「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
複弦の誘い


マンドリンの弦の配列。2本一組になってるのが分かる。

12弦ベースの弦の配列。3本一組になってる。

 複弦って、いい・・・・・・あ、「誘い」は「いざない」と読んでね。

 複弦とは、元の音程に対し1オクターヴ高い、もしくは同音程の弦(副弦)を加えて2本で1本、あるいは3本で1本としたものである。大体低音弦では副弦は1オクターヴ高くなっている。ギターの場合だと、1〜2弦が同音程、3〜6弦がオクターヴという副弦の配列になっている。
 実は鍵盤楽器の代表選手であるピアノも、中の弦はそんな張られ方をしており、一つの鍵盤に対して弦は3本あって、2本の副弦は元の音程に対するオクターヴになっている。どっからかは忘れたけど、やはり高い方の鍵盤ではギター同様、原音に対して副弦は同音程になってたはずだ。

 弦楽器にはヴァイオリンに代表される弓で擦って音を出すもの(擦音系)と、ギターに代表される弾いて音を出すもの(撥音系)の2種類の系統がある。なぜか日本で擦音系は発達しなかったのだけど、多くの国では2種類が共存している。そして、撥音系は複弦構造になってる方が元々はむしろ一般的だったと言える。いい例がマンドリン属である・・・・・・と、それはさておき。

 何でか?

 要は弦1本で1つの音ではあまりに音が小さすぎたのである。高い張力で張れば音は大きく、っちゅうか所謂「ヌケが良く」できるのだけど、鋼線の弦が発明されるまで弦は羊腸(ガット)や絹製しかなかったからそんなに強いテンションでは張れなかったのだ。だから減の数で音量を稼ごうとした。1本より2本の方が2倍の音のデカさで鳴るでしょ、ってことだ。丸八真綿か?(笑)。調べてみたらペルシャの古楽器にはサントゥールって実に4本一組っちゅうのがったらしい。形は昔懐かしトーカイのクロマハープみたいなテーブル型のものだ。撥で叩いて鳴らすのでピアノにむしろ近いのかも知れない。

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 ところがこれが意外な効果をもたらした。結論から言うと「コーラス効果」と呼ばれるものだ。ほとんど同じ音程なんだけど、僅かにピッチの異なる2つの音が混ざると、そこに柔らかなうねりとさらなる音の厚みが生まれるのである。あまりにもピッチの差が大きくなると単に不快な不協和音になってしまうので、セント単位での微妙な狂いが必要となる。これを電子的に再現したのが言わずもがな、BOSSのCE−1等に代表されるエフェクターの「コーラス」ってヤツだ。これは原音に対して少し音程をずらすだけでなく、僅かな遅延まで加えることで深みと独特の透明感を出している。最近はブースター一発だけのおれも、昔はクリーン/ディストーション関係なく、こいつをほぼ掛けっ放しにしてた。

 細いネックにものすごい張力で弦が張られてる上に、極めてアバウトなフレットなるもので弦を押えて音程が決定される弦楽器は、本来的に厳格なチューニングの困難な楽器なんだけど、それが複弦ともなればさらに状況は過酷で、どれだけきっちりチューニングしたって、すべての音程・ポジションでは正確に合うことはない。だからこそしかし、独特の深い響きがマンドリンや12弦ギターにはあるのだ。

 1年ほど前におれはエレキマンドリンを買ったのだけど、残念ながらこいつは複弦がない4弦タイプだった。だから、そのままエフェクター繋がずに鳴らすとツンとかチンとかテンとか、マンドリンとは似ても似つかぬまことにアホみたいな音がする。それくらいに複弦の効果というのは大きいのだ。

 有名な曲で言えばツェッペリンの「Battle For Evermore(永久の戦い)」、あれはマンドリンと恐らくは通常の6弦のアコースティックギターで演奏されてるのだけど、もしあのマンドリンが単弦だったら実に詰まらない曲になってただろう。初期ジェネシスの多くの楽曲にしたって、12弦ギターあったればこそ、ってーのが多い。

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 しかし、保守的なクラシックの世界ならいざしらず、今や所謂ポップミュージックの世界で複弦楽器がそれほど必要とされてるか?ってーとこれが大いに疑問である。以前ダブルネックについて書いた時にも言及したのだけど、件のコーラスエフェクトをかますことでいくらでも複弦みたいな(あくまで「みたいな」だけど)音は出せるのだ。今はデジタル技術が進んだので、もっと自然なピッチシフターなんてスグレ物もある。これはホント、原音に対してセント単位のズレをきちんと与えることができるし、デジタルデバイスなので音質劣化がほとんど無い。
 チープトリックのトム・ピータソンの12弦ベースにしたって、ありゃもう今の時代となってはほとんどキワモノっちゅうかネタである。第一、押弦だけでも大変で、複雑なパッセージをビキバキ弾きまくるのは不可能に近い代物だ。それなら普通の4弦ベースにピッチシフター2台でも通した方がよほど演奏性は良い。それかあらぬか、一時期流行った複弦ベースも今ではすっかり廃れてしまった。
 アコースティックではまだまだ12弦ギターを見掛けることも多いけど、昔ほど多用されてる風には思えない。アコギの世界も驚くべきエフェクターの進化で、そこまでせんでも原音を損なうことなく似たような音が出せちゃう時代になってる。

 そう、死ぬほどめんどくさい弦の交換やチューニングまでして、演奏性も犠牲にして、別途複弦の楽器を構えておく必要なんてもう、今やほぼ失せちゃってるのだ。足許のスイッチをポンと踏めばそれだけでOK。すごく便利である。

 ・・・・・・だけどそれでは詰まらない。味気ない。

 音楽とは生きて行く上で必要不可欠なものではない。楽器は生活必需品ではない。つまり根本的に無駄なモノなのだ。そんなんに合理性を追求するっちゅうのはある意味、大きな矛盾と言える。否、合理性の対極のところにこそ音楽はある。
 いやいや、もしおれが職業的ミュージシャン、それもスタジオミュージシャンっちゅうならば合理性はあって好いかも知れない。ES−335のセミアコ1本と、小箱大箱あれこれと綺麗に並べられたエフェクターボードくらい持ってスタジオ入りして、「あ〜、そこそこ、ソロ終わってからのクリーンのアルペジオなんだけどぉ〜、ソロが60年代っぽいファズの後だしさぁ〜、こぉ、ちょっと12弦っぽく行って欲しいんだよね〜」なぁんて注文受けたら、「へい!畏まりやしたっ!喜んでぇっ!」ってな調子でたちどころにプロデューサーの要求に応えれるような、そんな合理性と迅速性・・・・・・何や!?そんなんかい!?(笑)。

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 実のところ、おれはその音だけでなく、複弦楽器の見た目に共通するどこか「ややこしい感じ」を偏愛している。もちょっと芸術っぽく言うと、マニエリスティックな雰囲気を好んでいるのであるのである。ほれ、ヘッドとか糸巻がバカみたく沢山並んでますやんか。あの複雑で過剰な感じが好きなのだ。それにどことなく千成瓢箪みたいっちゅうか、羽子板に羽根を無闇に沢山貼り付けたみたいで、めでたげな感じしません?
 これがベースになると大きい糸巻と小さい糸巻が混ざって付けられて一層ゴチャゴチャしてるのがさらにソソる。また、リッケンバッカーの12弦みたいに糸巻の方向を互い違いにしてるのもメカメカしくて良い。ES1275の何の工夫もなしに6弦側の倍のデカさにしたヘッドも、それはそれでバカバカしくて面白いけど。

 そもそもの2本一組、3本一組になった(この組をコースと呼ぶ)弦のややこしい感じも好きだ。大体1コースの弦間隔は2〜3mmといったところか、広げ過ぎると指板幅が広がり過ぎてFとかが非常に押えづらくなるのでコースとコースの間は通常の単弦楽器より狭い。だから正確に押弦しないとすぐに隣の組に指が当たってしまって鬱陶しいんだけど、この狭い指板上にギッシリと弦の並ぶ感じこそが複弦楽器の真骨頂だろう。特にマンドリンなんてちっこい楽器なもんだからローフレットでは8本の弦が隙間なく並んでるように見える。

 マンドリンと12弦ギターと12弦ベースのトリプルネックなんて化物のオーナーになれたら狂喜乱舞、嬉しくって悶絶しちゃうかもしれないだろうな、おれ。弦の数は実に32本、ああ、それでもパット・メセニー愛用のピカソギターには10本足りない。リック・ニールセン愛用の5本ネックと比べても、あれは内1本が12弦だから36本、まだ4本足りない・・・・・・(後略)。


12弦ベースの元祖HAMER

工夫と努力に座布団一枚!なリッケンバッカー

オーソドックスなテイラー
2012.12.23

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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