「牛乳のフタ」バブル |
|

実は現在、昭和なヴィンテージグッズとしてスゴいマーケットになってる。
|
https://aucfree.com/より
|
元手が掛かるワリにマトモなコレクションはいっかな増えず、イマイチ遊びとしては肉体的アクションに乏しい切手ブームが一段落した後にやって来たのが「牛乳のフタ」ブームだった。
これには小学校でベッタン(東京で言うところの「メンコ」)が禁止になってたのが大きく影響してるような気がする。あの頃のガキの取った取られたな遊びには他に、ビー玉やベーゴマが挙げられるだろう。しかし、ビー玉はやろうにも地面のほぼすべてがアスファルトで舗装された団地っちゅう空間では、階段脇の踏み固められた土の上くらいしか場所がないのであまり流行らず、ベーゴマはそもそも関西にそんな文化がなかったように思う。ありゃやっぱし、すぐ隣接して鋳物の街・川口を抱える東京の下町ならではのものだったんぢゃなかろうか。
PTAが排斥運動でもやってたのか、近所の玩具屋にもベッタンを置いてるトコがあまりなかった。唯一、公設市場の薄暗い通路の奥にあったシケた玩具屋だけで売られてたように思う。そぉいやこの店、例えば爆竹なんかでも他の店が売るのを止めたり、イマイチ威力の弱い紙箱入りに置き換える中、最後まで赤い油紙に包まれた16発入りの強力なのを置いてたりして、悪童共にとってはとても貴重なスポットだった。
ちょっと脱線すると、もちろんベッタンは引っ越す前の大阪市内では子供たちの間でとても流行ってた。おれはその時点でまだ幼稚園児だったんでゴマメ(関東で言うところの「ミソッカス」やね)扱いで、マトモなメンバーとして混ぜてもらえなかったのが今でも残念でならない。ちなみに丸型はまったく使われておらず、みんな角形だった。それが地域のレギュレーションだったのかも知れない。みんな貼り合わせたり、逆に薄く剥いだヤツの縁をセロテープで固めたり、間に釣りの錘を仕込んだり・・・・・・と、最早工夫なのかチューニングなのかイカサマなのか分からん(笑)、自分なりのリーサル・ウェポンを拵えるのが流儀だった。早くおれもバッキバキに仕上げたベッタンで勝ってみたいなぁ~・・・・・・なんて思ってるうちに、富田林に引っ越すことになったのだ。
ビー玉(大阪では訛って「ビーダン」っちゅうてたな)についても、引っ越す前には近所の年嵩の子供やいとこに教わってある程度できるようになってた。全国的には色んな遊び方が存在したみたいだけど、基本は地面に小さな穴を掘って、弾いて順番に入れてくようなルールだった。ゴルフの1グリップOKぢゃないけど、次を弾くときに両手の小指同士を絡ませて、元の場所に親指が付いてりゃちょっと先から弾ける、ってな風になってたっけ。
大阪市内の子供たちの間ではベッタンと同じくらい人気があって、今日はどっちやろう?ってなカンジだったと思う。調べてみると、国内に現存する唯一のビー玉メーカーは松野工業といって、平野の瓜破にあったりする。ひょっとしたら地理的にさほど離れてない東住吉区~生野区一帯は流通量が多かったかもしれないな・・・・・・知らんけど。
・・・・・・って、ハナシを元に戻そう。牛乳のフタやったね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも昔の牛乳ってガラス瓶に入っており、直径3cmほどの円い厚紙を蝋で固めたフタがキャップになって押し込まれてた。また、その上からカラフルなセロハンが被せられてる。たまにさらにその上に細いテープで口のトコが巻かれてあることもあった。何せ生モノなんで、出来る限り衛生的にやろうとしてたんだろう。飲む際にはテープ・セロハンを剥がし、キャップを千枚通しみたいなんで刺してポコッと取って開栓し、あとは手を腰に当てて・・・・・・ではなく、ほぼ毎回、奇妙奇天烈なおかずの組み合わせの給食の飲み物として飲む。サバの竜田揚げに白牛乳、ってどぉ考えてもアタマおかしい取り合わせやで。
とにかく、この牛乳のフタをベッタン代わりにするんが大流行したんですよ。
どのようにしてフタで遊ぶのか?っちゅうと、地面にぶつけるのではなく「ペッッ!」ってなカンジに机の上で強く息を吹きかけて、相手のを引っくり返すのである。自分のも一緒に引っくり返ってしまうとドローだったかな?飛沫感染がぁ~っ!ソーシャルディスタンスがぁ~っ!な~んて、そんな寝言知るかヴォケ!な状況やったです、ハイ(笑)。
実のところ、針で穴の開いた牛乳のフタはイマイチ評価されなかったりした。だからみんな牛乳瓶をカポッと咥えて、顔真っ赤にしてフタを吸い出すようにしてた。たまに吸い過ぎて牛乳が鼻に入って噎せるバカもいたな(笑)。専らこれは男の子のアソビであり、女の子たちは「アホなコトに必死なってんなぁ~」ってな表情で冷ややかに見てるだけだったが、女の子に流行ってたらその後のバキューム・フェラに役立ってたろう(笑)。
最初はみんな同じメーカーのフタ、いわばイーヴンの状態で、勝っても負けても1枚づつの遣り取りでやってたんだけど、すぐにその内、交換レートが発生した。上記のような穴の開いたフタが当然、いっちゃん安い。穴無しは2枚だ。這えば立て、立てば歩めのなんとやらで、見掛けない珍しいフタをどこからか探して持って来るヤツなんかが現れるようになって、そのレア度によってさらに高額な交換レートも生まれた。
たしか給食の牛乳に使用されてたのは、大阪では当時最もポピュラーだった「いかるが牛乳」だったと思うが、見たことないのは「おれ、10枚賭けるから、勝ったらそれくれ!」、あるいは「オマエ勝ったらたらこんなけやるから、それ賭けへん?」ってな風にして、勝負での交換レートが都度都度できる。
当然遠いところ、白牛乳でないモノほど珍重される傾向にあった。だから同じありきたりな「いかるが」でも、給食には出て来ないコーヒー牛乳やフルーツ牛乳だとレートは若干上がる。これが他府県、それも九州とか東北で、元々マイナーな「イチゴ牛乳」とかだったらもぉタイヘン、交換レートが100枚とかになる。ただし、直接の交換は卑怯なマネであり、必ず勝負のプロセスを踏むことが必要だったってのが面白い。ある意味フェアだったのだ。でもまぁ思えばありゃ~一種のバブルに近かったな・・・・・・ちなみにこれまた余談だけど、本稿を書くにあたってこの「いかるが牛乳」について調べてみたら、何と経営者一族の苗字が「鵤(いかるが)」さんなのね。おらぁてっきり法隆寺のある「斑鳩の里」にある会社だから「いかるが」なんだって、この歳まで思い込んぢゃってましたわ。ゴメンナサイ。
今から思えばそのレート決定プロセスは、アバウトながらもワリと平和で民主的だった気がする。誰かが誰かに申し出ても、周囲の連中が「それちょっと安いで~!」って物言い付けるとレートは上がるし(下げ推奨はなかったかも)、「ペッッ!」ってやるテクニックの上手下手も若干加味され、平均的なヤツなら10枚のところが、強いヤツだと「オマエ強いやんけ!」とかでハンデが上乗せされて15枚とかに上がる・・・・・・弱いヤツは手持ちがそんなにないから、そもそもそんな大勝負には打って出ない(笑)。
細かいコトを言い出せばキリがないし、そらまぁ雑であちこち矛盾もあったけど、何となくおれたちは古典的経済学や政治、自治ってモンについて自ずと考えてたような気がする。子供に遊びはやっぱ大事だわ。授業では決して社会性なんて学べない。
かくして休み時間はすべてこの「牛乳のフタ」に費やされるようになっていった。
これほど男の子たちを熱狂させた(・・・・・・ぶっちゃけ仮面ライダーカードなんかよりよほど盛り上がってた)牛乳のフタブームの終焉はしかし、実に呆気なくやって来たのだった。
ついに官憲の手が及んだ・・・・・・もとい、その投機的かつ賭博性の高い物々交換が先生達の知るところとなり、禁止されてしまったのだ。そらまぁそうやわな、ベッタンとやってるコトは一緒、違うのは元手が掛かってるか掛かってないかの違いだけなんだもん。あるいはひょっとしたら、どこかの野暮な親がネジ込んだのかも知れない。
かといって、学校済んでからワザワザ誰かの家に集まってやるほどの遊びでもなかった。だって所詮は牛乳のフタだからねぇ・・・・・・。
また、禁止の1年後くらいだったかな?牛乳の容器は割れなくて軽量な、紙の三角パックに変更されてしまった。これは一大事と言える。だってそれまでは一種の生ポやバラマキ給付金みたいに、いくら弱っちいヤツでも、何もしなくても、確実に月に20枚少々手に入ってた(それも頑張って吸い出せば倍の価値になる、笑)フタが、いきなり配給を断たれたってコトに他ならないのだから。
先生がガタガタ騒がずとも、いずれは終わる運命だった、っちゅうこっちゃね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな牛乳のフタ、さらに後年になると千枚通し刺さなくてもめくれるように、「ヘソ」っちゅうか「チョボ」っちゅうか、小さな突起を付ける改良も加えられたものの、合理性のカタマリのような紙パックの前にはさしたる効果もなかったようで、いつの間にやらスッカリ見掛けなくなってしまった。いくらガラスの再利用ったって、回収・洗浄・殺菌ってなプロセス踏んでたらコスト的に見合わないんだろう。
ただ、跡を襲ったはずの三角パックが我が世の春を謳歌できたのも、そんなに長くはなかった。APSfイルムやHIDランプみたいだな(笑)。やはり形状があまりに特異だったことが災いして、配送や置き場所の点でイマイチ効率が良くなかった、っちゅう話を聞いたことがある。
そんなこんなでみなさんご高承の通り、日進月歩、結局は家みたいな形した紙パックが市場を席巻して今に至ってる。ガラス瓶は残ってなくはないけど、紙のフタではなく、より安全で衛生的な樹脂製になってしまった。
それが、今やオークションで驚くほどの高値で取引されてるのだ。こっから先はネットですぐに色んな情報が見付かるので、もうあまりクドクドとは書かないが、モノによっては1枚が1万円とかで落札されてる。酔狂っちゅうか何ちゅうか、取り敢えずアホちゃうかと思うものの、実際に大枚叩いてる人が存在するのは間違いない。
・・・・・・一体全体、どんな人が金にあかせて買ってんだろう?それを考えると、ナゼだかとても冷え冷えとした気持ちになる。 |
|
2021.02.21 |
|
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved |
|
 |