昨秋、ようやく念願叶って鳥取の三徳山・三仏寺に行ったことは拙文にまとめた通りだ。何でそんなに「三」に拘りがあるのか知らんけど、麓の温泉はラジウム泉の名湯、三朝温泉だったりする。333でフィーバーやね。橋の下の河原にある丸見えの露天風呂は今更おれが言うまでもなくひじょうに有名だ。川沿いに拓けた温泉街は今なお昔ながらの風情を残す。
昼飯でも食べようかと立ち寄って、散歩がてらに狭い通りを歩いてくと、一軒の造り酒屋があった。藤井酒造って名前だ。へぇ~!と思って見ると、さっき入った店のカウンターに並べてあった「三朝正宗」の醸造元みたいである。実はメシ食いながら、ラベルの「みささまさむね」って平仮名のフォントが妙に素朴で可愛らしく思えて印象に残ってたのだった。
真っ白な長い顎鬚生やして仙人みたいな風貌の店主・・・・・・ってかこの人が社長さんだろう、が奥から出てきて、あれこれ会話を交わしてると、どうやら三朝温泉の旅館では「お銚子」とか頼むと、殆どこの三朝正宗の上撰が出てくるらしい。余り他所には出してないみたいだ。見た目とは裏腹にとにかく話好きの方で、過去にはサミットのお酒に選ばれたとか、これはこうであれはこうでと色んなエピソードを聞かされもした。見た目は小さいけれど、伝統もありつつ進取の気風もあるナカナカの蔵元なんだろう。
冷やかしだけでは申し訳ないし、折角なんでここの一番定番だという件の「上撰」の一升瓶を買ってみることにした。何でもそうなんだろうけど、ブランドなりメーカーなりの一番スタンダードな製品がチャンとしてれば、他は大体信用できるって昔から思ってる。いきなり吟醸酒なんか買ったってベンチマークにもならない。あんなモン、気合い入れてやりゃぁ大体美味くなるに決まってんだから。まずはいっちゃんフツー、ニュートラルのトコを試してみるのがおれの流儀だったりする。
一升瓶ぶら下げて昼下がりの温泉街を歩きながらふと、「町の中だけで生産と消費のサイクルが小さく回ってるってエエこととちゃうんかな?」って思った。
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そぉいやぁおれが大好きな酒に「天神囃子」って新潟は十日町の酒がある。もう40年以上も昔、両親がそっちの出だという悪友のM作が教えてくれてその存在を識った。この酒も最近は都内の拘りの酒屋とかで少しは売られるようになったけど、今なお大半は十日町市内でしか流通していない酒だったりする。だから実際おれも初めて呑んだのは、話を聞いてから随分後になってから、あっちの方に旅した時だった。クルマで走ってると並ぶ電柱にズラーッと「天神囃子」って看板が並んでて、下宿で吞んだくれながらの会話を想い出したのだ。あぁ、そうだ!巻ってトコの山奥の林道脇にテント張って、寂しく一人焼肉しながら吞んだんだっけ。
越後の酒っちゃぁ辛口が目白押しの中では珍しく、とにかく甘いのが特徴で、飲んでると本来の日本酒に求められたであろう祝い事、ハレの日のめでたい場の酒ってこんな甘さではなかったのかな?って気になる面白い酒だ。念のためにお断りしておくと、甘いんだけど決してクドくはない。そらまぁスノッブなオヤジがバカの一つ覚えのように能書き垂れる「淡麗」でも「辛口」でも全然ないけど、独特の豊潤さがありつつ、それでいてさほど食べ物の邪魔をしない感じが良い。是非見付けたら買ってみてください。
・・・・・・って、いや、おれが惹かれたのはそんな美味い不味いではなかった。もちろん希少性なんかでもない。上で述べた通り、生産と流通と消費が、「市」という狭いコミュニティの中で完結するという前時代的っちゃ前時代的、零細っちゃ零細なあり方が今尚チャンと残ってることに何だかとても打たれたのだ。感銘と言ってもいい。
だからって多分、市内で愛飲している人々は実はそこまでブランドがどぉとか味がどぉとかには一切拘りなく、郷土愛とかホームタウンデシジョンもさほどはなくって、「ずーっとコレ呑んでるからコレなんだよ!」とか「配達頼んだら昔からうちは黙ってコレが来るんだよ!」みたいな感じではないかと思う。腐れ縁とまでは言わないまでも、腹蔵なく話せる旧い知己のような。それが良いし、それで良い。
内田百閒の蕎麦屋の出前のエピソードと同じだ。過去にも取り上げたことあったっけ?とにかく彼は近所の特に名店でもない蕎麦屋から出前で毎日「盛り」を一枚半取るのである。所用で外出してても蕎麦のためだけに、ワザワザ昼に間に合うように急いでチャリ飛ばして帰る。近所には他に「更科」やら「砂場」といった老舗の名店があるにも拘らず、ひたすら「中村屋」という市井の蕎麦屋に拘りまくる。そしてものすごいことを言う。
------うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである(無絃琴)。
もぉワガママ極まりないムチャクチャなオッサンだけど、刺さるよね!?おれもこんなセリフを吐いてみたいわ(笑)。ともあれ、日本の各地でひっそりと息づいてきた酒って、そんな愛され方してきたんだろうな、って思う。
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しかし、日本酒の蔵の数は減る一方だ。ピークは昭和31年で全国に4,073ヶ所あった蔵元が昨年(令和5年)は1,394ヶ所、実に1/3に減ってる。まぁ、だからって零細だけど地方色豊かで美味い酒を造る良い蔵が喪われてった、っちゅうのも早計で、戦後始まった三倍醸造とかアル添などと呼ばれる粗悪で手っ取り早い醸造法が全国に普及して、それで雨後の筍のように掘っ建て蔵元が林立し、経済復興も相俟って昭和30年代にピークを迎えたってのが一方にはあった。まぁ全部が全部マトモなところでは決してなく、そりゃ淘汰されても仕方ないよねってトコもそれなりに数多くあった、ってコトだ。でも、そんな泡沫を差っ引いても半分くらいにはなってるんだろう。減ってることは減ってる。
ちなみにおれが今暮らす兵庫県は酒どころとして有名だけど、ピークの昭和38年に251ヶ所だったのが令和5年には実に66ヶ所にまで減少している。全国平均を下回る惨憺たる状況と言えるだろう。寂しいこれが実態だ。そぉいやぁおれの散歩コースの途中の旧街道沿いにも廃業して久しい蔵元があったりする。
一方で、地ビール・・・・・・今はクラフトビールなんて呼ばれるヤツはこの20年くらいでどんどん増え続けている。これも昨年現在の数字を見付けたのでご紹介すると、何と全国に873ヶ所も醸造所がある。こりゃもぉ林立と言っていいくらいの活況ぶりだ。みなさんも観光地とか大きな駅の隅っことかで、ガラス張りで生産工程を見せるようにした小じゃれたミニブリュワリーを見掛けたことがあるかも知れない。あぁゆうのももちろん1ヶ所としてカウントされる・・・・・・ってか大半はそんな小規模なトコばっかしだろう。何せ酒税が絡むハナシゆえ、税務署は厳しくもネチネチ細かいから、その辺はキッチリしてるのだ。そうでないとブートレガーになってしまう。ついでに言うとビールは小規模でも装置産業であり、ライン稼働率を上げるために一つの醸造元でもOEMで依頼を受けてあちこちの銘柄を作ってることがあるから、銘柄数ではもっと多かったりする。この辺はサプリなんかも似た構造になってる気がするな。
ちょっと脱線すると、そうしたクラフトビールの最小仕込量はたったの80リットルらしい。家庭用の浴槽の半分もない。フツーの缶ビールで240本、ロング缶だと160本・・・・・・そりゃ滅多に手に入りませんわな。そもそも殆ど作ってないんだから。
・・・・・・ぢゃぁ、これが現代の地酒なのか?っちゅうと、どうにもおれには大きな違和感がある。
だって全然地元に根付いてないですやん。町のスーパーや酒屋、コンビニの棚にキリンだアサヒだってな銘柄に並んで売られてますか?町のその辺のオッサンがケース買いして、何本か抜き取っては冷蔵庫に入れて、夕食時に飲みながらTV観てますか?価格的に大手とどれだけ違うんですか?第一、味がどれだけ違うんですか?価格に見合うだけの味の差はあるんですか?
そう、あまりにボッタクリ価格なのだ。ハナっから一般市民の常飲なんて歯牙にも掛けてない。観光客とかインバウンドとかそんなんばっかしで、ビールの小瓶サイズの330mlが安いのでも500ナンボ、今は800円前後が多いかな?高いのになると1,500円とか、もぉ笑っちゃうよね。そこらのビール何本買えまんねん?
事情は分かる、分かるさ。なるほど原材料や光熱水費の高騰もあるだろう、小ロットしか作れないから生産性が自ずと上がらず、コスト的に吸収するのだってむつかしかろう(例えばラベルの版下代は何枚刷ろうが同じだもんね)、問屋流通に乗せられないから物流コストだって割高だ。広告宣伝費も掛けられないし、似たようなライバルはひしめいているし。
仕方ないから何するか?っちゅうと、そこに掘っ建てプレミアとでも言おうか、色んな希少性やらストーリー性、ステータス性を無理やりネジ込んで来たりする。
それで呑んでみて劇的に美味けりゃ言うこともないけど、ぶっちゃけさほど美味くもないのが大半だったりするのがナサケない。いやマジ、ホンの数十円お高いだけのエビスとか呑んでた方が絶対100倍マシやろ、ってのも多い。それどころかフツーのビールと較べてどこがちゃいまんのん?ってかそもそもこれ、ヘンなだけでちょっとも美味しゅうないやんか!?って問い質したくなるヒドいのさえある。それって何だか物の順序を根本的に間違えた、足が地に着いてない商売のようにおれには思える。
先日、祇園・「菊乃井」の主人である村田吉弘の発言を読んだ。東京の10人も入れば一杯の小っこい店で一人8万円とかのバカ高い寿司屋に対する批判で、その中に「もう“講釈”はいいから黙っといてくれ、“講釈”を食べに来たわけやないぞ」とあった。「これはどこそこで獲れた魚でございます」だとか「この器は魯山人でございます」とか、ハッタリで料理を「盛る」な、ってコトだ。他にも「『料理』ではなく『価格』を食べる輩」とか瞠目に値する発言が一杯あってメチャクチャ面白い。
言うまでもなく、「菊乃井」っちゃぁ割烹の名店であり、村田氏は日本料理界のかつては風雲児、今は重鎮である。そんな人が「アコギなぼったくり商売やってたら業界全体が永続きしまへんで!」っちゅうて危機感を持って警鐘を鳴らしてるのだ。ちなみに菊乃井、昔お呼ばれで食ったことがあるけど、実際メチャクチャ美味かった。そして、意外なくらいにボリューミーかつお安かった・・・・・・そらまぁその辺の定食屋と較べちゃいけないけどね。あの頃で酒代入れて一人2万くらいは掛かったと思う。でも、この店、この空間、この味、このもてなし、この満足感でこのお値段ならむしろ全然安いくらいやん、って思ったもん・・・・・・つまり、コスト・フォー・ヴァリュー、妥当だったのだ。
それはともかく、同じことが今のクラフトビール界隈の状況にも当てはまるとおれは思う。そらまぁ8万円が800円なら1/100、まだ可愛いもんだけどさ。
いや、地酒だって今はそうだ。純米だ吟醸だ大吟醸だちゅうてた時代なんてまだ長閑だった。それがいつの間にか無鑑査ナントカとか、無濾過カントカ、あらばしりにひやおろし、先ばしりに筆おろしはねぇか(笑)、山廃に生酛に・・・・・・あぁ~もぉ~!うるさいっっ!!ヤンキーのガキのキラキラネームかよ!?ハッタリが多すぎんねん。歌詞のコトバが多すぎる歌みたいで鬱陶しいねん。冠ばっかし重とぉなって、足腰付いて行けてへんのんとちゃうか!?
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上等の美味い酒を吞んで幸せな気持ちになることまで否定する気は毛頭ない。でも、バカホイホイな無理くりプレミア戦略に乗せられて、貪婪な血眼で高い酒やら珍しい酒を美味いモノと勘違いして探し歩いて、大枚叩いてありついてしたり顔で付け焼刃の蘊蓄語るような貧乏臭い幸せよりも、いつもの安酒がとても今日は美味く感じられるような一日を過ごせた方が、おれは余程幸せちゃうんかな?と思う・・・・・・余計なお世話ぢゃい!放っとけや!ってか?
買って帰った「三朝正宗」はちょっと甘目で濃厚な良い酒だと思った。火入れして寝かしてあるんだから、もちろん「フルーティーな吟醸香」もなければ「生の弾ける軽快な爽やかさも」もない。あるワケあらへん。そらないわ。あくまで昔ながらのオーセンティックな日本酒で、フツーに美味しい。
それにしても「三朝正宗」といい「天神囃子」といい、めっちゃ甘口だよな。おれって甘口の酒が好きなんだろうな。そぉいやぁ富田林の「万里乃春」もすごく甘口だった。遥か昔、おれが大学入ったちょっと後くらいだったかに廃業した記憶がある。たしか町田康・「告白」にも登場した寺内町の古い蔵元だった。あそこて今はどぉなってんやろ?と調べてみたら・・・・・・
・・・・・・なんと同じ名前で復活して、一昨年からクラフトビール作り始めてんだってさ。ヘヨヘヨヘヨ~ッ。あの味醂の代用になりそうなくらい甘かった日本酒を復活させてよ。
【参考】
●日本生命「新社会人のための経済学コラム」(https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/167.html)
●神戸新聞NEXT「『倭小槌』の蔵元、井澤本家廃業へ」(https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202112/0014886337.shtml)
●兵庫県「しごと・産業」(https://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/jibasan/04.html)
●BeerCruise「クラフトビールの銘柄数」(https://beer-cruise.net/beer/beer_num.html)
●PremiumJapan(https://www.premium-j.jp/portraits/20241210_44764/)
●集英社オンライン(https://shueisha.online/articles/-/252330) |