「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
変わり身の美学・・・・・・Joy Division/New Order


Joy Divisionのライブ


New Orderのライブ。上の写真で左にいるギターが今やメインボーカル

 ・・・・・・ファクトリー繋がりでもう一つ。前の前、ルー・リードのところでも触れたJoy Division/New Orderについて。

 80年代以降のポストパンク、オルタナティヴに多大なる影響を及ぼした点でJoy Divisionは絶対に外せないバンドの一つだろう・・・・・・っちゅうのが世の一般的な評価である。しかしその量的な足跡を客観的に見るとまことに小さいのも厳然たる事実であって、活動期間は僅か4年、たった2枚のアルバムしか出さなかった。人気も出て来たやおまへんか!さぁこれからやで!全米ツアーだぜっ!って時にヴォーカルであるイアン・カーティスが突如縊死したことで、彼らは伝説となったのだ。ウソでもネタでもなく、自宅で亡くなってるのが発見されたのはアメリカツアー出発当日の朝だった。

 それにしてもナチスの高級将校向け慰安婦の部屋という意味のバンド名からしてもうむっちゃくちゃ暗い。この名前になる前がワルシャワで、まぁこれも決して明るい感じはしない。若気の至りのネガティヴ版っちゅうか、まぁ文学なんかにかぶれた若者にありがちなムダに暗い感じ、とでも言えば良いのか。
 自殺した理由についても持病の癲癇の悪化だのツアーの過密スケジュールによる疲労だのいろいろ言われてるけど、思うに、一山当ててビッグになろうとして始めたバンドだったんだけど、いざ成功に向かって転がり始めると生来の小心が首をもたげ、ビビッて腰が引けてきた、ってーのがあったのではないかとおれは思ってる。生きるのが下手な人間はえてして、サクセスストーリーにも素直に向き合えず、後ろ向きな能書きを並べ始めるものだ。
 また、バンドが上手く行き始めた中で彼女が別に出来たものの、ヨメとの離婚話がナカナカ上手く行かず、二股のツケの苦労を背負い込んだってーのもかなり大きかったらしい。下世話な話ではある。

 ぶっちゃけおれはJoy Divisionの音楽作品そのものがそれほどの物とは未だに思えない。パンクだニューウェーヴだってな世界に於いてテクニックの巧拙をあれこれ言っても仕方ないのは百も承知の上で敢えて言わさせてもらうなら、まず彼らは超絶的にヘタである。ヘタなだけでなく妙にノリやリズム感が悪い。ぢゃなにか他に興味を引く要素があるのか?っちゅうとこれもない。
 メロディーラインを無理やり8分刻みでコピーしたようなベースに引きずられて、正確なだけでちっともノリのないタイコがかぶさって、これまた下手なギター、あとちょびっとシンセ・・・・・・楽器始めて取り敢えずバンド組んだ連中が必死で練習してるようなどぉにももさっとした演奏をバックに、イアン・カーティスが音痴かつ陰気で重苦しい声でウェーウェー歌うだけなのだから。
 さらにどの曲も全体に深めのリバーブ掛かってるのが余計に鬱陶しい感じがするし、一言で言って単調極まりない。無論、この単調さがミニマルな単調さとはかなり違うものであるのは言うまでもないだろう。プロデューサーはファクトリーお抱えで当時かなりの売れっ子のマーチン・ハネットだったけど、最初にデモテープ聴いた時はアタマ抱えたんぢゃなかろうか、って思う。
 歌詞が内省的だとかなんとか言われるが、語学力に乏しいおれには何のことやらサッパリ分からんし、それにそんな歌詞の内容だけで音楽が成立するものでもなく、やっぱし音楽そのものに何がしか興味を引く点がないとしんどい。

 しかし彼らは当時のインディーズバンドとしてはそこそこ以上に成功したのである。スリーコードのロックンロールでがなり立てる初期パンクに違和感を覚えてた連中を中心に、熱心な支持者が付いたのだ。そこにはパンク以降の何がウケるか分からない時代の偶然と後押しがあったと言うしかない。
 たら・ればを言ってどうなるものでもなかろうが、前述のとおり、これからもっと成功するだろうってトコでエラいコトになってなければ、おそらくもっとビッグな存在になってたのは間違いない。

 どんな理由があったにせよバンドのフロントマンがいきなり自分勝手に死んでしまって、残されたメンバーは途方に暮れたことだろう。呆れもし、怒りもしたに違いない。メインアクトがいなくなっちゃったという点ではジェネシスなんかと同じだけど、死んでしまってはシャレにならんわな。
 当時のイギリスでフツーに中産階級な若者がのし上がるには音楽やるくらいしかなかった。その成功の切符を掴みかけたところでこれぢゃぁ、なるほど目も当てられない。

 彼らがしぶとかったのはここからだ。

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 残った3人でバンド名をNew Orderと変え、ついでに音楽のスタイルも当時流行の兆しを見せていたエレクトロポップにスパッと鞍替えし、さらにはイアン・カーティスが死んだコトまでちゃっかりネタにして見事にメジャーシーンに躍り出たのだ。心情の吐露っちゃぁ聞こえはいいんだけど、身内の不幸までネタにしてしまう、っちゅう点でエリック・クラプトンに比肩しうるとおれは思う。

 ともあれそんな起死回生のシングル・「ブルー・マンデー」は売れに売れまくった。今やすっかり廃れた感のある12インチ盤シングルなんだけど、ダンスミュージックの隆盛と共に一世を風靡した時代がかつてあった(せいぜい3分半の7インチと違い、片面に12分くらい入るからロングヴァージョンにぴったりなのだ)。その販売枚数世界一は実はコイツだったりする。

 演奏技術のヘタさは自動演奏に置き換えられることで見事に払拭された。以前から垣間見せていた多少泣きの要素も含んだ抒情的なサビやメロディは、イアン・カーティスの声にはまったく似つかわしくなかったが、同じく音痴とはいえやや線の細いバーナード・サムナーの声とエレクトロ系の曲調にはピッタリ収まった。一味も二味も欠けたスカスカの演奏もシーケンサー並べればバッチリだ。正確なだけでノリに欠けるドラムも機械類との親和性は却って良い。たしか初めての来日公演では、ほとんどメンバーの誰も演奏してなくて(笑)、それで文句が出たんぢゃなかったかしらん。フールズメイトでそんな記事を読んだ記憶がある。今で言うエアバンドの走りだな(笑)。

 その後もヒット連発で本国イギリスだけでなくアメリカのヒットチャートも席巻し、80年代に最も成功したバンドの一つであることは間違いない。
 要するに危機を乗り越え、天晴れ見事功成り名を遂げたのである。ご同慶の至りだ。

 コアなファンからは顰蹙を買うかも知れないが、おれはNew Orderになってからの方が好きだったりする。部屋でナンギな音楽を爆音で聴いてた頃からクルマを初めて買った辺りまでだから、まさに80年代初頭からの10年前後だが、ヘビロテで彼らの曲を鳴らしまくってた時期があった。
 当時は「ケッ!ニューオーダーなんて商業主義に走っただけでしょ!?あんなのミーハーだぜ!」みたいな60年代左翼の残滓のような考え方が支配的で、おれとしても声高に「ニューオーダーの方がエエやんか」と言いにくかった記憶があるのだが、今から思えばアホかと思う。音楽なんてモン、商業主義だろうがなんだろうが、聴いて自分が気に入るかどうかの問題なだけである。あらゆる創作活動の伝に漏れず、どんだけストイックにアーティスト活動してようが、作品が詰まらなければお話にならないのだ。彼らの変わり身は大成功だったのだ。

 さて、バンドに限らずあらゆるグループは、成功と引き換えにメンバー内の不協和音とか確執が顕在化するものと決まってる。御多分に漏れずNew Orderも同じ経緯を辿って、90年代に入ってからは何だかんだとギクシャクしまくりで、オマケに古巣のファクトリーレコードが倒産したりも手伝って、解散しただのしてないだの、再開するだのしないだのと悶着続きで、肝心のアルバムリリースも途絶えて久しい。今でもイギリス本国ではそれなりの大御所として顕実に活動してるものの、昔日の勢いは最早ない。

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 話をJoy Divisionに戻す。今や評伝や映画まで作られたりしてポストパンクの伝説的存在として半ば神格化されたようなイアン・カーティスだが、何たる偶然か、本稿を書こうと思ってあれこれネットで調べてておれはある事実を知った。彼の愛人との噂のあったジャーナリストにしてベルギーのクレプスキュールレーベルの創設者の一人であったアニーク・オノレがほんのつい先日、56歳で亡くなったらしい。

 そういえばマーチン・ハネットも鬼籍に入って久しく、ニューもポストもへちゃちゃもほちょちょも、遠い昔の話になってしまったことをおれは改めて知ったのだった。


Ian Curtis近影。VOXのギターがシブい。

2014.07.24

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