「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
天才の不幸・・・・・・アラン・ホールズワース


ビール瓶持って、珍しくご機嫌な表情。

 テクニカル系のギターに目覚めた者なら絶対に一度はその名を耳にするものの、決してその曲をマスターすることは出来ない超絶ギタリスト・・・・・・それがアラン・ホールズワースだろう。いや、ひたすら速いだけの人なら今の時代いくらでもいる。ベッドに座って専らイバニーズあたりのギターを使用して、俯き加減で超高速のフレージングをビシバシ決めるアマチュアの動画なんかがYOUTUBEに数え切れないくらい転がってる・・・・・・あ、おれ自身はそんな速くはムリですけど(笑)。

 彼の卓越性は猛烈に速いだけではない。まずコードやフレーズの組み立てが余人においそれと真似のできないものである。そもそもズバ抜けて大きな手がないとそんな風には指が届かんのだ。肉体的にまず大抵の人がこの時点でアウト。そいでもって、キーとして合ってるのか合ってないのか解釈不能な(・・・・・・でもまぁ聴いててそんなにおかしくは聴こえないのだから多分合ってるんだろう)よく分からないフレーズをこれでもかとばかりに繰り出す。困ったら手癖の増4度(Cに対してF#)ばっかなフリップ翁のギターが他愛ない児戯に思えてしまうほどにそれはややこしい。いやもう難解っちゅうよりは変態に近い。

 ここからがさらに凄くて、とにかく異常なまでに滑らかに弾く。所謂「撫で弾き」に近い軽いピッキングと、ハンマリング・プリング・スライドを駆使してるんだろうと想像は付くが、アタック感がまったく無い・・・・・・どころか、ギター特有の弦と指が擦れるスクラッチノイズの類が一切入らない。これは地味だけど恐ろしく高度なテクニックで、おそらくここまで完璧に出音のみを出せるギタリストって、世界でも殆どいないんぢゃないだろうか?
 ちなみにこの「軽く弾く」はきわめて先進的だった。昔はピッキングアタックを明確に出す力強い弾き方がギタリストとしての正しい所作だと思われてたのである。教則本にもチャンと書かれてあったくらいである。「弱いピッキングでは芯やコシのない音になりがちです」などと。しかし今のテクニカル系を見たらわかるが、そんな弾き方するヤツは現代ではものすごく少ない。歪みは深く、フレーズは速く、そして音数が増えるにつれ、ゴリゴリピッキングでは付いて行けなくなったのだ。
 そんなニュアンスに加えてさらには歪みの少ないわりに良く伸びる独特の音色もあって、ほとんどギターに聴こえない。どっちかっちゅうとサックスやらトランペットをフリーキーに吹き倒したみたいに聴こえる。あくまで想像だけど、元々はコルトレーンとかマイルスみたいなことをギターで無理矢理再現しようとして、今の唯一無二で独創的なスタイルが出来上がったのではないかと思う。

 加えてこれまた余人には俄かに理解しがたい機材への拘りが凄い。これをいちいち書いてるとキリが無いくらいに凄い。凄いだけでなくひじょうにこれまた先進的で、その後一般的に普及したものが多い・・・・・・ま、それっきり、ってーのも多いが(笑)。一例として、近年は当たり前になった若干幅広で指板のRの少ない平べったいネックを挙げれば十分だろう。あれは元々は彼がやってたのが広まったのだ。昔は、むしろRの強い、フェンダー系のが持て囃されてた時代に、である。

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 初めて聴いたのは70年代末期、ジョン・ウェットンがクリムゾンの再来を狙って結成した(すなわち二番煎じバンドの、笑)、UK・「憂国の四士」だった。芸風はすでにほぼ確立されており、バンドってコトであまり長尺での弾き倒しが無いのと、歪みが今より深い以外は現在とそんなに大きな違いは感じない。コンパクトだけど超個性的で誰にも弾けない変態フレーズがあちこちで聴ける。
 しかし、四士はすぐに三士になった。音作りの方向性を巡って気難しいアランくんとビル・ブラッフォードが即脱退したのである。オマケに後任ドラマーはアメリカ人。UKって名乗るクセに(笑)。これまた変態超絶系の誉れ高い、ザッパ学校の卒業生であるテリー・ボジオだ。実はそっからの方がバンドとしてのUKは快進撃だったりもしたのだが・・・・・・。

 それはさておき、彼の最大の悪いクセはこうして「一つ所に腰を落ち着けることができない」ってことだろう。UK以前に渡り歩いたバンドは片手に足りない。それもドマイナーなアマチュアバンドならいざ知らず、イギリスのプログレからジャズロック周辺の有名バンドが多い。
 たいていの駆け出しギタリストなら、もし有名バンドの一員に加われたなら、多少のコトは目をつぶって我慢してでも続けようとするよね!?ところが、協調性ゼロの彼はどれもアルバム1枚出すか出さないうちにポイッと辞めてしまうのだ。おそらくコミュニケーション能力にはかなり問題があると思われる。インタビューやデモのクリップ見ると良く分かる。そぉゆうのってフツー、目線を真っ直ぐカメラに向けるモンでしょ?ところが彼は相変わらずの恐ろしいテクをチャラッと見せたりすると、あとは何か斜め下あたりで視線が泳ぐような感じで妙におどおど話すのだ。人付き合いが下手な人の典型例だ。

 そんなんだから、前人未踏の恐るべきテクニックがあるにもかかわらず、ヨメには逃げられるわ、レコード会社からはそっぽ向かれるわの踏んだり蹴ったりで、30代の本来なら働き盛りの辺りで怒涛の浪人生活を永年送ることになる。一時は生活に窮して機材全部売っ払って作り酒屋でバイトしてた、っちゅうから、妥協を許さぬっちゃぁ聞こえは良いが、要は他人に合わすことが一切できないその偏屈ぶりは相当徹底してると言わざるを得ない。ひょっとしたら少々アスペルガーの気があるのかも知れない、とおれは勝手に思ってる。
 そのあまりの零落・逼迫ぶりを風の便りに聞いたエディ・ヴァン・ヘイレン(彼はアラン・ホールズワースに心酔する一人)がパトロンになって、ようやく音楽シーンに戻って来ることができたのだ。もしその援助が無ければ、確実に音楽シーンから消えていただろうと思う。

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 思えば、彼ほど詰まらなさそうに弾くギタリストも珍しい。チョーキングは顔で弾くのが当たり前の世界で、見た目と繰り出される音との落差の激しさでは一二を争うだろう。それに大体、オーディエンスがあまり目に入ってない、いや、メンバーの姿もあまり目に入っていないに違いない。たまにチラッとみるだけだ。大半はやや俯き加減に、半ば目を閉じながら嬉しそうな顔も辛そうな顔も見せずどこか寂しげにも見える表情で淡々と、アクションもほとんど無しに、左手でエフェクターを操作するっちゅうこれまた変わったスタイルで・・・・・・弾きまくる。それはそれは弾きまくる。
 何だかそれは、ギターを通じて求道的というよりは自閉的に自己との対話を繰り返してる姿に思える。

 最初にズラズラ書き並べたように、アラン・ホールズワースが孤高とも言えるほどの抽んでた存在であることは論を待たない。素晴らしいテクニックと飽くなき機材や音色への拘りは、他の追随を許さないほどに個性的かつ独創的だ。だけど、その凄さの全貌は結局のところ誰にも伝わらない。一言で言えばあまりにも難解すぎるのだ。
 典型的なミュージシャンズミュージシャンで、彼をリスペクトするミュージシャンは枚挙にいとまがない。それも超絶な人がシャッポ脱いでハダシで逃げ出す・・・・・・って、おれも古いな(笑)。あの元祖超高速の弾き倒し系・ジョン・マクラフリンでさえ、アラン・ホールズワースのプレイを間近で見たにもかかわらず、何一つ技術的に盗めなかった、と言ってる。玄人受け、なんてレベルをはるかに凌駕してるのである。しかし、昔に較べりゃマシになったものの相変わらず金銭的には恵まれず、まるでサーカスのようにライブツアーで世界中を回りながら糊口を凌いでるのは変わらないらしい。

 何だかノーベル賞受賞者に貧乏な人が多いのに似てる。それはもう天才の不幸と言うしかない。バカな大衆には理解できないのだ。もちろん、その中にはおれも含まれる。凄いとは思うけど、よく分かんないや、っちゅうのもぶっちゃけ多いにあるもん。

 どうやら優秀さとは、アホなパンピーに毛が生えたくらいの層がホォ〜!って感心するくらいがいっちゃん美味しいのだろう。悲しいけれど、それがどうしようもない事実だ。


たしかに異常に手がデカい!

2011.04.09

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