンに乗せられ、やって来たのが台北駅。
何かまぁ、要するに都会ですわ。
風景も特に日本と違う感じがないっすね。
多分、ナロー時代の台東線の汽車と客車が保存されてます。
ムッチャクチャに広い駅のロビー。

6階までが吹き抜けになってます。
ここでガイドさんとは一旦お別れ。

あとは新幹線で高雄を目指します。
「月台」とはプラットホームのコト。

言われたとおりにHSRの方のホームを目指します。
車両はもぉまったく日本の新幹線と一緒。

違うのは表記が繁體語ってコトくらいです。
あと、在来線の列車がすぐ隣のホームを走ってるのにはちょと驚きました。
アッっちゅう間に高雄(正確には少し手前の左營)に到着。

僅か350kmですが、さらに南国に来た感じで空気がヌ~ッとしてます。
意外に駅前は寂しい印象。

まぁまだ台湾新幹線、出来て10年足らずですから、発展するのはこれからでしょう。
迎えに来たガイドさんに案内されて、別のコースを回ってた7~8名の団体と合流して、何だか良く分からんまま愛河(アイホー)ってトコにやって来ました。

「愛之船」はこれから乗るクルーズ船の名前みたいです。
このVWのマイクロバスみたいなのは団体客の定番みたいで、その後もやたらあちこちで見掛けました。

ちなみに「之」ではなく平仮名の「の」が使われてる看板をケッコー見掛けて驚きました。すごく異文化に対して柔軟な感じです。
こぉいっちゃミもフタもないですが、たまたま名前が愛河だったちゅうだけで、特に恋愛にまつわる故事があるワケではありません。
こりゃまた中国っぽい看板ですねぇ~。
やたらと写り込んでる黄色いクルマはタクシーで、殆どがバンタイプ。

セダンのってその後も見なかった気がします。
右の人が現地のガイドさん。

日本に長く滞在してたこともあるみたいで、日本語ペラペラ。
何でナイトクルーズが夕方クルーズに変更になったのかは良く分かりません。
この愛河、かつては高雄川と呼ばれ、工場廃液から家庭の汚水までが流れ込むヒドいドブ川だったみたいです。

それを徹底的に整備して今の姿にしたんだとか。
陽も沈んで少しナイトクルーズらしくなってきました。
今では両岸に遊歩道も整備され、高雄の新たなデート/観光スポットになってるみたいです。
何かまだ全然外国に来たってカンジがしませんね~。

隅田川を水上バスで行くのとあんまし変わらない。
三越か!?(笑)
高雄は台湾第二の都市で人口も280万弱・・・・・・なんですが、経済的には一極集中の進む台北にやや押されて沈滞気味なんだそうです。
また、蒋介石と共にやって来た(逃げて来た?)外省人や本省人の多い台北に比べると、台湾土着の先住民の血を引く人が多い。
ガイドさんもルーツはナントカ族だって言ってました。

余談ですが、今や台湾の誇る大女優となったビビアン・スーもそんな部族の一つ、勇猛果敢で知られるタイヤル族の血を引いてますな。
湾のあたりまで来ると有明とかお台場みたいな雰囲気です。
ようやっとナイトクルーズっぽくなってきましたね~。
風景としては東京よりもむしろ大阪っぽい感じがします。

中之島界隈の雰囲気に近い。
コ、コワい・・・・・・。

調べてみると水陸両用バスで名所を巡るみたいです。
すっかり日の落ちた高雄市内を移動して・・・・・・
夕食会場の「美濃客家菜」ってお店に到着。
・・・・・・で、これが何か?っちゅうと「客家料理」っての出す店だそうで、ぢゃぁ客家とは何ぞや?っちゅうと、広東省あたりにルーツを持つ移住者のコトらしい。

ちなみに「美濃」は高雄のはずれにある地名で、日本統治時代に「瀰濃」から改名されたのがそのままになってるんだそうです。

高雄も元は「打狗(タークゥ)」ですしねぇ。
こちらでの定番のビールはこれ、「台湾啤酒」。

サッパリしてて、何となくレゲェ御用達の「レッドストライプ」みたいなカンジ。
料理が出て来ました。

ところが何が何だか最後まで良く分かりませんでした(笑)。
基本的には野菜中心で薄味、油もそんなに強くなくて食べやすい。
南瓜や豆腐、ニラや葱、モヤシくらいはまぁ分かるんですが、あとの素材はちょっと見たことのないモノばっかし。
どう言えば良いんだろ?

「ものすごく素朴な広東料理」って言えばお分かりいただけるでしょうか?
味付けの基本は中華料理なんですけど、ちょっと家庭的で素朴なんですよ。
北京ダックみたいに饅頭に挟んで食べるのもありました。
あ~、こりゃ茄子ですね。
冬瓜とモツらしきものの入ったスープ。

これもアッサリしててとても美味。
これは甘い春巻だったかな?
謎の菜っ葉。

太いスギナのようなモンでした。
鶏と南瓜のスープ。

日本人向けに薄味にしてるのか、元から薄味なのかは分からずじまい。
最後にフルーツ。

周囲がパッションフルーツ、真ん中がドラゴンフルーツですな。
食後、再びマイクロバスに乗せられて今度は山の方に向かいます。

あ~こりゃぁ蒸籠蒸しの店だな~、って見て分かるのは繁體字のメリット。
そうして到着したのが「寿山情人観景台」。

その名前の由来は、昭和天皇が皇太子時代に誕生日に訪ねたことなんだそうです。
今でも高雄市民のお手軽な行楽スポットとして人気あるみたいで、観光客以外にも人が結構いました。
世界中のコトバでアイラブユーがなんともシュールな柵。

夜景はまぁ、取り立てて言うほどのものでもありませんでしたな。
続いては、「六合夜市」へ。

まぁ大概個人での旅行も忙しない方なんですが、団体でだと引っ張り回されてる感が違いますねぇ~。
「夜市(イェンシー)」とは、まぁ博多の親不孝通りみたいに夜になると飲食店の屋台がバーッと並ぶワケっすな。
大きな町でなくとも、規模の大小はあれ夜になると店は出るみたいです。
「木瓜牛乳」とはパパイアミルクのコト。

めっちゃ美味い。
ガイドさんには「魚系はちょっと止めといた方が良いよ」って言われました。

いやもうさっきの店でハラ一杯なんですけど・・・・・・。
昼間は蛇料理の店があるようですな。
台湾腸詰みたいですね。
お粥と麺類の屋台。

いっちゃん高いのでも日本円で250円くらい。
酸辣湯に入った水餃子は1粒20円弱。
「釈迦頭」っちゅう奇妙なフルーツ。
要するに串焼きです。

1本40円から80円ってトコ。
台湾の怪しい料理では必ず名前の挙がる「臭豆腐」。
ガイドさん曰く、「台湾人もこれ、臭い思ってる。でも昔から食べてる。フツーに馴染んでる。日本人納豆食べるのと同じね」だそうです。
鴨、といってもアヒルらしい。いろんな部位に分けて売られてます。

もっとも珍重されるのは首のトコなんだそうです。
うわ~、また匂ってきたと思ったら臭豆腐(笑)。

ぶっちゃけしかし、クサヤよりは全然マシかも。
・・・・・・ってこの辺、いささか飲み過ぎたのと疲れとであんまし覚えてなかったりして(笑)。
魚のすり身団子の入った汁米粉。
思いっきり輪切りな魚。

何かは不明。
この店はかなり高い。

日本円で千円くらいします。
「豆花(トゥファ)」とは豆乳を寒天で固めて作ったプリンで、台湾特有のスィーツと言われます。
かなりクタクタになって到着したのは、今夜の宿である「高雄圓山大飯店」。

・・・・・・実は今回の旅、かなりリッチだったりします。
日本ならともかく初めての海外でスベッたら、ヨメのトラウマになりそうなんで、安全策を取りました。
このホテルも元は、蒋介石夫人の宋美齡が別荘兼迎賓館代わりに建てたのが始まりと言われてます。

部屋の調度類は古びてはいますが素晴らしいモノばっかし。
台北にあるのが本店で、こっちはいわば支店なんですが、それでもムチャクチャにデカい。

かつては「世界十大ホテル」に列せられたこともありました。
・・・・・・ですが、正直今はちょっと老朽化が進んでる印象。

現在では台湾ホテルミシュランのランキングからも外れてるのがちょと残念。
うわ!ケラレ入るわ、暗いわ・・・・・・。
チャンと撮るとこんな感じ。

実にコテコテしい。
チャイニーズテイスト大炸裂ですねぇ。

さてさて、とにかくお嬢さん育ちだった宋美齡は、毛沢東率いる共産軍に追われて旦那共々台湾に逃げて来た、っちゅうのに、最後までブルジョア気質が抜けなかった人でもありました。
狛犬みたいなんもいます。

そいでもって蒋介石もまぁ孫文の後を受けて色々頑張ってたんですが、なんだかんだで革命家としてはいささかおぼっちゃんでお人好し過ぎた。
擬宝珠っちゅうよりはキューポラっぽい。

・・・・・・で、面白くないのは昔から台湾にいた本省人や先住民族です。いきなりやってきてエラそうにするし、乱暴狼藉働くし、よっぽど日本統治下の時の方が良かったやないか!?学校やら病院やら鉄道やら工場、作ってくれたやないか!?と。
ただ、こうして見ると立派なんですが、近付くとかなりあちこちで塗装が剥げてたりします。

歴史から消されてるものの、実は中国本土から来た国民党はかなり悪いことも台湾でやらかしたんで、それを未だ根に持つ人が多いのが実態。決して一枚岩の国ではないんですな。

また、アメリカは国民党を傀儡政権にして長らく中ソに対する「反共の盾」にしてましたしね。
ラウンジで再びビール。

この辺の複雑に絡まりあった問題を、奇蹟的な無血革命によって片付けたのは、思うに李登輝ではなかったかと思ってます。
思えば昨年のこの頃は酒量が上がってましたね~。

あまり注目されてませんけど、李登輝って第二次世界大戦後に現れた世界の政治家の中でも相当のキレ者だと私は思ってます。
何はともあれ、ますます酔いが回ってきました。マジメなハナシ並べても面白くないですしね~。

そろそろ寝ましょう。
風呂に入って、「あ~、疲れたぁ~!」とかゆうてハダカでベッドにゴロン。
「マット柔らかくて良かったぁ~」とのコトです。

明日は午前中が高雄観光、その後台北に戻ります。そもそも何しに高雄までやって来たのか良く分からんコースでしたね。こんなんならユックリ北投温泉にでも浸かりたかった。
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