「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2010 厚木(午後)

次の温泉に向かう前にまずは腹ごしらえ、ってなワケで、駅前のラーメン屋にやってきました。

あらかじめリサーチしてた「らーめん二宮」というお店です。
おお〜っ!!

ものすごく丁寧、かつ上品に作られてます。ネギの細かさは他に類例を見ないほどに細かい。味の方も見た目どおりの繊細さで感動しました。

左に乗ってるのは三つ葉です・・・・・・お吸い物みたい(笑)。
ランチタイムでご飯はサービス。

上にかけてあるのはこの店自家製の食べるラー油。これがまた独特で激ウマ!
そして、上品極まりないラーメンとは裏腹のチョー過激な餃子。1個100円也。とにかくデカい。

どれくらい巨大かというと・・・・・・
・・・・・・これくらい(笑)。

皮の直径は13cmだそうです。
いや〜、世評どおりの素晴らしいお店でした。鶴巻温泉を訪問したら外せない1杯と申せましょう。
・・・・・・リンクしてます。
厚木から七沢鉱泉郷を越えてやって来たのは、以前から気になってたここ。

つげ義春の名著「貧困旅行記」の1章「丹沢の鉱泉」にも出てきた別所鉱泉です・・・・・・煤ヶ谷という地名も何だか侘しげ。
平凡な村の中の道を上がるとすぐに到着。

今は「元湯」しか残っていませんが、かつては3軒の旅館がありました。
細い川の横、道路から急なスロープを下がったところの狭い土地に半ばめり込むようにして旅館は建っています。

看板がなければ田舎の立派な家にしか見えません。
所謂「ボロボロ・倒れそう系」ではありません。
早速入湯。
何となくログハウスの内部みたい。
しかし、鉱泉でここまで広い脱衣場はあまり例がありません。

ただ、置かれた籠の数が現在の来訪者の数を物語っています。
混浴の浴室もまた相当広いものです。右側は鉱泉ではお約束の蓋。

洗面器が無闇に沢山並んでますね。
湯はホンの微かに硫黄臭の感じられる清澄なアルカリ泉です。
真冬だとちょとしんどいかな?くらいな、ややぬるめの湯温がこれまた絶妙。
入り口付近を望む。
湯船は片側が狭くなった台形状です。
岩積みと観葉植物の鉢のチープ感がいいですね。
入り口の横にはおそらく源泉と思われる水が落とされるつくばいがあります。
束子やネットがあるから逆にリアルなんですな、こぉゆうのは(笑)。
静かな午後の昼下がりらしさを出そうと、ストロボ無しの逆光で撮ってみたら真っ暗(笑)。
ここの浴室の良い所はとにかく隅々まで綺麗に掃除されてることです。

手入れが行き届かなくなって薄汚れて不潔な感じの鉱泉が多い中、これは特筆すべきことでしょう。
窓の外、すぐ目の前が件の狭い川になっています。

・・・・・・実はもうちょっとでコケるとこでした(笑)。
入り飽きしないお湯の典型例で、いつまでも入っていられる感じです。
思わずウトウトまどろんでしまうほどの心地よさ。
背後にあるのは風呂の蓋が撓って水没するのを避けるための伸縮式の物干し竿。

それから錆び水が漏れ出してきてるのを流してるところ。
唯一残念なのは、窓の外を工事現場のような足場とグリーンのネットで囲ってしまってることでしょう。

まぁ、対岸は数m先でいくらでも覗けてしまうので仕方ないことかもしれませんが・・・・・・。
よほど気に入ったらしくひじょうに上機嫌。

タンジュンやな〜。
しかし、かなり年配の老夫婦二人で経営されてるようなので、それでこれだけキチンと維持するのはとても大変だろうと思います。
・・・・・・あ!扉反対側やった。
素晴らしい佇まいの風呂でした。
その気になれば20人くらい入れそうな広さもGood!!
・・・・・・何?このスイッチ?

このとき初めてジェットバスなんてものまでが装備されてることに気付きました。実に意外。
浴室がそうであったように、脱衣場もピカピカに掃除が行き届いています。
それほど古い造りではなく、広さも充分あって男女別浴になってないケースはかなり珍しいと言えます。
断言はできませんが、まだできて30年は経ってないんぢゃないでしょうか。
出たところで1枚、チョキ!
簡素な効能書き。
奥に見えるのが女将さんです。

残念ながら今はもう日帰りのみで、宿泊は受け付けていないようです。
隣に広がる空き地にはかつて「渓間荘」という旅館がありました。上記の本では画像付きで素晴らしくボロい旅館だったことが記されてます。対岸は墓だし(笑)。

その頃に行きたかったなぁ・・・・・・。
全景。

なお、こっちの方の旅館についてつげはあまりいいように書いてませんが、個人的にはこちらも優れた資質を備えた宿だと思います。
川の対岸には別館・・・・・・
さらには離れまで存在します。

これだけの大きさの宿が眠ったように取り残されてるのは何だか実に勿体ない。
ひと山越えて半僧坊というところの先にある、塩川鉱泉にやってきました。

ここにもかつては3軒の旅館がありましたが、今は通り沿いの「こまや」のみが残り、残り2軒は廃業してしまってます。なお「こまや」はごく普通の観光旅館のようでパス。
これは最奥に位置する「滝の家」の廃墟。今はもう無人で荒れるがままになっています。手前の煙突の出た小屋が浴室。

もう一軒の「優喜山荘」は人が今でも住んでるみたいで、撮影は遠慮しました。
何でこんなものを撮ったのかっちゅうと、その本の中で彼はここを買うことを考えた、とあったのを想い出したからです。

なるほどたしかにいかにもな雰囲気のボロ宿です。
浴室の内部。

不気味なことに、ある日突然人が消えたかのように、干し物がそのままに残っています。昔、秩父で迷い込んだ鹿乃湯鉱泉の廃墟を想い出しました。
混浴の浴室も洗面器やバスマット等が散乱したまま放置されてます。

家に帰ってから知ったのですが、ここは旅館廃業後の一時期、某宗教団体に占拠されてアジトになってたらしいです。「某宗教団体」ってやっぱしオウ・・・・・・!?
薄気味悪い廃屋を後にして、さらに沢を上って行きます。
前日の雨で水かさはかなり増しています。
ここから先は山道です。
この渓谷を上がると滝があるのです。

かつてこの一帯は熊野系修験道の行場であったとの説明看板。
忽然と現れる歩道橋のような赤い鉄の橋。
それを登った所に忽然とありました。

丹沢山系は実は沢登りのメッカで、小さな滝が無数にあったりします。
大雨のせいでものすごい水量。暗い谷間に瀑音だか爆音だか、渓谷にゴーゴーと響き渡っています。

「貧困旅行記」では惨めな滝と述べられてましたが、全然そんなことはありません。
こんな滝に打たれようもんなら、修行がどぉのこぉの言う前に一瞬で流されてしまうでしょう(笑)。
元来た道をちょっと下って、別の方に上がったところに・・・・・・
つげがここで隠遁生活を送りたい衝動に駆られた、というお堂がありました。

なんだか後半は「貧困旅行記」を追認する旅になってしまいましたね。なかなか彼の呪縛からは抜け出せません。

ともあれフリダシがお堂から始まって、お堂で終わる・・・・・・お後が宜しいようで。

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