人民の酒、焼酎は・・・・・・


焼酎の本来のあり方を考えれば、こんなのが正解なんだろうな・・・・・・。

 酒屋に行くと焼酎って、今は画像に上げた「大五郎」だとか「ビッグマン」なんて、エンジンオイルでも入れてんのかよ?ってなサイズの激安ペットボトルから、「魔王」だとか「森伊蔵」といった超プレミアなモノまで、驚くほどのラインナップが商品棚に並んでいる。逆に日本酒はすっかりマイナーになっちゃって、片隅に押しやられて随分肩身の狭い思いをしてる感がある。

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 これはあくまでおれの主観で、どこまで正確かは分からないけど、焼酎がこれほどメジャーになったのには、昭和50年代半ばくらいから始まる2つの流れがあったように思う。1つはチューハイブーム、も一つは「下町のナポレオン」こと「いいちこ」に代表される、九州系で乙類、使用原料の香りの残る「本格焼酎」ブームである。

 まずチューハイ。要は焼酎の「ハイボール」のことで、そもそもこれってかつて関西には存在してなかった。調べてみると東京の下町にルーツがあるらしい。恐らくは薬品っぽくてマズい焼酎を少しでも飲みやすくしようと、駄菓子屋のラムネで割ったようなのがその端緒なんだろう。そぉいやホッピーなんて「ワリ」も関東人にはお馴染みな一方で、関西人には比較的最近まで謎のアイテムだったと言えるだろう。さらにマイナーでコアなワリの「ホイス」や「バイス」も、元は東京周辺のごく狭い地域だけで流通してたようだ。事実ホッピーの製造元は赤坂、ホイスの製造元は白金、バイスの製造元は大森にある・・・・・・って、赤坂とか白金ゆうたらセレブの住む超ハイソな街やん!って思われるかもしれないが、かつては長屋の建ち並ぶ下町だったのだ。
 これらがチューハイのルーツなのは間違いないけど、それだけで全国区にはなれない。え~っと、どこだったっけかな?何となく「村さ来」だった気がするな・・・・・・とにかくどっかの大衆居酒屋チェーンが、この東京周辺に限定されてたチューハイを店のウリにしたことと、安くて甘くて飲みやすいってコトで、若者中心に一気に広がったように思う。それとその頃のチューハイブームの陰にはサントリーの「樹氷」があった気がするが、良く分からない。少なくとも近年ブイブイゆわせてる「キンミヤ焼酎」なんて、全然メジャーではなかった。

 もう一つの流れである所謂「本格焼酎」っちゅうのはどの辺からだろう?大学に入った頃、九州方面出身のヤツが盛んに「いいちこ」の素晴らしさについて話してたけど、今みたいにどこでも売ってはなかった。それがしばらくすると急速にあちこちで流通しだした記憶がある。ほぼ相前後して「二階堂」だとか「雲海」なんかも出回り始めた。要するに最初はクセの比較的少ない麦から始まり、米が続いて、ぶっちゃけ人によっては臭いと感じられる蕎麦やら芋が流行るのはもう少し後だったと思う。
 いずれにせよ、シロップ入れたり炭酸で割ったりせずに焼酎をロック、あるいはせいぜい水か湯で割って呑む・・・・・・なんてのはそんなに昔から一般的にあったコトではない。これらの専ら九州の蔵元で一升瓶とかに入ってて、ラベルも日本酒っぽいのが流通し始めてからのことだった。概ねチューハイブームと時期を同じくしてたと思う。

 何でこの頃、焼酎が大攻勢を掛け始めたか?っちゅうたら要は酒税の問題があったらしい。たしかにビールや日本酒はその頃、野暮な税吏のせいでドンドン値上がりしてた記憶がある。ビール大瓶って酒の値段の一つのベンチマークだったように思うけど、大学に入ってすぐの頃は200円前後だったのが数年でエラく上がって、270円とかになってたもん。あと、ウィスキーでは比較的よく呑んでたサントリーのホワイトも千円以下で買えてたのが、数年のうちにドンドコドンドコ上がってった記憶がある。
 その一方でたしか焼酎は税金が変わらなかったんで、それで一気に市場に打って出たんだろう。まぁ近年で言うなら発泡酒とか第三のビールが担った役割を焼酎が受け持ったワケだ。

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 いやもぉ本場九州を除けば、それまでは焼酎なんて土方やニコヨンの呑む荒んだ酒であって、良識ある一般市民が呑むモンぢゃない・・・・・・ってなくらいに世間からは思われてたのだ。強いて言うなら梅酒を作る時だけ使うモノ、ってとこだろうか。ぶっちゃけかなり差別されてたのである。今の感覚で言えばひでぇハナシって思われるかもしれないが、それが偽らざる実態であった。上記のような焼酎ブームを経て、いわばようやっと市民権を得たワケだ。

 何でそんな風に下衆な酒と見做されてたのか?っちゅうと、結局はその製造方法にあるように思う。原料の味や香りがダイレクトに残る醸造酒と違い、蒸留酒は原料を問わないのである。デンプン質やら糖質を含むものであれば何からだって作れる。要はアルコール発酵させて蒸留しちゃえばOK。ほれ、テキーラなんて竜舌蘭・・・・・・要はサボテンやで。
 それと蒸留酒全般に言えることなんだけど、出来立てではどうにも美味くない。理由は良く分からないが、熟成されることで味がこなれるっちゅうか、深みが出て来る。寡聞にして出来立てが持て囃される蒸留酒って聞いたことがない。泡盛なんかが良い例だ。熟成してないのはマジでメチャクチャ臭い。
 こうして何からでも作れて、出来立ては不味いんだけどとにかく度数だけは無闇に強い、っちゅうのが軽く見られた最大の理由だと思う。

 さて、いっちゃん呑み狂ってた学生時代に焼酎を呑んでたか?っちゅうと、実はそれほどは呑まなかった。決して差別してたからではない。要はみんな日本酒党だったからだ。そぉいやウィスキーも下宿の部屋ではあんまし呑まなかったな。やはり度数の高い蒸留酒ゆえ、量のコントロールが難しかった、ってのもあるような気がする・・・・・・ならば水割りとか湯割りにすりゃエエやんか、って意見もあるだろうが、何故か割って呑むのっちゅうのもあんましやらんかった。

 それに日本酒の豊富なヴァリエーションに較べると、焼酎はあんまし選べないし、そんなに大きく味の差もない・・・・・・いや当時は、だよ。ウィスキーは酒税改正前だったのか、今よりもっと高いモノってイメージがあった。実際、これまたかつてはベンチマークだった「ダルマ」ことサントリー・オールドが3千円近くしてたと思う。ん!?トリスとかレッドとか安いのもあるにはあったが、何かメチャクチャに不味くて、それなら日本酒の方が良いや、ってなってたような気もするな。
 だからってビールばっかし、っちゅうのもやはり金が掛かる。当時はヘタすりゃ1人大瓶1ダースとか呑むから、これではいくら金があっても続かない。大体、ちょっと割高だっちゅうて、缶ビールより瓶ビール買ってくる方が多かったくらいだし(笑)。実にセコい話もあったモンだ。そんなこんなでみんなでワイワイ呑むのは日本酒が多かった。
 もちろん、度を過ごしても翌日ラクなのは焼酎やウィスキーといった蒸留酒の方であるコトはみんな分かってたんだけど、それでもやはりっちゅうか、ひたすらっちゅうか日本酒が殆どだった。別段それはおれたちの周囲だけに限ったことではなく、かなり一般的だった気がする。どこの下宿でも、階段下や廊下の奥には空いた一升瓶の転がってることが普通だったもん。

 飲み屋のメニューでチューハイは当時すでに一般的な存在だった。しかしこれもそんなに頼むことはなかった。大体甘くて食い物に合わない。それと、こんな甘いの呑むヤツなんて酒呑みの風上にも置けない、ってなノリもあった。しかしながら焼酎そのままで、湯割りだなんだっちゅうのもあんまし頼まなかった。せいぜい、最後の方でちょっと日本酒はクドいな~、って気分になった時に変化球で頼むカンジだったように思う。
 唯一、一乗寺下がり松を東に入ったトコにあった「K」ってトコではチューハイを良く呑んでたっけ。いやいやこの店、学生に優しくて6:4で特大ジョッキとかを安く出してくれたのだ。一杯でかなり酔える、っちゅう寸法やね。

 こうして想い起すと、いかにも金回り良かったハズなのに月の大半を金欠で過ごしてたあの頃らしい気がする。豪気なのか吝嗇なのか、金遣いが荒いのか倹約家なのか自分でもサッパリ分からん。

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 焼酎を呑むと、今は兵庫でNPOだかなんだか相変わらず活動家やってるMは、必ずと言って良いほど「人民の酒、焼酎はぁ~♪」なんて替え歌を歌うのだった。しかしながら本人も実はウロ覚えで、そっから先の歌詞も元ネタが何かも良く分かってなかったりした(笑)。
 大体、左翼がその手の労働歌をマジメにみんなで合唱するなんて60年代くらいまで、そいでもって替え歌でパロディにしてたのが70年代半ばまで、ってなカンジで、80年代では完全に過去の遺物となってた。「重い立て看抱えて、通ったあの道♪本棚に目をやれば、積んだままの資本論♪」(←「学生時代」の替え歌)とか、まぁ他にも懐メロのようにして沢山あった。しっかし彼は一体全体どこからどぉしてこれらの知識を仕入れてたんだろう?

 今はベンリな世の中になって、ネットで5分も掛からずに判明する。元ネタは「赤旗の歌」で、メロディはドイツ民謡らしい。この日本語訳はナカナカ文語調で格調高いのだが、それが焼酎の歌になったとのコトだ。以下に両方を載せて、締めくくりとしたい。

民衆の旗、赤旗は
戦士のかばねをつつむ
しかばね固く冷えぬ間に
血潮は旗を染めぬ

高く立て赤旗を
その影に死を誓う
卑怯者、去らば去れ
われらは赤旗守る
人民の酒、焼酎は
安くてまわりが速い
焼鳥硬く冷めぬ間に
早くも頬を染めぬ

高く挙げ 杯を
その下でくだを巻け
ウヰスキー、去らば去れ
我等は焼酎を守る

 ・・・・・・焼酎ってそぉゆうモンなんだろうね。高い金払ってノーガキ垂れるモンぢゃ、本来的にない。ちなみに替え歌の歌詞は色んなヴァージョンがあるみたいです。も一つちなみに替え歌の二番はタバコの「しんせい」、三番は「国鉄」についてっちゅう説が多いです。今夜はそんなんで(←何が「そんなんで」だか、笑)、デカいチタンのマグに氷を詰めて芋焼酎をロックで呑みました。おれも随分酒が弱くなりました。よってヘロヘロです。かしこ。

2021.05.16

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