「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2018 伊勢志摩(二日目・前半)

翌朝、いつものように単焦点散歩にお出かけ。

最近はもっぱら35mm/F1.8使ってます。
穏やかなリアス式海岸の入江の風景が広がります。
どの家も裏からすぐに海に出られるようになってます。
50mmより遥かに寄れるんで、ボケ写真はむしろこっちの方が撮りやすいですね。
板がちゃんと固定されてなくて、この後、海に転落しそうになりました(笑)。
隣に建つ巨大旅館。
こんな感じでこの辺ではかなり巨大。

手前からまるで自分トコの敷地みたいになってますが・・・・・・
これらはすべて公道で、実は弁天荘へはその中を横切って行くんです。
右に下ってく細い道がそれ。

ひでぇコトしますよね、ホンマ。
ホント、観光地行くとこぉゆうアザとい仕打ちをしてる旅館ってケッコーあるんっすよ。

実に卑しい。
そんな湯快リゾートに覆い被さられるようにして弁天荘は建ってます。

負けるな!頑張れ!
旅館に戻ってきました。

こぉゆう木彫りが好きなんでしょうね。
宿の名前にちなんだ古代杉の輪切りの板絵。
朝食の時間になりました。

割とシンプルでホッとします。
いやホンマ、朝からてんこ盛りだと食えませんもん。
切り干し大根の煮物。
玉子豆腐。
アジの開き。
海苔。
漬物。
味噌汁、以上!!

そもそも論で旅館の朝食は無しでも良い派なんで、これくらいでジューブンです。
ヨユーで完食。

後はさっさと出発じゃい!
あまりに使わないのも如何なモノかと、ちょっとだけ望遠を試してみました。

ホント、殆ど「カメラバッグの重し」状態になってます(笑)。
大変お世話になりました。

ナカナカ落ち着ける良い宿だったと思います。
イマイチ天気がハッキリしないのがちょと気懸かり。
海岸沿いを東に行って、相差に到着。
この辺が海女の本場みたいっすね。

それにしてもサザエの顔出しって・・・・・・。
鄙びた漁村の細い道を上がって行くと遠くに鳥居が見えました。
志摩三大石神の2つ目、「相差の石神さん」です。

正しくは神明神社の一角にあるんですが。
ここは「女性の願い一つ叶えます」っちゅうので有名で、とにかくパワスポ好きな女子に大人気。
そんなんで商売繁盛なのか、あちこちが立派で新しい。

ちなみに男性の願い事については特に書かれてませんでした・・・・・・。
枯れちゃった神木もお堂に入ってます。

財力あるなぁ~!
勝手な推測ですけど、この地方の石神信仰には、海女が素早く潜るのに石を懐に入れたり、海女小屋で暖を取るのに温石を抱いたことなんかが影響してるんぢゃないかと思ってます。
写り込まないようにしましたけど、朝も早くから参拝客がウジャウジャいました。
お手軽パワスポ写真いっちょアガリ!(笑)。
ちなみに石神として祀られるのは、神武天皇のオカンの玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)だそうです。

・・・・・・こんな萌え系キャラだったかどうかは分かりませんが。
さらに海岸線を回って・・・・・・
浦神社到着。

ここも巨石系ではほとんど知られてないスポットです。
何と、背後に見える突き出した巨大な岩山がここの御神体。

ムッチャクチャにデカいっす。
急な石段を上がると拝殿があり、その向こうに件の巨石が聳えてます。
これ、探しましたけど枯れてて良く分かりませんでした。
御神体の全景を写真に収めることは不可能。

こっちはこのように大岩壁のようなスタイルの巨石が多い気がします。
あと、謎だったのがこの草履。

ひょっとしたら上がるのに履き替えるものだったのか?奉納品なのか?身投げなのか?(笑)
他にも小さな滝とかあって、ここはかなりサイキックな雰囲気でした。
え!?あの「いらっしゃぁ~い♪」の元・三枝はんやおまへんか!?
鳥羽に到着してまずはココ、旧・鳥羽小学校跡。
昭和4年、御木本幸吉の出資によって建てられた、当時としては極めてモダンなアールデコ調のコンクリート作りの校舎です。

平成20年に移転によって廃校となりました。
今は国の登録有形文化財に登録されており、残念ながら内部は立入禁止。

あちこちに監視カメラも仕掛けられてます。
急斜面に建ってて、裏に回るとかなり校舎の上の方まで来ます。
ナカナカ予算が取れないのか、保存活動はあまり進んでない様子。

廃墟としてはこれくらい荒廃してた方が趣があるんですけどね(笑)。
下を見下ろすとこんなん。

戦前のコンクリート建造物には重厚感と意匠性があって好きかも。
それでもどこか侵入できる・・・・・・もとい内部を見学できるポイントはないかと探し回る(笑)。
坂道を一番上まで行くと広場になっており、昔の城跡でした。

訪れる人も殆どいないみたいです。
二宮金次郎もかなり写実的な作り。

真珠王の寄付によってできたってことで、開校時はさぞかし大騒ぎだったんでしょうね。
辺の長さが2倍になると面積は4倍になるってことを実寸で示してて分かりやすい(笑)。
これだけ由来と歴史があって立派な校舎も廃校になる時代なんですねぇ~。
何か日本人って、ものすごく勿体ないコトをあちこちでやらかしてる気がします。
続いては鳥羽駅のすぐ南西の日和山展望台ってトコに到着。
しっかしアータ、これがもう見事なほどの寂れっぷり!

叩くと不幸せになりそうなくらいにボロボロの「幸せの鐘」が残ります。
正面には答志島が見えて、エエ景色なんですけどね。
さらにちょっと行くと取手山砦跡ってのがありましたが、ここも見事に終わっちゃってました。
へぇ~、鳥羽の地名はここの城主から取られたんだぁ~・・・・・・と棒読み。
まぁ、誰も来ないんでそれなりに愉しめましたけどね。
そのまま一気に伊勢志摩スカイラインを登って朝熊山山上へ。
明らかにこれ、磐座ですよね!?
温泉も湧いてないのに足湯コーナーがあります。
何とかかんとか天気は晴れてきました。
小学校の修学旅行で来て以来かも。
かつては「伊勢へ参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とまで謳われた朝熊山ですが、何となくちょっと寂れた雰囲気が漂ってます。
昔来た時のことを想い出そうとしましたが、これがもぉスッカリ忘れちゃってます。

何せ40ン年も前ですからねぇ。
少し離れた金剛證寺へ。

ここも修学旅行で立ち寄った気がします。
ま、何てことないフツーの寺です。

当時は多分、故事に則ってお伊勢さん行くんなら朝熊は外せないよね、ってコース決められてたんでしょうね。
ミョーに面長の虎。

牛もいましたし、虚空蔵信仰でもあるのかな?
さて、金剛證寺のおもろいのは奥之院への道。
参道の両側を埋め尽くし、さらには杉林の中にまで広がる圧倒的な卒塔婆の列。
コ、コワひ・・・・・・。

実際、帽子とか杖とかウェストバッグとか掛かってるんですよ、これがもう。
何か東北チックなディープさがありました。
奥之院はあんまし奥之院らしくありません。

もっと暗ぁ~い杉林の中にあるかと思ってました。
卒塔婆の料金は明朗会計。
50万円のは4m近くあります。

ぶっちゃけ25万円以上は値段ほどの差がありませんね。
以前、小樽のオタモイで見た竜宮城の入り口みたいな山門。

こんなスタイルが流行した時代があったんでしょうね。

午後は伊勢神宮方面に下っていきます。
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