「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
肉屋の犬


こんな感じでした。実際は賢くて人懐こい犬種のようだ。

http://zukan.kids.yahoo.co.jp/より
 玄関の三和土を上がって正面、すぐに2階への狭い階段があり、脇は2畳ほどの台所と奥に続く3畳ほどの板の間、さらに奥には居間の6畳、突き当りが小さな縁側と狭い坪庭になっててその横にトイレ、もう少し時代が下ると風呂が備え付けられた例もあったかな?そいでもって2階は6畳か4畳半か忘れたけど二間続きで、ちょうど玄関の真上辺りの通りに面したところにはベランダ・・・・・・そんな家が5戸イチの長屋になっている。京都の町家を二階建てにしたような、間口が狭くて奥行きのある家だった。

 他の地方では見掛けたことがないので、今になって思えば近畿でも特に狭い範囲特有の形式だったのかも知れない。昭和40年代の半ば過ぎくらいまでに大阪市近辺の比較的市街地に近い所で盛んに作られた。現在では2階建て外階段のモルタルのアパートを文化住宅と呼ぶみたいだが、当時はこれが文化住宅と呼ばれていたように思う。文化鍋や文化サバの「文化」と同じく、戦後復興の流れの中で合理的・効率的な生活が提唱される中で生まれた形式なのではないか?とおれは勝手に推測してる。お好み焼きなんかもその伝では「文化焼き」と呼んだ方が正しいのかも知れない。

 ・・・・・・ともあれそんな長屋のちょうど真ん中がおれの生まれた家だった。風呂はなかったので家族で近所の銭湯に通ってた。今の感覚では信じられないだろうが、当時は大阪の庶民の家に風呂のあることの方が珍しかったのである。
 この家、昭和三十年代の半ば過ぎ、結婚に際して新築建売だったのを母親が買ったらしい。若い頃から何の勉強をしたワケでもないのに不思議と勘が鋭く、なけなしの貯金をアッと言う間に10倍ほどに増やして購入資金にしたんだと未だに自慢げに言う。

 家の前は狭いながらも2車線くらいの道で、向かいは小学校だった。まだ舗装はされておらず、クルマが通ると濛々と土埃が上がっていた。玄関を出て左に行くと長屋の切れたところが小さな三叉路になっている。いつも一斗缶で「千枚」という3cm四方ほどの四角い薄いおかきにチョロッと細切りの海苔を振りかけたもののクズを買ってた煎餅工場はその三叉路の向こう角にあった。そこを左に入ってくと再び小さな交差点があり、さらに左に入ると幼稚園の同級生の女の子の住むアパートがあった。方角的にはおれんちの真裏あたりってことになる。個人タクシーをやってる家で、アパートの横のモータープール(駐車場の大阪特有の呼び方。長屋形式の屋根付駐車場が多かった)には商売道具の薄緑色のタクシーの停まってることがあった。同じく同級生で小さな養鶏場をやってる家もその辺だった気がする。

 そこに向かう途中に今回のネタである「肉屋」の家があった。あ〜、本題と全く無関係な長い前フリだった。街並みを描写してみたかったんですよ。

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 肉屋ったって、そこに精肉店があったワケではない。冒頭に延々と述べた通りの5軒長屋やアパートがひしめく一帯にあって、そこにはいささか場違いなまでに豪壮な造りの邸宅が建ってたのだった。洋館っぽい造りだったような気がする。肉屋と呼ばれてたのは別のところで肉の卸しなり小売なりの商売やってたんだろう。周囲は庭木なんてせいぜい卵の殻を並べたシケた植木鉢が置ける程度の民家ばかりなのに、その家にはちゃんと庭があって緑が生い茂ってた。門塀もあった。つまりはとても金持ちだったのだと思うが、近隣との付き合いはなかったのではないか・・・・・・っちゅうか、いささか近隣では浮いた存在であると同時に、怖がられ、煙たがられていたことは母親と近所の人たちとの会話で子供心にも薄々気づかされていた。
 当時はそんなこと分からなかったけど、今なら良く分かる。「肉屋」っちゅうコトバには侮蔑の意味が多分に含まれてたのである。言うまでもなく同和問題っちゅうヤツである。

 そしてそこでは犬が飼われていた。もう半世紀近く前のことで記憶があやふやだが、少なくとも二匹はいた。1匹はポインターっちゅうんだろうか背が高くて耳の垂れた黒白まだらの、もう一匹はブルドッグみたいな顔でそのまま手足が長くなったような茶色いの・・・・・・っちゅうても土佐犬よりはスリムだった気がするが、いずれにせよどっちもひじょうにおっかない大型犬だ。ん!?真っ黒で、ちょっと毛の長いのもいたかもしれない。ぢゃぁ三匹か。
 とにかくそんなのが首輪もなしに敷地内で放し飼いになっている。どれだけ商売の羽振りが良かったのか、おそらくは飼い犬っちゅうよりは防犯のための番犬だったのだろう。家の前を通っただけで門の鉄柵越しに見境なく誰にでも野太い声でワンワンワンワン吠えまくる。おれはいつもその家の前を通るときは小走りになっていた。いくら泥棒が良く入る治安の宜しくない地域とはいえ、同和も差別もヘチマも、こんなんでは近隣から怖がられたり疎んじられるのはむしろそら当然だろう。

 ・・・・・・で、その日。

 何の用があってそこを一人で通ってたのかは忘れたが、あろうことか犬が門からのそのそ出てきやがったのだった。肉屋の家の住人が門を閉め忘れてたのである。猛犬飼うならキチンと責任持って管理せぇ、っちゅうねん。
 当然おれは小走りどころか一目散に走って逃げる。しかしながら犬っちゅうのは走って逃げる物を獲物と思って追いかける習性があるから、ワンワン吠えながら後を追いかけてくる・・・・・・って、ガキのおれはそんなことはまだ知る由もないから泣きながらさらに必死で逃げて、件のモータープールに逃げ込んだ。奥に一斗缶だかドラム缶だかがうず高く積んであったのを覚えてたのだ。火事場の馬鹿力か、恐るべき敏捷さを発揮してその上によじ登っておれは大声で泣いた。犬は下で吠えまくってる。

 その時はとても長く感じられたけど、実際はそんなに長い時間ではなかったように思う。どこからか知らないおっちゃんがモップか何かを持って現れ、おれに吠え掛かるのに夢中になってるその犬どもを散々に打擲したのだった。脅してドツくフリとかではなく、躊躇することなくバッキバキに。
 背後から思いっ切り棒で殴られては猛犬も堪らない。ナサケない声を上げて二匹ともすぐに逃げ去ってしまった。おっちゃんの顔も年恰好も何も忘れてしまったが、白いランニングシャツ姿だったことだけは覚えているので、暑い季節のことだったんだろう。

 まったく知らない人だったが、家を尋ねられ、おれの手を引いて連れて帰ってくれたと思う。道すがら、非難しつつ嘲るようにその肉屋のことを語るのをおれはまだ泣きじゃくりながら聞いていた・・・・・・おっちゃんが問答無用で犬をドツき倒したのは、単に見知らぬ子供を助ける以上のワケがあったのだ。

 この酷い体験はトラウマとなるには十分なもので、随分長い間おれは犬が嫌いになったのだった。

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 毒舌と犬好きで知られ、最近つとに人気リバイバル中な俳優の坂上忍がTVでいいコト言ってた。

 ------バカ犬なんていない。バカなのはチャンと躾のできない飼い主だ。飼い主がバカなのだ。

 筋の通った至言である。全く以てその通りだと思う。
 もし50年近く前に戻ることができるならその言葉を、猛犬をロクに躾もせずに何匹も放し飼いにするなどという、あの肉屋と呼ばれてた家の非常識な連中にぶつけてみたい・・・・・・まぁ、逆に返り討ちにあってスゴまれるだけかも知れないが(笑)。

2014.08.14

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