「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
1994 野上鉄道廃線の日

1994.03.31 新聞で野上鉄道が廃止になる記事を見て、何だか無性に乗ってみたくなり、和歌山の海南まで出かけました。
背後の案内図に温泉マークが見えるのですが、これを確かめるのを忘れました。恐らくこの時点ですでに消失してしまっている鉱泉ではないかと思われます。

生石高原もまたひと気のない寂しいところです。
すし詰めの電車で終点の「登山口駅」までやってきました。

何もないところです。
駅は機回り線が一本あるだけです。

スパンワイヤーで吊られた一本だけの電線が古めかしい感じです。
線路の先には廃車が突っ込まれて物置代わりになっています。本当は高野山にまで辿り着きたかったのかも知れません。
駅の一番はずれまで来ました。

な〜んか「到る所ボロボロ」っちゅー印象ですね。
色褪せたネガも、こんな荒廃した風景には却って似合う気がします。
広角レンズで撮ったような空漠な雰囲気の画面になりました。
駅前にはそれでもバスやハイヤーの車庫がチョロチョロかたまっていて、ローカル私鉄の終点の雰囲気があります。
まだ4ヶ月。首が据わってすぐの頃です。

こんなトコまで連れ回すか?フツ〜?
覚えてないやろうなぁ(笑)。
周囲は我々同様、廃線の報せに物見遊山できた人ばっかし。終点でしばらく時間をつぶすとそのまま乗って帰ります。

こんなに人でごった返すことなんて恐らく何十年もなかったに違いありません
「清酒地久」という地酒もすでに喪われた銘柄のようです。
線路はなくなっても普通会社は残るものですが、ここは鉄道廃止と共に「会社解散」という、ある意味、潔くも悲惨な末路を辿りました。
帰りもまたすし詰めで戻ってきました。
始発駅の「日方」にも人がワンサカいます。

JRの海南駅とは100mくらいしか離れてないのに別の駅名っちゅーのが妙です。

また走り出してすぐに「連絡口」なる接続駅(?)があったのに驚きました。
手前は紀勢本線の線路です。
木の架線電柱も最近はとんと見かけなくなりました。

コールタールが風化して白っ茶けた雰囲気がいいです。
ひきもきらずやって来る乗客を満載にして、また電車が出て行きます。

電車の横の看板には「ここが淡路かニースじゃないか」という、これまた時代がかってダサいコピーの旅館の広告が出ていました。「瀬戸内のエーゲ、牛窓」とか「関西の軽井沢・青山高原」なんかと同じノリですね。
動くのかどうか分かりませんが電車はかなりたくさん置いてあります。
でもどれもとにかくボロボロ。部品取り用なのかもしれません。
錆で真っ赤になったトタン波板の車庫がいい感じです。
今度はアーモンドチョコの広告電車が発車していきます。
こうしてまた一つ懐かしい風景はなくなって行きました。

しかし思えば、高野山以外に特に観光地があるわけでもなく、どだいその高野山のはるか手前が終点で、オマケに沿線人口も希薄なこの地域で、バブル崩壊後の90年代半ばまで鉄道が存続したことの方がむしろ不思議なくらいです。

感傷と郷愁だけでは、経済は回ってくれないものなのでしょう。
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