駅そば礼讃 |

これが有名な姫路の駅そば。具のほとんどないふやけたかき揚げがこれまた美味!
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Himeji_ekisoba.jpgより |
何だか最近は食べ物のことばっかし書いてるなぁ〜、根が卑しいからかなぁ〜。それともネタが尽きたからかなぁ・・・・・・まぁいいや。
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ハナシを姫路駅構内から始めることにしよう。ここには他に類例のない駅そばがある。名前はまんま「駅そば」。麺がまるでラーメンの麺ソックリの薄黄色いもので、味もラーメンソックリ。初めて食ったときおれは、高校の食堂でオバチャンに頼んでこしらえてもらった、和風ダシにラーメンぶち込んだものを想い出した。ちなみに普通の黒灰色のソバを使用したものもあって、こっちは「和そば」と言わないと出てこない。たしか30円くらい値段が高かったと思う。有名なので召し上がられたことのある方も多いだろう。
この奇妙奇天烈な「そば」については、由来がカウンター脇の壁に貼られてある。詳細は忘れたけど終戦直後の物資不足の時代に、ちょっとでもそばらしい気分を味あわせようと工夫して編み出されたものらしい・・・・・・って、気になってさっき調べたら、販売元の「まねき食品」の公式サイトが存在してるのを発見した(http://www.vzhyogo.com/~maneki/)。読んで知ったのだが、何とここ、明治21年、日本で初めて幕の内弁当スタイルの駅弁を発売したことでも有名らしい。老舗だったのね。
さて、この「駅そば」、実はさほど美味いものではないのだが、元来駅の立ち食いそばとは、「さほど美味いものであってはならない」代物なんで、極めてこの姿勢は正しいと言えるだろう。
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前回、「おれはジャンクフードみたいなもんはキライだ」みたいに書いといて、その舌の根も乾かぬうちに言うのもなんだが、実はおれは駅そばが大好きなのである。前言撤回。おれがキライなのは「インスタント食品」だ、と訂正しておきます。
閑話休題。
それにしても、だ。今の時代、これほどファーストフードやコンビニが発達したっちゅうのに、それでもちょっと大きな駅前やホームには必ず昔ながらの立ち食いそばがつきものである。・・・・・・で、おれは都内ならどこだって見かける「あじさい」はともかく、見知らぬ土地での乗換えなどでこいつを見つけると時間の許す限り立ち寄ってしまうのだ。こりゃー痩せないハズだわ。
知らない土地に出かけると、たいしてハラが減ってなくでもついつい食ってしまうのだから、これはもはや「食事」ではない。「習性」っちゅーヤツである。そうゆう風にして姫路の駅そばにも出会ったのだ。
何でそんなに好きになったのか?それはおれの幼少のみぎり(笑)にまで遡る。
おれはどこかに行きたくて仕方のない子供だったけれど、小遣いもそんなになかったので、しょっちゅう「無賃乗車」ってーのをしてた。南海電車の沿線に住んでたのだが、国鉄阪和線との接続駅である「三国ヶ丘」っちゅー駅が、戦争中の一時期、阪和線の前身である阪和鉄道が南海電車に併合されていたせいか乗換口がとてもアバウトで、いくらでも阪和線に入って行けたのだ。
阪和線は異界を感じさせる新旧雑多な電車が寄せ集められてて、それはそれは鉄道好きのガキにとって実に楽しかった。紺とアイボリーの湘南カラーそのままの区間快速や、唸るような轟音を上げて走る朱色の旧型の快速、当時は最新型の新快速。EF52やEF15・EF58といった旧型の電気機関車に、ここしか見なかったED60。DF50、DD51、DE10といったディーゼル機関車。紀勢線に直通する、スフィンクスを思わせる相貌のキハ80の「くろしお」やキハユニ16を先頭につけた急行、etcetcetc・・・・・・分からない人はごめんなさい。
そうして和歌山に行き、天王寺に行きして飽きずそれらを眺めて、さらに遠くに出かけていくことを夢想したのだった。ときには大阪駅や京都あたりにまで遠征することもあった。子供心にもカッコ良かった箱型のDD54が何両もの茶色や紺の旧型車両を従えて福知山線ホームに停まってるのを見かけると、それだけでもう、山陰のあちこちに出かけた気分になれたものだ。
当時子供の初乗りは南海が15円。国鉄は10円だった記憶があるので、金は掛からない。しかしそれでもハラは減る。
・・・・・・そうして食べたのが駅そばだった。今思えばよく家出少年と間違われて通報されなかったものだ。値段は覚えていないけど数十円程度だった気がする。
だから、立ち食いそばは、おれのどこか知らない遠い場所への憧れと表裏一体になっている。決してその先に行けなかった駅からはるか彼方の風景が、駅そばを食えばほの見える気がする。
長じてからはそんなことをせずともその風景にまで、実際行けるようにもなったのだが、しかしそのとき、景色は変わり果てた後だった。
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先日、一人でお茶の水界隈をウロウロしていて、立ち食いそば屋に入った。立ち食いとはいえ、最近はサービス向上でチャンと椅子はあったので厳密には「立ち食い」ぢゃないな。ともあれここでザルそばを食ったら何と、「割り湯」が出てきた。
何か違うよな〜、とおれは思った。立ち食いそばが美味さを追求してどないしまんねん!?っちゅーカンジ。けっして美味くはないんだけど不味くはない、その玄妙な均衡の中にこそ立ち食いそばの愉悦はあるのにね。
いわゆる、老舗の蕎麦屋と立ち食いそばを同列に比較して美味い不味い言ったって、また、蕎麦屋が闘ったって仕方ないのだ。通常のラーメンと王子の「二郎よしぐま」のラーメンがもはや似て非なるものである以上に、これらは別種の食い物なのだ。
無論、おれはホンモノの蕎麦も大好きだ。味そのものも好きだし、老舗独特の雰囲気も良い。神田「藪」の間の抜けた注文確認の呼び声、芸術的にまで少ない「もり」の量、靖国通り側の「まつや」の狭い机やビール小瓶がサッポロラガーなレトロさも、浅草の「並木藪」(ここは何とザルを裏向けにして出しよる、笑)の先代主人・堀田某のスノッブさも、まぁ、それはそれで世界があって好きだ。
でも、そのペダントリーあふれる偏愛に決定的に欠けているモノがある。一言で言えば「衝動」あるいは「切実さ」と言ってもいいだろう。同じ音楽でもクラシックとハードコアノイズが違うようなモンだ。技巧と洗練だけで人は動かされるワケぢゃないのだ。味蕾の上のハーモニーだけが味ぢゃないのだ。
そういえば故中島らもも立ち食いそばを偏愛していたことを、エッセイのあちこちで書いている。氏はこのようなマズウマが大好きで「全まず連(全国まずいもの愛好者連合)」を結成したとも書いていた。もちろんこれが、ジャズピアニスト山下洋輔が結成した「全冷中(全日本冷やし中華愛好会)」を意識したものであるのは言うまでもないと思われるが、異様な盛り上がりを見せた「全冷中」に対し、こちらが具体的にどれほどの活動があったのかは絶えて聞かない。
一方で氏は、ウェイトレスが日替ランチ持って走り回るようなしょーもない喫茶店に入るくらいなら、気の利いた静かな蕎麦屋で焼きノリかなんかで冷をちょっとやって、ザルでしめつつユックリやった方がよっぽどいい、なんてこともたしか書いてた。
分かってはったんやな。
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さらに別の日、所用で出かけた品川駅のホームで面白い駅そばを食った。「豪華エビ天3匹入り天そば」500円也!そもそもが駅そばの分際で何が豪華やねん!?と思いつつ、そのバカバカしさに惹かれて食ったら、衣だらけの海老天がホンマに3匹入ってた。でも、やっぱしチープだった(笑)。胸ヤケした。
やっぱかけそばか、せいぜいかき揚げくらいでジューブンだよね。それをサササとかき込み、冷水機から青いプラスチックのコップに2杯ほど水飲んでそそくさと店を出る。サイドメニューにちょっと干からびたオニギリやいなり寿司なんかあったりするが目もくれず、パパパパッとそばだけ片付けちゃう。それがいいんだわ。
何度も言うとおり、これは食事ぢゃないのだから。
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最後に関東と関西のダシの色の違いに触れて、駄文をしめよう。
関西人に言わせると「真っ黒でダダ辛いだけ」の出汁が、駅そばではどこまでか?、っちゅーと岐阜の大垣である。いささか古いハナシなので今はひょっとしたら違うかもしれないが、20数年前、米原で駅そば食ったらいわゆる関西系のダシ、その数ヵ月後に、東京からの夜行の鈍行で終点の大垣に着いて駅そば食ったら、関東系の真っ黒だった。
大垣と米原の間には天下分け目の関ヶ原があるので、何かその辺に由来があるのかもしれない。
まぁ、こうして書きつつ、実はおれはどっちでもいいんだけどね。テキトーでいいんだよ。テキトーで。そんなこと気にするヤツぁ〜初めっから駅そば食うな、って(笑)。 |

神田「藪」のもりそば。ザルがそっくり返ってまっしゅ!!
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2006.02.15 |
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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