寿司食いねぇ!(Ⅱ)


これまた在りし日の石狩・厚田にあった「かねとも寿司」全景。



衝撃的な特上握り、別皿含めてこれで一人前(笑)。

 社会人になって以降、大袈裟に言うなら、寿司に関してはいわば「暗黒時代」を迎えることになる。

 それまであまりにも寿司やら海鮮系ばっか食ってた反動、っちゅうのももちろんあったけど、有り体に言うと、夜な夜な繰り出しては吞気に寿司食ってられるような経済状態ではなくなってしまったのだ。だっても明後日も、学生時代に比べて手取収入がいきなり1/2~1/3くらいになっちゃったんですよ。多い時は25万、なんぼバイト減らした時期でも15万円は下らなかった月収が、8万円とかなんだもんな~。なのに朝から晩まで、時には徹夜までして死ぬほどクソ忙しい。何が税金や!?健康保険料や!?国民の義務や!?って正直思ったね。

 ・・・・・・な~んて他人のせいにばっかしてちゃアカンよね。そらまぁたしかにリーマンになって最初の頃の経済状態は、上記の通りでかなりヒドいモンだったけど、まぁちょっとづつとは申せ給料も増えて来るし、あんまし沢山ではないけどボーナスも上がってくしで、しばらくする内に何とかそれなりにやってけるようにはなったのだった。
 ではなんであんまし寿司屋に行かなくなったのか?・・・・・・一言で言うと他に色々金遣うようになっただけのハナシだ(笑)。1つはクルマをいきなり新車でローン組んで買ったこと、2つ目はそれ乗ってあちこちを旅しまくったこと、3つ目は他のカテゴリーの飲食に出掛けるようになったことで、相対的に寿司とか海鮮の頻度が下がっちゃった、ってのが挙げられる。

 そんな中で記憶に残ってる寿司屋と言えば、東淀川と江坂で今も人気店な「虎寿司」、後はキタの阪急東通りにある「ぶっちぎり寿司・魚心」あたりだろうか。どっちもそんな熱心に何度も通ったとかではない。共通するのはどちらも巨大な握りで有名な店ってコトだろう。
 今は回転寿司とかでも「こぼれにぎり」なんちゅうて、皿一面にイクラやネギトロをムチャクチャに撒き散らかしたり、バカみたいに玉子焼きが巨大だったり、炙った蒸し穴子をドーンと一本載せたようなのがあったりするけど、これらの店は遥か昔からそんなんをウリにしてたのだ。まぁ、目立ってナンボが身上の大阪らしいノリだったと思う。
 ただ、それが寿司として美味かったか?っちゅうと、かなりビミョーやったんちゃうやろか?ってのが忌憚のない所だ。やはりシャリとネタのバランスあっての寿司なワケで、特に鯛・鮪・ハマチ等の切り身のネタを使うのでは、あまりにそれが大きくて分厚いモンだから、生魚の身の塊にゴリゴリ齧り付いてるみたいで、何となくちょっとウっとなってキモチ悪いときがあった。

 ・・・・・・過ぎたるは猶及ばざるが如し、サイズも味のうちなのかも知れない。

 旅先で寿司屋に入ることはあんましなかった。そもそも貧乏旅行でストイックに温泉に入り倒すのが中心で、夜は旅館の食事だし、昼はオヤツ程度のをチョコッと食う程度だったから、飲食店に立ち寄るってコト自体が少なかったのだ。大体、秘湯系の温泉って寿司屋はおろか、飲食店自体が殆どないような山奥に多いってのも大いに影響してるだろう。

 そんな感じで4~5年過ごしたものの、結婚して子供出来たのを境に、再び経済状態はサイアクになる。何せ遊び倒すばかりで蓄財ってコトを一切してこなかったから、逆さに振ってもどこにも金がない。しばらくして東京に転勤になって取り敢えず家賃の苦しみからは解放されたものの、今度は何かと養育費やら教育費が掛かる。

 そんなんで、個人で行くのは回ってるトコばっかし(笑)みたいな時代が長く続いたのだった。そらもちろん、仕事がらみであちこちの寿司屋に行くことはたまにあったし、コロナ禍の今は途切れちゃったけどこれからもあるだろう。でもまぁ自らの意志で行くワケでもなし、それを詳細に書いても詮無いコトだな。
 ただ、そんな中でも、築地の「江戸銀」や馬喰町の「帆掛鮨」なんかはレトロな店構えがすごく印象に残ってるし、後者は原初の握りのスタイル(通常の2貫分がこの店の1貫サイズ)を今に残す店と言われてて、「虎寿司」や「魚心」とはまた違う大きさが独特だった。もう東京では数軒しか残ってないらしい。

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 北海道時代はそれでも、一人暮らしの気楽さと、歩いてすぐのトコにあったってコトで、南郷通を月寒の方に向かってく途中にある「とも恵寿司」ってのにたまに行ってた。

 この店、値段は回転寿司並みに安くて敷居が低いのにネタは新鮮だし、寿司屋らしくキチンとひと手間仕事してあるし、一人でも気楽に入れるし、寿司以外の一品も美味くて本当に良心的な店だと思う。今やネット上でもかなり知られた存在だ。そんな店が徒歩圏内に偶然あったっちゅうのはとてもラッキーだった。この店で生まれて初めて生ニシンの握りってのを食ったが、その鮮烈な美味さにビックリしたのは今も忘れられない。
 もっと常連になっても良かったし、なるべきだったのかも知れないが、その頃は一人暮らしの無聊のカタルシスがギター購入に向かってた時期だった。もっと北海道なんだからグルメに血道を上げることもできたろうに、何だか食にはさほど興味が湧かず、日々の大半は乾麺の蕎麦茹でたり、「やきそば弁当」にキャベツ追加したり、自作のパスタベースと乾燥パスタに野菜やらキノコ加えたり・・・・・・とひじょうに慎ましやかに過ごしてたのである。

 あと、そんな良心的な店ゆえ行っても既に満席なことが多かったのと、欠点と言っちゃぁ酷だろうが、大将が熱狂的なジャイアンツファンでコアな連中が集う店となっており、このことがそこまで足繁く通わせなかった原因だったりする。
 ・・・・・・って、おらぁ別にプロ野球自体に殆ど興味が無いから、店の中がオレンジと黒に染まっていようがいよまいが、どぉだって良い。まぁ関西の出だから、問われればタイガースに何となく少しシンパシーを感じるかなぁ?っちゅう程度で、だからアンチ巨人、ってコトもまったくない。オリンピックもそうだけど、プロとはいえ所詮は他人がやってることに一喜一憂する心理がそもそも分からないのだ。いやいや、高踏を気取ってディスってるのではない。ホンマにおらぁその辺の思考回路が欠落してて分からんのだから仕方ない。
 そんな野郎がヘタに常連になって、もしジャイアンツネタを振られたりしたら、どうにも答えに窮してしまうではないか。それで店内全体の空気をサーッと白けさせたり、凍りつかせてしまったらどぉしよう?それだけならともかく、大阪弁ってだけでタイガースファンと決めつけられてファナティックなヤツにブン殴られたりしたらどぉしよう?大将に三枚に卸されたらどうしよう?(笑)・・・・・・不安がどんどん膨らむばかりで、落ち着いてゆくりなく寿司が愉しめないではないか。
 だから巨人が連敗中だとか、ペナントレース終盤で競り合ってる時期とかは、無用のトラブルを避けるためにちょっと避けてたりもしたのだった(笑)。

 あぁそうだ!石狩の厚田にあった伝説の「かねとも寿司」については、絶対に書き留めて置かなくちゃいけないだろう。残念ながらこの店もまた現存しない。訪ねた数年後にはどことなく萩本欽一に似てた大将が高齢のため引退してしまい、そのまま廃業となっちゃったのだ。
 冒頭の写真でお分かりの通り、この店はとにかく一人前の個数がハンパなかった。客の態度、その日の仕入れ、そして大将の気分によって出される数にかなりの変動があると言われており、おれが行った時はたしか24~5貫出てきたと思う。これは普通よりはちょっと多かったようである。

 その日は猛烈な悪天候で、地吹雪で殆ど前が見えない中、ナビを最大にズームして道路から外れてないか確認しながら這うように石狩平野を横切って出掛けてったのだが、それでも既に店の前の駐車場には何台かのクルマが停まっていて驚いた。待つことしばし、開店時刻が近付くとクルマから段々と人が降りて来て、降りしきる雪の中、行列を作る。それはまるで南極大陸の皇帝ペンギンみたいだった。
 どうやら、寿司下駄の上に満載になった分が本来の一人前で、小皿がサービスらしい。初めに寿司下駄がドーンと出て来る。厚田は海沿いの町だけあって、やはり良い魚が入るのだろう。美味い!自然と笑顔になる。みんな極寒の中並ぶだけのコトはある。
 そうして喜んで摘まんでると、大将から「もうちょっと待ってな!まだ来てない魚があるんだ~」とか言われて、実際しばらくすると魚屋が発泡スチロールのトロ箱を持ってやって来る。そりゃぁ問答無用で新鮮だわな。

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 東京に戻ってから印象に残った寿司屋ってどこだろう?

 ・・・・・・実はあんましなかったりする。結局、買い物のついでに回転寿司に寄ったりするばかりだ。味気ないとは思うものの、ガーッと気合入れて寿司屋に行きたいか?っちゅわれたらそこまでの欲求は無かったりして、いささかショボいことになってしまってる。

 そんな中で館山の手前、那古って町の海近くにある「茂八寿司」は強烈に印象に残った。実はあっちの方ではかなりの老舗で創業は江戸時代、100年以上の歴史があり、今の店主で実に七代目らしい・・・・・・で、ここの名物が「田舎寿司」という巨大握りなのだ。上の方でも書いた、1つを半分に切って出すようになる前の古い握り寿司のスタイルを残してるのである。
 ところが、1つが2貫分の大きさかっちゅうと絶対にそれよりも大きい。3~4貫分は軽くある。オマケにシャリがビックリするほど柔らかくて密度が高い。大袈裟に言うと、寿司飯っちゅうより酢で味付けしたキリタンポみたいな他に類例のないモノだ。だから一人前食うとメチャクチャ腹いっぱいになる。これらの特徴がどうやら「田舎」の由来となってるらしい。

 他にもステンレスのカウンターの手前に指先を洗う水道のカランが並んだような、東京の古いスタイルを残した立ち食い寿司で気に入ってるトコがあったりもするんだけど、あんまり詳しく書くとおれの住まいまでバレてしまいそうなんでこれくらいにしておこう。まぁ、そのうちこの地を去ったら詳しく書きたい。

 元来、握り寿司って日本のファストフードだったと言われる。サッと屋台の暖簾を払って入り、パパパッと何貫か摘まんだらすぐに出て行くのが粋とされてた。大体が酢飯にワサビ塗って、ネタ乗っけてちょっと固めただけのシンプル極まりない食い物なのだ。
 実際、寿司店の高級化が進んだのってさほど古い話ではない。戦後だったりする。それに握り寿司が全国的に広まったのも案外新しく、関東大震災の後なんだそうな。大トロが持て囃されるようになったのも同時期。ちなみに生魚を載せるようになったのは明治になってから。それまでは酢で〆たり、蒸したり焼いたりするのが基本だった。
 何年か前に友人の節税対策とやらで、名刺をやる代わりに祇園で一人4万円の寿司ってのを奢ってもらった。たしかにものごっつ美味かった。だけど、おれには何となく最後まで違和感が残ったのも事実だ。一舟1万円のたこ焼きを出されるようなモンだと思う。ナンボあらゆる料理は洗練と高級化の道を辿るとはいえ、そんな立ち位置がデフォになっちゃいけない。

 そうして考えると、古くから伝わる江戸の職人の技だのなんだのって能書きも怪しくなって来る。回転寿司ってのは案外本来の寿司のあり方に近いモノなのかも知れない・・・・・・いささか寂しい結論だが。


握り寿司の原初の姿を残すと言われる「茂八寿司」の巨大握り。

2022.03.11

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