「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2013 信州

・・・・・・いかにも山寺な風情の境内。

鐘楼が可愛い。
これだけではどこかまったく分かりませんね。
ここは信州・佐久の近く、閼伽流山というところです。

真下を上信越道のトンネルが通り抜けており、普段は特に意識することもなく通過するだけのポイント。
そんなトコにワザワザやって来たのは、ここもまた巨石・巨岩のスポットだからです。
今居るのは山頂直下の大岸壁の下あたり。

ここから急峻な道をさらに登って行きます。
てっぺん到着。

三方がほぼ垂直の崖になっててけっこう怖い。
おそるおそる東屋へ。
彼方には佐久平が一望に見渡せるのですが、曇っててイマイチ。残念!!

一眼レフに変えてから天候を以前以上に気にするようになりました。
昭和天皇の歌碑。

こんなトコまでえっちらおっちらよじ登りあそばされたワケでごじゃいまするね。
イマイチ天気がパッとしないので、下ることにします。
・・・・・・あ、ようやく陽が射してきた。
ド迫力の岸壁。
---ホンマもぉ、朝も早よから何ちゅうトコに登らせんの!?
---すんまへ〜ん。
閼伽流の名前の由来となったと言われる、崖から滲み出す泉の前で。

閼伽(あか)はサンスクリット語が語源で「清冽な水」を意味します。「アクア」と同じですね。
しかし、中では白骨死体となった巨大ガエルが沈んどる!!(笑)
すっかり晴れた境内に戻ってきました。

ちなみにここは奥の院で、本堂は山の麓にあります。
屏風上の岸壁の下には石仏がずらり。
ロケーションからして修験道の行場だったのかも知れませんね。
これが全景。
あちこちに狭いながらも平地があって、昔はもっと堂宇が建ち並んでたんでしょう。
鐘楼を見上げます。
謎の穴。
何ぢゃこりゃぁ〜?

胎内潜りには狭過ぎるし出口ないし、室か?・・・・・・ってケラれちゃったい!
実はかなり上までクルマで上がれるんで、そんなに行くのに苦労はしませんでした。

ただ、ボディ左右にスリ傷必至!(笑)。メチャクチャ狭い。
背中丸まっちゃってますね。

実は日陰に入るとちょっと肌寒かったりします。
樹の間越しに大岩壁は延々と続いています。
木の写真も好きなんですけど、良いのが撮れたためしがない。
下の本堂まで下ってきました。
ま、何の変哲もない村の寺なんですが、素通りするのも失礼な気がして、立ち寄ってみることにします。
フツーに本堂です。
お!かなり好い感じに撮れました。
綺麗に手入れされた境内の様子から、この近隣ではそれなりの古刹であることが伺えます。
これもナカナカ上手く撮れました。
・・・・・・狛犬って、絶対ネコですよね?
これが境内案内図。

画面右上が奥ノ院方向。
初夏の日らしい陽射しになりました。
朝顔にしてはシワシワしてるなぁ・・・・・・何だろ!?
これも何だか良く分かりません。

何かの作物?
狭い山道を越えて軽井沢に下り、早目の昼食にします。

「東間」という、軽井沢プリンスの対面あたりのちょと奥まったトコにあるお店。
天気も良いので、外のテラス席で。
何にしよぉっかなぁ〜、っと。
蕎麦屋にしてはモダンな感じ。
丹精込めて手入れされた中庭。
なかなかにスノッブな眺めではあります。
名物と言う牛蒡の唐揚げ到着。
サクサクして激ウマでした。
私の頼んだ盛り蕎麦(大)到着。

意外にボリュームあります。
ヨメの頼んだ納豆蕎麦到着。

しかしこの頃になると、大層な外車も次々到着(笑)。
後から調べてみると、このお店、軽井沢ではかなり有名な蕎麦屋さんみたいです。
そのまま、旧18号を下って寄り道することにします。
その名もアプトの道。

板谷峠なんかと並んで国鉄の最大の難所でした。そのためかつてはラックアンドピニオンのアプト式機関車が走ってたのです。
---またこんなトコ上がるの?
---ま、上は駅だしスグやんか。
熊ノ平駅到着。粘着式に改められてからの信越本線の線路もそのまま残ってます。

急勾配区間のため、アプト式レール廃止後も後補機は欠かせませんでした。
新幹線も高速道路もこの区間だけは大迂回しながら高度を稼いでいます。
変電所はもっと下にある丸山変電所の方が有名ですね。
それでは旧ラックレール区間に入ってみます。

トンネルが小さく見えるのは気のせい?
何てことはない、ひたすら次々現れる煉瓦造りのトンネルを通りぬけてくだけ。
こんな感じです。
冬の積雪を避けるためか、雪覆いになってるとこもあります。
昭和38年まではここをフツーに特急とかが走ってました。
雄大なアーチを描く橋も上から見ると良く見えない。
ISOを目一杯上げてもこんな感じ。
明かり取りに溜まった落ち葉が美しい。
こうして見るとえらい深山幽谷に思えますが、下は国道でクルマがけっこう通ってます。
あぶらだこのアルバムジャケットみたいになったな(笑)。
同じような景色が続き、下るほどに人も増えて煩くなってきたので引き返すことにします。
そう、熊ノ平と言えば戦後間もない1950年、大規模な山津波で多数の職員が殉職したことで知られています。。

当時、信越本線は交通の大動脈であり、最初の土砂崩れを一刻も早く復旧させようとして被害が拡大したのでした。

これはその慰霊碑。
変電所をバックに。

今でもちょっと手入れすれば使えそうな線路です。
やはり下から見上げないとアーチ橋は美しくないので、クルマに戻ってやって来たのは最も有名な、4連アーチの碓井第三橋梁。
こんなモンを明治維新から僅か30年後くらいに作ったんですから、昔の日本人はスケールがデカかった。
背後の柵が無粋ですね

それととにかく観光客だらけ。昔とは様変わりしてしまいました・・・・・・実はこのアングルとレンズの使い方は、ある方の作品へのオマージュです。
あとは横川の「おぎのや」で峠の釜めしを買って岐路につきました。

余談ですが、今回はISOオートのシャッター優先で撮ってみたのですが、結果としてはイマイチでした。私には絞り優先オートが合ってるようです。
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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