「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
DXっちゅうたら東寺のコトぢゃわい!


ITの色んなセミナーより、文字通り「ミのあるモノ」を見せてくれると思います(笑)。
余談だが、「A級伏見」「千中ミュージック」はどちらも今は無くなってしまったみたいだ。


https://monohyoka.hatenablog.com/より

 ・・・・・・世は「DX」時代なんだそうである。「DX時代の〜」ってアタマに付くタイトルのセミナーやら講演は星の数ほどあって、毎日のように案内が届く。中には金ピカの縁取りにロイヤルブルーとか、無理やり高級感出そうとしてるけどどうしようもなく安っぽい風俗店の内装みたいなのもある。

 ほぇ〜!何ぢゃそれ!?デラックスちゃうんかい!?と思って調べてみたところ、「デジタル・トランスフォーメーション」の略らしい。クルマが変形してロボットになるヤツか?って思いましたで、最初聞いた時は・・・・・・でもってさらに、んぢゃ「デジタル・トランスフォーメーション」って何どいや!?って調べてくとこれが何だか良く分からない。
 要は「Aiを中心とする新たなIT技術によって、世の中のあり方が根本的に変革されること」を指すらしいけど、そんなん既視感ありまくり、今まで何度も飽きずに繰り返されてきたムーヴメントやん、っちゅう気がする。おれには地続きにしか思えん。むしろムリクリに新鮮味を出そうとしてるだけだ。

 「DX」に驚いてたら、「UX」ってのもある、っちゅうやおまへんか。そぉいや秋葉原にたしかそんな名前のビルあったよな、と思って調べたらそれは「UDX」だった。「U」と「D」両方使われてるやんけ!変身だけぢゃなく合体までするんか!?ついでに言うとそのあたりの地下にはTX(つくばエクスプレス)の終点があるぞ(笑)。
 ・・・・・・茶々もクドいのは宜しくないね。「UX」とは「ユーザー・エクスペリエンス」の略らしいが、その定義を読んでおらぁDX同様、既視感に襲われた。ついでに言うと脱力感もあった。従来からある「UI(ユーザーインターフェース)」や「ユーザビリティ」ってぇのとどこがちゃうねん!?何のこっちゃない、要は画面の操作性ってコトを言い換えてるだけやん。大昔は「式次第」とか「目次」っちゅうてたんがケッコー昔に「コンテンツ」に変わり、今は「アジェンダ」っちゅうてんのと同じだと思う。

 ホンマもぉエックスエックスうるさいわ、Yoshikiかよ!?「紅」かよ!?おらぁセックスの方が好きぢゃわい!って言いたくなる。

 IT用語に「X」が使われ始めたのっていつだろう?90年代半ばくらいの「XP(エクストリーム・プログラミング)」とかが早い例ではなかったかと思うが、これにしたって要はクライアントとプログラマーが仲良く並んで座っていきなりパチパチ打って行きましょう、ってな内容だったと思う。そんなんエンドユーザー周りの小っちゃなユーティリティ作成には良いかも知れないが、基幹系のコア部分にはおっかなくってやってられんワケで、今から思えば何でもかんでもスクラッチ至上主義の最後の徒花だったとも言える。
 ちなみにこの言葉を巧みに剽窃したのが、パクリで巨大企業になった、まるでIT業界のナショナル(パナソニック)みたいなマイクロソフトであり、WindowsXPの名称にちゃっかり取り入れたりしてる。むしろXPっちゅうたらこっちを想い出す人の方が多いだろう。

 「XaaS」なんちゅうのもあったな。SaaS、PaaS、HaaS・・・・・・と「ナンチャラaaS」って名前が林立してワケ分んなくなってしまい、もぉめんどくせぇや!って流れになって、総称してXaaSってなったんぢゃなかったっけな?これもあれこれ勿体ぶった説明がなされてたけど、要するにネット回線がドンドン太く、高速化される中で、ソフトだとかサービスだとか、要る時だけどっかにあるのをピャッと借りたり回したりすりゃエエんぢゃね?ってなだけの内容だった。仮想化とかクラウドなんてのもこの流れの中にある。

 要はどれもこれも分かりやすく種明かしすれば中身的にはそんなややこしいワケではないし、突然変異的に生まれた大発明、ってワケでもない。上で「地続き」っちゅうたのはそぉゆうコトだ・・・・・・そりゃぁ開発の苦労はそれなりに付きまとってんだろうけどさ。

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 ・・・・・・思えば色んな言葉が泡沫の如く現れては消えてった。

 90年代の初めくらいだったろうか、「ファジー」ってのが呆れるほどいろんな分野を席巻した。平たく訳すと「曖昧さ」ってコトになるだろうか?エフェクターのファズも同じ言葉であり、踏んだらジージーモーモー、単音はともかく和音だとツブれて調性感がハッキリし無くなるトコから来てるらしい。
 それはともかくファジー、ちょっと極端な言い方をすると元は単純な「真」か「偽」かの二元論で出来てたコンピュータプログラムの世界に「真でも偽でもない場合」の判断を持ち込んだのがファジー理論ってヤツだ・・・・・・まぁ、結局は色んなパラメータから最後はそれなりに真か偽かに帰結するんだけどね。今のAiのハシリみたいなモンだった、と言えば良いと思う。一時は白物家電には何でもかんでも「これはファジーコントロールです」みたいなウリ文句が付いてた時代があったのだ。最近、何でもかんでもAi付けるのと全く一緒やね。扇風機とかクーラーとか冷蔵庫とか、何故か冷やす系のヤツに特に多かった気がするな。相前後して「1/f揺らぎ」なんてのもあったっけ。扇風機の風の強弱とか・・・・・・その効果を実感する前に、扇風機自体が世の中から随分淘汰されちゃった気もするけどさ(笑)。

 「イントラネット/エクストラネット」なんてのも今やほぼほぼ死語の世界ではなかろうか。90年代の半ば過ぎくらいだったかなぁ〜?何のこっちゃない企業内で閉じたネットか?外に開かれたネットか?ってなハナシだ。まぁますます巧妙化する攻撃に対するセキュリティの都合があるから、今でもシッカリ生き残ってはいるものの、用語として使われることはなくなったし、技術的にもVPNとか出て来てちょと古臭い気がする。

 「ユビキタス」なんてぇのも盛んに叫ばれた時期があったっけ。鱧か?犇めく俗塵の息、鱧の吐息か?・・・・・・ってそら「湯引き」やな(笑)。「遍在」ってな意味のラテン語らしい。「社会の至る所にコンピュータがあって、ネットにいつでもアクセスできる社会のこと」っちゅうんだけど、ギャーギャー大騒ぎする前にスマホ社会が到来しちゃってアッサリ実現してしまった。そいでもって到来したからっちゅうて、そこまでわれわれの生活が根本的に変わったか?っちゅうとそこまででもない。現代のネット回線を占有する情報の99%は、電話とTV、ラジオ、レコードやカセット、本や新聞・雑誌、そしてファミコンの代替に過ぎない。

 もっと良く分からなかったのは「Web2.0」ってのだろう。ハッキシゆうて花火はデカかったけど大ゴケした例ではないかと思う。これも実はそんなに大したコトは言ってない。「片道通行的な情報発信者と享受者の関係が、ネットによってもっと相互的になって、誰もがネットを通じて発信できる」・・・・・・力んで言うほどのコトちゃうで。
 あのさぁ〜、誰もが発信者、って例えば同人誌とかの形で遥か大昔から存在するやんか。70年代末、パンク/NW以降の自主制作やインディーズレーベル、或いはミニコミやファンジンの隆盛なんてのもそうだろう。提唱したティム・オライリーはそぉゆうコトも知らんギークやったんか?と言いたい。道具があって、それが社会のインフラとなったならば、表現行為に使われるに決まってるっちゅうねん。発信基盤にネットが使われるようになったのは至極当然の帰結であり、特別視するには全く値しないとおらぁ思う。

 忘却の彼方に消えちゃってるのも多いけど、探せばもっと出て来るだろう・・・・・・クダらないコトバの数々が。

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 何がクダらないのか?答えはカンタンである。「売らんがな」のための口上として濫用され、本質が骨抜きにされてるからである。そらまぁどれも最初に提唱した人はそれなりに大真面目に考えて使ったんだろうけど、それが商機アリってなって安易に再生産され消費され無力化されてるからだ。

 アタマ短く刈り上げてTシャツにラフなジャケットとか羽織ったジョブズもどきの如何にも業界な連中が、ペラペラとこうしたブラフでしかないコトバを使う、その耐えがたい軽さと腐臭には虫唾が走る。大体、パンフとか募集サイトでは腕組みして斜め45度で写ってたりする・・・・・・ラーメン屋でもやってるのか!?前掛け締めてにタオル鉢巻しとけ!って(笑)
 アタマはみんな良いんだろうけど、ドイツもコイツも舌先三寸でラクして儲けてやろうって魂胆が見え見えで、実に胡乱でいかがわしい。ガマの油売りやバナナの叩き売りの口上、あるいは見世物小屋の呼び込みと何ら変わるところがない。彼等は現代のネット社会に跳梁跋扈する香具師であり、セミナーとはただの見世物小屋なのだ。もぉこうしたスカして実は何ら実体のないコトバで人を誑かすのはいい加減止して欲しい、って切に願う。

 「DX」っちゅうたらなぁ〜、京都あたりでは老舗ストリップ劇場・「DX東寺」のコトぢゃわい!だぁっとれボケ!エエカッコすんな!シバき倒すど!コラ!・・・・・・な〜んてね。

2021.05.30

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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