「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
私のパソコン遍歴


これが「タッチおじさん」。坂田利夫の声でTVCMもありました。

http://blog.livedoor.jp/より

 年末来まとまった時間が出来たんで、バチバチにキーボードを叩きまくってる。

 世間ではパソコンのキーボードを打てる人が減少中らしい。理由はカンタンで、スマホが一般化して「フリック入力」が一般化してしまったからだ。ちなみにガラケーの入力方式は「トグル入力」と呼ばれる。初めて知りましたわ。
 おれも外ではスマホ使ってるんだけど、家でのいろんな作業はやはりマウスやPCのキーボードがないとやり辛い。大体、スマホもタブレットもブラウジングには向いてるけど、そこからゼロベースで何かを作るには画面も小さくてちょとしんどい。「クリエイティヴなツール」だとか何だとか言われるけど、瞬間芸的にパッと写真撮ってインスタに上げたりとかならまだしも、腰落ちつけて何か一から作るにはどうなんだろう?個人的にはかなり懐疑的に見てたりする。それに大体おれは眼がとても悪いんで、あの小さい画面だと仕事にならんのである。だからこれからも、余程のことがない限り家ではPCを使い続けるだろうと思ってる。

 御大層に「遍歴」ってタイトル付けてはみたものの、そんなに沢山のPCを乗り換えて来たワケではない。今で4台目だ。こんなモンただの道具なんだし、動画系に興味がないからそれほど高いスペックも必要ないワケで(DTMに本格的に取り組むんならそれなりに必要だろうが・・・・・・)、わりとフツーのモノばっかし使って来てる。

 初めてPCを見たのは、学生時代の下宿で3つほど上の理系の野郎が部屋に置いてたのだ。懐かしのNEC”PC98”シリーズだったような気がする。まだまだ黎明期で、ごく一部の好事家が買うくらいで、各社独自のOSで頑張ってた頃だ。ブラウン管に箱のくっ付いたこの謎の道具(?)に一体全体それにどれだけの可能性があるのやら、アホなおれにはサッパリ見当が付かず、本人が組んだとかいうノロノロ動く魚雷作戦ゲームか何かを見せてもらった記憶がある。

 会社に入って初めてPCが仕事に使えるモンなんだ、ってことを知った(笑)。それまではおらぁてっきり、高度な電卓あるいはTVゲームするための箱くらいに思ってたのだ。そんなナサケない状況だったものの、見よう見真似でやってみるとこれがナカナカ役に立つ。しかしながらコイツ、とにかく気が利かない野暮天だから、言った通りのことしかやれず、細かく指示してやらないとマトモに動きもしない厄介者ではあった。何度無限ループさせたり、アベンドさせたり、ディスク溢れさせたりして半泣きになったことか(笑)。昨今悪い意味で使われる「忖度」ってコトバがあるけれど、当時はPCにもうちょっと忖度の能力があれば良いのになぁ〜、っておれは真剣に思ってたくらいだ。でもそんなアスペルガーみたいな存在とは申せ、チャンと動かしさえすれば人力の全く及ばないレベルで計算とかしてくれる。
 まだHDDの容量が数十MB、バックアップはいちいちフリスビーくらいある8インチFDに取ってた時代の話だ。通信系は「パソ通」なるものが登場するちょっと前だったような記憶がある。プリンターはドットで、高速でジーコジーコ印刷するとパソコンデスクがグラグラ揺れて、自身の振動で吹っ飛ぶんぢゃないかと不安になったものだ。

 そんなんだったから、個人でPCを持とうって気持にはならなかった。まだまだ買えば高かったし、人によってはワープロでパソ通やって悦に入ってるケースも多かったが、おれ自身はそこまでの必要を感じてなかったのだった。
 その後、FDは5インチ、3.5インチとどんどん小さくなって行き、いつの間にか消えてしまった。プリンタもレーザーだ、オールインワンの複合機だ、とどんどん進化して行った。本体だって容量の等比級数的な増大とは裏腹にどんどん小さくなってった。値段も劇的に安くなった。

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 初めてPCを個人で買ったのは随分遅く、東京に来てからのことだった。98年の春頃だったように思う。スケルトンのオニギリみたいな初代”i−Mac”が爆発的に売れ、そのパチモンでウィンドウズベースの”e−One”っちゅうのが今は亡きソーテックから登場し、これまた売れまくったんだけど、その少し前くらいだったかな?
 時代は既に完全にDos/Vに移って国産OSはどれもポコペンになり、今の隆盛が信じられないほどAppleは低迷し(起死回生のi−Macの大ヒットが無けりゃヤバかったかも知れない)、Windows3.1から始まったMicrosoftの寡占状態が一層進んで我が世の春を謳歌してた頃だ。インターネットも大分と一般化しつつあった。

 何がそう決心させたのかは分からないけど、ある日思い立って秋葉原の電気街を一日ウロウロして、金がないんで富士通のデスクトップ機(!?)を、それもあろうことかお持ち帰りで買ったのだった。理由はそうするんがいっちゃん安かったからだ(笑)。たしか現品特価で7〜8万円だったと思う。どうでもいいような「タッチおじさん」のオマケソフトが付いてたのだけはハッキリ覚えてる。
 爆買い中国人の大量の荷物を嗤う資格はおれにはない。電車の中で巨大な段ボール2個を他の乗客の冷たい視線に耐えながら、疲労困憊、腕が抜けそうになりつつ家まで持って帰ったのだった・・・・・・あ!最後、駅前で力尽きてタクシーに乗ったっけ。
 ともあれそこからおれのインターネット生活が始まったワケだけど、如何せんアナログのダイヤルアップで56kbps、実効速度はその1/10も出ないっちゅう劣悪な環境ではどうにもならない。テキストはともかく、ちょっと大きな画像だと、まるで日光写真かあぶり出しのようなジワーッとした速度で表示されるありさまだった。動画なんてモンはまだ一般化してなかったかな?

 何年使ったんだろう?とにかくまだその当時はホンマにお金が無くてなくて、ウィルス対策なんかも満足に出来ず、我ながら実にヒドい使い様だった。個人の机代わりにしてた半間の押入に鎮座して、たまに何か打ったり、調べものしたり、エロサイトみたり、ってな使い方だったように思う。

 次に買ったのがDELLの”Inspiron”ってノートブックだ。それを選んだ理由もスペックのワリに安かった、それが一番である。富士通のデスクトップが壊れて、これまた秋葉原に出掛けてDELLの直売店で現品値引きになってるのを買ったのだった。当時はBTOっちゅうんでしたっけ、お客のオーダーで好みにカスタマイズしてくれる路線でDELLやらGATEWAYなんかがブイブイ言わせてた時期で、国産機にあまり元気が無かったのも選んだ理由の一つだ。OSはXPだったと思う。
 このマシンは能力も高くてとても使いやすかった。このサイトを始めたのもコイツを入手してしばらくしてからだ。ただ、HDDやら冷却ファンといった駆動部がも一つ洗練されてないパーツを使ってるせいなのか、音はブンブンギュンギュンやたらと勇ましかった。それと、液晶がマット画面なのはホビーユースのPCとしては何だかとてもチープでイケてないように思えたのも難点のど飴だったかも知れない。
 オマケに分かってて買ったとはいえ、ノートブックとは思えない巨体で可搬性は最悪だった。だけど、出張等で出掛ける時もけっこう持ってってホテルとかでサイトの駄文をこれでバカバカ打ってたのを想い出す。実際、2005〜6年頃のギャラリー見てもらうと分かるが、旅先で登場してたりもする。

 このマシンは本当にプライベートでのPCの活躍の場を拡げてくれたように思う。途中でバルク品のメモリを積み増ししたりしながら、かなり色んなことに使った。しかしあまりにあちこち持ち運んだのが良くなかったか、それとも価格相応にパーツが安物だったからか(笑)、やはり5〜6年で壊れてしまった。あまりハイスペックの買っても寿命に大差はないんだなぁ〜、ってコトをおれは理解したのだった。

 次のPCは会社の詳しい人に聞いたりして東芝”DynaBook”にした。ハーマン・カードンのスピーカーを使ってるのがウリとかいう、結構スリムでオシャレなデザインの白い筐体のヤツだ。ハイエンド機ではなかったが下の方でもなかったと思う。これまた秋葉原で、寒い時期に何軒も回って、夏モデルが現品特価になってるのを買った記憶がある。それをさらに値切ったら外付けHDDとUSBメモリ2本をオマケで付けてくれた。何のかんので店は現金キャッシュやクレジット一括が大好きなんだろう。

 コイツは・・・・・・ぶっちゃけ大ハズレだった。ついでにいうとOSも悲運のVISTA、そう、起動音をフリップ翁が手掛けたっちゅうアレ。もちろん個体差もあったんだろうけど、何だか初めからイマイチな印象が残る不思議なマシンだった気がする。ハーマン・カードンもこんな筐体にねじ込んでちゃぁさほど威張れる音が出るワケもなく、取って付けたようなチグハグさだけが残る気がした。
 実際、3年くらいしか持たなかったのではあるまいか。北海道に行ってすぐに動作がおかしくなってブラックアウトやブルーアウトが頻発し、あえなくスクラップの憂き目に遭うことにとなったのだった。そんなんでおれの東芝に対する印象はひじょうに良くない。

 それで慌てて月寒のヤマダ電機に行って買ったのが、今も使ってる富士通の赤いマシンだ。OSはもちろん7。

 買った、っちゅうのは正確ではないな。事実上「タダで貰った」に近い。2年シバリで光の契約その他あれこれしてくれたら事実上ゼロ円でっせ、っちゅうんで、急いでたのもあって「何でも良いっすわぁ〜」とか言ってサッサと決めちゃったのだ。赤い筐体なのも別に希望したワケではなく、赤しか残ってなかったからである。ともあれ住むようになったマンションは回線が無くって、シッカリした通信環境欲しいなと思ってたのもあって好都合だった。
 同時に何か明らかにIT弱者の足許見たような有料サービスを一杯付加させられたんだけど、チャンと店員が「これは何ヶ月後に忘れず解約してくださいね」な〜んてレクチャーしてくれる(笑)。ひでぇ商売もあったモンだ。そんなんで回線使用料だけで本体はチャラ。
 結局、ほぼ2年シバリくらいの期間で東京に戻ったんで、アシが出ることもなく、未だに自宅のおれのデスクの上にはコイツが乗っかってる。何だかんだでもうまる7年以上使ってる。思えば、地味だけど富士通の製品が結果的には長持ちしてることが多い。とは申せ、間もなくWindows7の保証も停止するし、いい加減HDDの耐用年数も超えてるんで、次のを検討すべき時期が来てるのかも知れない・・・・・・って、世の中オフィスユースを中心に、まだ相当数のXP機が残ってるとも言われてんだけどね。

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 これまでの経験則からすれば、調子が悪くなってから次の代替機を買っても手遅れでバタバタさせられるばっかしなんで、早目に思い切ってリプレースを考えるべきなんだろう。とは申せ、特段の不具合もないのに新しいのに買い替えるのもムダっちゃムダだ。この辺の時期の見極めがむつかしい。

 おそらくこれからのPCの世界はますます棲み分けが進んで行くと思われる。今のおれの用途で最もスペックが求められるのは画像の整理や加工、あとヒマが出来ればやろうと思ってる音楽制作あたりだと思う。アナログなソースはとにかく重いのだ。一方、こうしたサイト作成なんかではそこまでのスペックは必要ないんで、PC使わなくちゃいけない積極的な理由にはなりにくい。
 あと、どうしてもPCでなくちゃっていうのはなんだろう。ホンマ冒頭で書いたようなキーボーやマウス、画面の大きさくらいしか最早残ってないのではあるまいか。

 思えば寂しい時代になったのかも知れない。 


あ〜、これこれ。中古で今でも2〜3万円で売られてる。

2019.01.03

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