「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
金魚考・・・・・・あるいはペットの本質

 小学校低学年の頃、金魚にハマっていた時期がある・・・・・・といってもさほど裕福な家でもなかったので、金魚すくいで取ってきた小さな緋鮒のようなコメットや出目金を味付け海苔の瓶で飼って、小遣いを貯めてせいぜい流金を加えるぐらいが関の山の、実にささやかな内容ではあったけど。

 実際に飼えないフラストレーションの埋め合わせは、もっぱら本で賄われた。そしておれは金魚というものが、中国に起源を持ち、極めて洗練された畸形愛好趣味なのだ、ってコトを知った。

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 理由は知らないが、鮒は突然変異が極めて起こりやすい生き物らしい。それを体験的に利用して、実に執念深い永年の交配と淘汰を繰り返して作り出されたのが金魚である。さすが纏足を生み出した国である。快楽のためにはナサケ容赦しない。

 例えば「頂天眼(チョウテンガン)」ってーのがいる。これがどうして作り出されたかというと、深い深い甕の底に少しだけ水を入れて、その中で何世代も金魚を飼い続ける。甕の中は暗く、光が上からしか射さないものだから、目が光を追い求めて上の方ばっかり見てる。すると、何代目かで突然変異が起きてこんなんなっちゃったのである。


ひょ〜、フツーぢゃねぇよぉ〜!

 後年、所用でとある大学の研修センターに行ったら、ロビーに美しい彩色がされた巨大な清朝の甕が飾られてある。中を覗いてみると、果たして底にはこの頂天眼の群遊が描かれていた。ともあれ、親の因果は子に報う、のだ。つるかめつるかめ。
 さらにこれがもっとハードコアになったような「水泡眼(スイホウガン)」ってーのもいる。どんな処置を施して創り出されたのかは残念ながら知らない。目の下の巨大な袋は、角膜がふくらんだものなのだそうな。


アイヤヤヤ!の水泡眼

 まったりと間延びしたアコースティックサウンドで、「イカ天」出身バンドの中でも異色の存在だった「たま」に「らんちう」という曲がある。ま、彼らのほとんどの曲がそうであるように、毒と暗いオブセッションを詰め込んだ歌詞で、よくこんなものが企業CMに採用されたなぁ、って思うのだが、目の付け所の鋭さには恐れ入る。
 このタイトルとなった「卵虫(ランチュウ)」こそは、「金魚の王」とも言われる畸形趣味の極限のような存在だろう。名前からして因果のカタマリのような名前だもんなぁ〜。サカナのクセに「タマゴのムシ」なんだもん。ちなみに「蘭鋳」という字も当てられるが、どうやら後付けのようだ。

 コイツはちなみに何と「メイドインジャパン」である。江戸時代、中国から輸入した原種にさらなる劣性遺伝を繰り返させて創り出されたのだ。詳しくは「らんちゅう宗家」というところのホームページ(http://www.ranchuu.com/)を見て欲しい。かなり笑える。


まさに日野日出志の世界だな(笑)

 ランチュウは、欠損した背びれの具合、湾曲した背中の丸さ(つまり背骨が曲がってるんです)、顔を一面に覆うコブの発達具合といった、畸形性そのものがその価値のポイントであると同時に、その不具ゆえのユルユル・クネクネした優雅な泳ぎ方が、ルックスと同じくらい重要なポイントでもある。そう、マトモにスイスイ泳げないのだ。これを反自然、人工と言わずしてナンと言おう、ってカンジ。
 そんな有様だから当然、ランチュウはもちろん最初に掲げた連中も自然界で自力で生き延びることが出来ない。虚弱でもあって、飼い主の庇護の下で細心の注意を払っていないと、たちまち病気になって死んでしまう。そ〜ゆ〜風に創られて来たのだから仕方ない。

 余談だが国産系グロ金魚には、ゴージャスさではランチュウをしのぐ「オランダシシガシラ」(中国からの密輸説もあり)や、それをさらにカラフルにしたような「アヅマニシキ」、何でこんなコトが起きるのかサッパリ分からないが、鼻腔の中の襞が巨大に発達して飛び出した「ハナブサ」なんてーのがいる。

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 ガキのおれはそうした金魚の学習を通じて、直覚的にペットの・・・・・・否、サディズムの本質を知ったのだった。愛玩とは、拘束し、生死活殺を握る徹底的な支配/被支配の関係(・・・・・・むろんそれは同時に、外見とは裏腹のねじれた依存関係である)の中にあって何がしかの抽象的な世界を目指すものであること、強固な意思や努力、忍耐力が「双方に」必要なこと、被支配の側にはグロテスクとも言える突出した特異性、改造、刻印が不可欠なものであることなどを、けっして言葉でもって可視化できたわけではなかったが、理解したのだった。

 畢竟、心の底から愛でられ、弄ばれ、「生死を握られる」からこそペットはペットなのだ。そして金魚はなんの意思表示も出来ないけれど、人間においては、ポジティブに金魚であることを望む人や、金魚のようになっていくことで、その能力や魅力をより引き出せる人がいて、そのペットの側の意志の力によって、抽象の世界の果ては目指しうる。。


 ----削除された最後の章では、Oはふたたびロワッシーへもどり、そこでステファン卿に捨てられるのである。
    Oの物語には第二の結末がある。つまり、ステファン卿に捨てられようとしている自分を見て、彼女はむしろ死ぬことを選んだ。
    ステファン卿もこれに同意した。(澁澤龍彦訳)


 フランス地下文学の金字塔、ポーリヌ・レアージュ「O嬢の物語」のラストは異常に素っ気無い。おれはフランス語にはまったく疎いし、意外に「超訳」が多いといわれる澁澤なので、原文が本当にここまで素っ気無いのかは良く分からない。いずれにせよ、素っ気無いのは「眼球譚」のラストを意識した結果であることは明白だが、ともあれペットのOはラジカルに死を望み、主人であるステファン卿は最後まで飼い主として厳しく、そして繊細に振る舞い、それを「許可」するわけである。主従の信頼関係の極致だろう。
 有名な話なので詳細は書かないが、譲渡され、徹底的に奴隷として扱われ、鞭打ち、アナル拡張、ラビアピアス、臀へのブランディング、全身剃毛、公然露出・・・・・・とあらゆる虐げを受容しながら成長し、美しく、またエロチックに変容して行ったOに、しかしながらこの最期は実にふさわしい。

 ・・・・・・ところで、よくこのようなM女性を「犬」と称する。「主人への忠誠」、「首輪による拘束」という点では分からなくもないし、今年の干支は「戌」だし(笑)、その線でまとめても良かったのだが、どうにもおれの主観では、犬はどうにもモディフィケーションの香りに欠けるし、何か健康的だし、あまりにステロタイプに記号化されてしまっているし、でピンと来ない。
 金魚と同一の地平で語りうるのを強いて挙げるならば、同じく中国の作り出した、これまた畸形の香り漂うパグくらいのものだろうか。

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 おれの金魚道楽は1年くらいで終わった。どうにも水の交換が生臭くてイヤだったことに加えて、大きく育ちすぎて海苔の瓶ではだんだん手狭になり、運動不足が祟ったのか、一匹死に、二匹死にして、さりとて大きな水槽を買いなおすだけの財力もなかったためである。所詮はアホなガキの、移り気な手慰みだった。

 再び金魚を飼おうかと思っている。あえて蛇足を承知で付け加えさせていただくならそれは、双方の冷徹な意思で固められた観念の水槽を泳ぎまわり、成長し、さまざまなメタモルフォゼを受容しながら畸形的に美しくエロチックに輝いていく、人の似姿の金魚であることは言うまでもない。飼えば、今度は永くゆっくり育て上げながら愛玩するだろう。

2006.01.27
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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