コーチャンのこと |
おれとコーチャン・・・・・・もう半世紀以上も前の色褪せたセピア色の写真。
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先日、母方の一番下の叔父が旅の途中、ワザワザ遠回りして我が家に立ち寄ってくれた。
親子兄弟でけたたましく憎み合うばかりだったあの奇妙な一統の中で、唯一の戦後生まれでオットリ育てられたおかげか、この人だけは例外的にたいへん穏やかで優しい人柄だったりする。そんなんだから見苦しくも浅ましい他の兄弟や親の行状に心を痛めて、どうにか仲を取り持とうとあれこれ腐心してた時もかつてあった・・・・・・残念ながらその誠実で痛々しい試みは、全くもって首尾よく行かなかったのだけれども。
実のところ、この人とおれは昔からそこまで親しかったワケではない。なぜなら彼は就職で早くに大阪を離れ、遠く離れた地方で結婚して家を構えてたし、上述のような努力で足繁く大阪に戻ってくるようになった時には逆におれが東京に出ちゃってたからだ。そんなんで交流は永年ほぼ途絶えてたのだった。想い起せば前の前に会ったのが祖母の葬儀だったから、もう30年以上前のことになる。エエおっちゃんやけどもぉ二度と会うことも無いかもなぁ~、と思ってたのが、十何年前に母が亡くなり、律義に葬儀やらその後の納骨に足を運んでくださったのがキッカケとなって数十年ぶりに交流が生まれ、年賀状やメールのやり取りをするようになって今に至ってる。
聞けば今は悠々自適の生活で、自宅を処分して古い小さな賃貸のアパートに住民票だけ置いてたまに郵便なんか取りに寄りつつ、山奥の別荘が普段の住まいだったりする。しかしそこもそんなに常駐してるワケではなく、基本奥さんと二人で気儘に旅を続ける半ばノマドな日々を過ごされてる。
こちらのハナシはこれまたとても面白く、そのうちまた駄文にまとめられたら、と思ってるのだけれども、今回は母方の親戚筋の消息のあれこれを聞く中で知り得たことと、自分の想い出バナシを書こうと思う・・・・・・例によって例の如く極私的な内容で申し訳ない。
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おれより2歳上の従弟、何話か前にも登場した母親の一番上の弟の子にあたるコーチャンは、従弟たちの中でも特に仲が良かった。家が近所だったのと、どちらも一人っ子だったのが大きく影響してる気がする。おれの家は杭全町、彼の家はたしか平野の西脇の方で、小さい頃は良く行き来してた。それとまぁやはり、平たく言えばガキなりにウマが合ったんだろう。
田島の祖父母の家に行ったらたまたま来てて居合わせた、なんてぇことも良くあったっけ。そんな時、おれたちは祖父から200円づつ小遣い貰って裏の商店街に何やかんや買いに行ったりするのだ。現代の水準なら千円貰うくらいな感じだろうか。
思い起せば、ガキの遊びの最初の手ほどきの大半をおれは彼から教わっている。ベッタン(東京で言う「メンコ」)しかり、ビーダン(ビー玉)しかり、キャッチボールしかり、コマ回ししかり。遊びだけではない。駄菓子屋や屋台で買物するときの店主との口八丁手八丁の交渉術なんかも彼から初めて教わった・・・・・・コーチャンとの付き合いが無かったら、間違いなくおれのガキの頃の生活は、もっともっと偏頗なものとなってたろう。
おれの眼から見たコーチャンはだから、「何でも出来て、何でも持ってる」子供だった。大袈裟に言えば羨望と憧憬の対象だったワケだ。何やらしても器用にこなすし、家業のおかげあって家にはオモチャが溢れ返ってる。愛嬌もおれより断然ある。母親からはよく「コーチャン見てみ。要領エエやんか。アンタももっと要領良ぉせんと」などと窘められてた。
比較されるのは子供心にもいささか面白くはなかったけれども、だからと言って他のヤツならともかく、不思議と彼に対してだけはいっかな敵愾心や嫉妬心が起こらなかった。理由は分からないが、おれの中では彼が絶対的な兄貴分とか師匠のような存在だったからだろうと思う。
そうだ。そんなおれだったが、何がキッカケきっかけだったか忘れたけど、一度だけ大喧嘩になってシバいたことがある。多分おれは4つか5つだった。それくらいでの2歳の差は体格的にはかなり違ってたろうに、どうしたハズミかその日はおれが勝って、コーチャンを大泣きさせたのだった。
ハナシはそっからだ。何でそんな言い方をしたのかは良く分からない。ひょっとしたら言い伝えでもあったんかも知れないが、ともかく母親はおれを叱るのに「アンタ!そんな年上のコ泣かすようなことしたら地震来んねんで!」などとマコトに奇妙なことを言ったのだった。
・・・・・・そしたらホンマに直後に地震が来たのである。そんな大した揺れではなかったとは申せ、たしかに揺れた。その時に感じた恐怖はナカナカで、今度はおれが大泣きする番だった。ともあれそんな体験もまた、彼を一種の稀人として見るようになった理由の一つと言えるだろう。
おれが小学校に上がる少し前くらいに我が家は富田林に引っ越してしまったのと、彼がボーイスカウトだかカブスカウトだか知らんけど、あのアフリカ探検隊みたいなカッコにストライプのマフラーしたアレに入ったことで、今まででのようにしょっちゅう顔を合わすようなことは無くなった。
でも、たまに会うと、その日曜ごとの訓練みたいなんがどれだけハードかを、ボヤきのようで実はちょっとドヤ顔で聞かされたりもしたものだ。あちこちから加入した子供たちと集団行動で、ロクすっぽ寝ないで何十キロも歩かされるとか聞いて、そんなんで鍛えられてるってスゴいなぁ~、それも近所の知り合いでもない遠くの子らと一緒に遠くに出掛けて行くんだもんなぁ~、とこれまたちょっと羨ましく思った記憶がある・・・・・・集団行動がからきし苦手なガキだったクセにね、おれ(笑)。
繰り返しになって申し訳ないが、当時爆発的に流行したマジックヨーヨーも彼はアッちゅう間に習得して、大会で優勝して日本一になったりなんかして、その後何度かTVに出たりもしてた。
遊びに行くと何度も目の前でワザのあれこれを実演してくれたもんだ。最初のウォーミングアップである「大回転」から後の順番は忘れたけど、「犬の散歩」、「犬の噛み付き」、「東京タワー」、「綱渡り」、「ジェットコースター」なんてワザの名前は今でも憶えてる。まぁ当然ながら家にヨーヨーは売るほどあるワケで、おれもいくつか貰って教わって2つか3つのワザは出来るようになった。
要は彼は、とても身近にいる「勉強も運動も遊びも、ぜーんぶできる万能選手」だったワケだ。おれはずっとそう信じてた・・・・・・ってガッコの勉強については話したコトなかったけど、それだってきっと成績優秀に違いないって思い込んでた。まぁ、そう思い込んだのは、彼のオカンのせいでもあるが。
彼女は歳も近くて同じような一人っ子ってコトからだとは思うが、ナゼかうちにミョーにライバル心を燃やしており、おれの母親にどれだけ息子のコーチャンが親孝行な良い子で優秀か、会う度に色んなことを吹聴してたらしい。今でいう親バカゆえの「マウント」っちゅうやっちゃね(笑)。逆にうちは、一種の自虐ネタばかりで切り返してた。ハハ、おれのトホホな自虐ボケのクセは血の為せるワザなんだろう。
思えば色々問題だらけの我が両親ではあったが、ありがたいことに二人ともそぉした我が子自慢は一切しなかったのだけは、ナカナカの見識だったと今になって思う・・・・・・いやまぁ、マジでおれにはあんましホメるべき点が無かっただけなのかも(笑)。
おれが中学に上がり、件のモーレツ進学塾に通わされるようになった頃、コーチャンは中3となり高校受験が間近に迫っていた。もぉおれ自身が朝から晩までひたすらパッキパキに勉強の、シャレにならんような忙しさで、昔のように顔を合わすことは殆ど無くなってたけれど、直接聞いたのか仄聞なのか、母親が情報仕入れて来たところでは、彼は受験が近付いても件のナンチャラスカウトには欠かさず通い、今や年長者として世話役なんかもやりつつ、さらには陸上部で頑張ってたりなんかもして、それで学業も両立させてるとのことだった。母親曰く「天高か、高津受けやるみたいやで~」と聞かされ、何だかんだで一本足打法しかできないおれと違い、やっぱしコーチャンはスゴいんやなぁ~、とおれはタンジュンに信じ込んでた。
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別段、良い学校に行くことばかりが人生の最適解であるワケではないとは申せ、それでもコーチャンが進んだのが、偏差値その他によってヒエラルキーが綺麗に輪切りになった大阪の公立校の中で、どちらかというと中の下くらいな学校だったと聞いた時、おれはひどく驚くと共に、いささかガッカリした記憶がある。ぶっちゃけちょっと裏切られたような気持にさえなった。事情は分かる。スベリ止めの安パイの私学に落ちて、よくあるパターンで保身のカタマリのような進路指導の先生が自分の評価のマイナスにならんよう、受ける公立のランクを下げさせられたらしかった。
2年遅れでおれも高校生になったのだが、それがなまじ進学校だったせいで、それが結局彼の家とさらに疎遠になる一因にもなったのは間違いない。こっから先はあまり書きたくないが、翌年、彼は大学受験にも失敗する。今みたいにどっかには必ず引っ掛かれる時代とは異なり、幾つ受けようがガチで全滅するときは全滅する。あろうことか二年目も雪辱は果たせず、流石に二浪はマズかろうと思ったのか、大学は諦めて専門学校に進んだのだった。息子自慢のあのオカンからしたら、それは耐え難い屈辱だったんだろう。たまの慶弔事で顔を合わせても、マトモに口きいてくれなくなったっちゅうんだから穏やかではない。いやホンマ、大人げ無さすぎやで、オバチャン。
こうして紆余曲折はあったものの、しかし彼はキッチリ卒業/就職した。ケッコー専門的な技術職で引く手あまたで食いっぱぐれることがない上に、ナカナカ良い待遇らしかった。一方のおれが大学生という名のプータローでひたすら惰眠を貪ってた頃と重なる。
そのうち順当に結婚もした。うちでは既に母親が色々本格的におかしくなりかけており、仕方なくおれが両親の名代で披露宴に出席した記憶がある。当日、何せコーチャンは結婚式の主役であるからして、さほど彼と旧交を温めジックリ話し込めて・・・・・・などとは行かなかったものの、想い出バナシやら近況やらまた会おうや~、ってな会話をチョコチョコ交わした。そして、その後すぐに河内長野に家も建てたんぢゃなかったっけ。
さらにしばらくして・・・・・・って、その時おれはもぉ東京の人になっちゃってたが、彼がアマチュア写真家として結構あちこちのローカルコンテストに入賞しまくってるなんて話を、帰省の折に聞かされた。血は争えないっちゅうか、母方の祖父が若い時分、写真にドハマりしてあちこちのコンテストで入賞してたのとよく似てる。
そんなんだから彼はフツーに幸せで、そこそこアッパーミドルな生活を手に入れたんだろうな・・・・・・くらいに思ってた。
いつだったろう?たしか、写真コンテスト云々の話を聞いた時からそんなには経ってなかった。ワザワザ夜に電話してくることでもあるまいに、ある日、母親がいつもの盛りまくりの大袈裟で素っ頓狂な調子で「コーチャン、ヨメさんに逃げられたんやてぇ~!」なんて伝えて来たのだった。
まるで現場にいたかのように、「あんなぁ~!コーチャン家帰ったら、家ン中スッカラカンなっててなぁ~、そんでおでん(←テーブルのこと)の上にポンッて5万円だけ置いたぁったんやてっ!あと、何もあらへんようなっててん!」などと言う。
細かいディティールの真偽はともかく、しかしどうやらある日突然、妻が家から出て、そのまま戻って来なかったのは事実みたいだった。その原因までは聞いていない。
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------あの、コーチャンはどないしてはります?奥さんと別れた、っちゅうトコまではワタシ、聞いてたんですけど・・・・・・。
------ん!?あぁT兄さんトコのな・・・・・・T兄さん亡くなったんは知ってた?
------あ、それは母から聞いてます。
------それでなぁ、その後K子姉さん(コーチャンのオカン)も亡くならはって。
------そぉだったんですか?
------何時からかはボクも知らんけど、コーチャン、あの平野の家に戻って親と暮らしてた。
------え?ぢゃ、河内長野は引き払って?子供さんとかは?
------おらんかった。
------たしかに・・・・・・そぉいやこれまで聞いたことなかったかも。
------そう、そんで・・・・・・エエ話違うから言いにくいけど・・・・・・コーチャン、あの家で孤独死しはった。
------!?
------K子姉さんの後、ワリとすぐやった。
------・・・・・・。
------もぉ、「T」の苗字継ぐところもなくなったね。僕のトコもS兄さんのトコも女の子ばかりで、みんなもぉ苗字変わってるし。
------・・・・・・。
------泉南にT兄さんが建てた墓どうしよか?ってS兄さんとも話してる。 ------・・・・・・。
・・・・・・コーチャンよ、おれたちがしょっちゅうツラ突き合わせてたのは小学生になるかならないかまでだった。半世紀以上も前だ。だからその後のアンタの人生に何が起こってたのか、ホンマはどんな風に育ってったのか、どんな人格が形成されたのか、或いは変貌したのか、実のところおれは知ってるようで何一つ知らない。ほぼ全ての直接的な記憶はガキの頃で止まってる。それは確かだ。あとは仄聞ばっかしだ。
「勝手に美化するなよ!」って怒られるかも知れない。でも、少なくともおれの記憶の中でのアンタは、そんな寂しく、そしてあまりに早すぎる晩年を過ごさなにゃならんような人間では、断じてなかった。おれからすりゃぁホント、眩しいほどに光り輝いていた。
あぁ!想い出した。おれがエレキギターに興味を持った頃、アンタが既に買って弾いてるって聞きつけて、ワザワザ話を聞きに行ったことがあったよな。おれが中2の夏休みくらいだった。そしたら、フレッシャーとヤマハ、グレコくらいしかまだ知らないアオいおれに、フェルナンデスやらトーカイ、アリアのあれこれを教えてくれたやないか。たしか自分はフェルのストラト買ってたやんか。忘れた!?
ベッタンやビーダンだけぢゃない。思えば、色んな遊びの始まりには、大体いつだってコーチャン、アンタが先達としていて、あれこれ教えてくれたんだ。おれは今でも素直にとても感謝してる。
ガラにもないが、近いうちにおれは墓参に行こうと思ってる。
間違いなく何年か先には仕舞われるか、無縁となるであろうその泉南にあるとかいう墓に。 |
親の遺品のアルバムを引っくり返して探したら、この2枚が出て来た。
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2024.06.25 |
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----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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