川魚の話


おらぁ岩魚より鮎の方が好きだ。

http://matome.naver.jp/より

 川魚が苦手だ、って人はひじょうに多いように思う。でも、川魚たって岩魚や山女、アマゴ、鮎、鯉に鮒、鰻に鯰・・・・・・etcと種類はいろいろあるんだし、それを一括りにして「嫌い」なんて言われた日にゃぁ彼等の立つ瀬がないんぢゃないかと思う。とは申せ魚なんだから瀬に立つ必要もないし、まぁ人に好かれたところで喰われるだけなんだから、どぉでもいいことだな・・・・・・。

 ・・・・・・ア、アカン。枕でいきなりスベッてしもうた。自分で読んでも面白くも何ともない上にグダグダやんけ!

 どうも酒飲んでからキーボードに向かうとロクなことがない。いや、実はその酒の肴にしてたのは頂き物の自家製の鮎の甘露煮だったのである。それがもぉ大層美味だったもんで少々飲みすぎてしまったのだ。そしてその勢いでこんなネタまで振ってみようと思い立ったワケである。

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 おれは川魚が好き、っちゅうか、別に淡水魚だからって特段の抵抗がない。これまで食えなかったのは、九州のとある宿で出された鯉の皮の湯引きくらいだ。これは何だか見た目が「鯉のぼり」を刻んだみたいでグロテスクな上にクセが強すぎたのだ。

 淡水魚が敬遠される最大の理由はおそらく「泥臭い」と俗に言われるこの独特のクセにあると思う。まぁ言葉は悪いがドブ臭いのである。藻とかいろんなものの混じった臭気だ。これは岩魚や山女といった渓流の、それも養殖ではない天然モノ以外には、程度の差こそあれ大抵感じられる。鮎を別名「香魚」と書くのもこの理由からで、餌とする藻や苔の香りが付くのだ。ただコイツは比較的水の綺麗な中流域から上流辺りにいるから、それはそんな嫌な臭いではない。匂いと書くべきものだろう。
 そりゃおれだって、しばらく清水の中で絶食させないままサバいた鯉とか鮒だと臭みがハッキリ分かるから、さすがにちょとキツい。ちなみに海魚でも汽水域近くの鯔とか、もぉウェッと嘔吐感を催すくらいに臭くて臭くて食えないことがある。泥臭さは必ずしも川魚の専売特許ぢゃないのだ。

 偏食の激しかったおれが、このようなクセが多少なりともあるある川魚にだけは比較的スンナリ入って行けたのは、おそらく母方の祖父が川釣りが好きで、釣ってきたハス(関西でハヤのこと)を茶炊きにしたものや、鮎その他をたまに食わせてくれたのと、父方の田舎で飽きるほど鮎やら何やらが食膳に供されたからではないかと思う。

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 川魚が嫌われる第2の理由に「小骨が多い」っちゅうのがある。特にハスには小骨が多い。それだけでなく、わりと中流より下に棲息するせいもあってか泥臭さも強い。どうやら鮎釣りの外道で掛かるらしい。まぁ海で言えばベラみたいなもんなんだろう。沿岸部にウジャウジャいるんだけど、こいつもクセがあって、そのままだとあまり美味くない。
 で、これらの問題をいっぺんに解消する調理法が「茶炊き」である。どんな理由か化学反応かは知らないが、最初に軽く焼いてから番茶で最初ジックリ煮込むと骨までクタクタに柔らかくなるだけでなく、臭みも抜けるのだ(もちろん山椒や生姜も入れるけど)。おれは甘辛く煮たこれがなぜかけっこう好きだった。

 鮎は祖父の技術ではあまり釣れなかったようで(笑)、まぁ、滅多に食わしてもらったことはなかったが、これもおれには抵抗なくスンナリ受け入れられる味だった。塩鮭だけは物心着いた頃から好物だったのだけど、鮎の味は実の所この鮭に似ていたのである。むしろ鮭よりこちらのほうがよほど淡白で上品に思えた。

 おれの好き嫌いの激しさは祖父母も知ってたから、ヘーキで川魚をパクつく孫の姿を不思議そうに見ていた。祖母は口癖の「まぁホンマえらいこっちゃでよぉ~」を繰り返しながら、何でこんなもんが食えるのに普通のものを食えないんだ?ってなことを尋ねるのだった。小学校に上がる前くらいの話だ。

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 父方の田舎は数えるほどしか行ったことがない。行ったのはいずれも夏休みの半ばで、おれは何軒かある親戚筋の家で二十歳前後の兄弟のいる家が一等好きだった。多分高校生か大学生くらいだったと思う。我が家とどぉゆう繋がりになってるのかは未だに知らない。
 彼らも夏休みであるから、昼間は川に連れてってくれる。随分と大きな川が家の裏を流れていて、そこで専ら鮎を取るのである。彼らにとってはそれは決して遊びではない。夏場の貴重なアルバイトであった。

 友釣りなんて悠長なことはしない。細い竹の棒の節を抜いたものに長いタコ糸を通し、片方は途中に空けた穴から出して抜けないように枝が括り付けてあって、そしてもう片方は棒の先端から出したところに大きな釣り針を4本、錨のような十字の形にしたものがシッカリ付けられている。これを手に、川に潜って鮎を引っ掛けるのである。逃げようとしてもタコ糸が伸びて逃げ切れない。そこをパッと手づかみにするのだ(※)。
 その技術たるやそれはそれは見事なもので、背鰭や尾鰭、口の近くといった商品価値が下がらない所を狙って引っ掛ける芸の細かさ。子供の目にはまるで魔法のように思えた。調子がいいと2時間で5~60匹は平気で取れた。潜るのはいつも「堰堤」と呼ばれる小さなダムの下のものすごく深い渕だった。
 それを魚籠に入れて家まで帰ると、自分ちで食べる分以外はすぐさま串打って長いカンテキで塩焼きにする。あとはそれを近所の仕出屋に納めるワケだ。
 雨が降ると、川はいっぺんに増水し濁流となる。それでも彼等は平気で、たしか「ニゴリモチ(どんな漢字を当てるのかも分からない)」と称してたと思うが、そのようなときに魚が固まってじっとしてる場所があるんだとか言って川に出かけて行くのだった。

 バッテリーで鰻を取ったこともある。鰻は夜行性だから昼間は川岸の水中の巣穴に潜んで顔を半分出して寝ている。チームになって長いゴム長を履いて、何人かが水中眼鏡でその穴をまず探し、バッテリーを肩に背負った係がそこに電極棒とタモ網を突っ込んでバチッと電気を通す。そうすると鰻が気絶してヘロヘロ~ッと穴から出てくるのである。これも自分ちで食べる分以外は仕出し屋に売ってた記憶がある。鰻のサバキ方や生命力の強さはこのときに知った。
 夜は夜で「ヨブリ(これも漢字不明)」てーのがたまにあった。けっこうな人数で出かけてってたと思う。昼行性の魚は夜は群れで固まって、流れが比較的穏やかな渕の深いところなんかで寝てる。それを水中ランプで探して取るのである。一網打尽とはまさにこのことだ。川岸では暖を採るための大きな焚き火が赤々と燃やされ、おれは見てるだけだったけれど、それでもとても楽しかった。シューシューと音を立てるカーバイドランプも懐かしい。ああ、仕掛けを水路に沈めて鯰を取ったこともあったな。鯰は本当に美味い魚の一つだろう。
 今思えばあの家は農業やりつつ川漁師やってたのかもしれない。

 ともあれそんな暮らしだからとにかく三度の食事はもぉホンマ鮎ばっかし、たまに「今日はごっつぉやで~」なんて言われてごくフツーのカレーライスが出てくるような、そんな家だった。塩焼き、甘露煮、鮎まむし(鮎を蒲焼にして作った丼)、天麩羅、フライ・・・・・・刺身であるところの「せごし」やはらわたの塩辛の「うるか」は苦手だったが、それら以外はどれもとても美味かった。もちろん、件の鰻や鯰なんかもたまに出た。

 思えば、魚取りに行かないときもその家は何だかとても楽しい家だった。玉子は朝に鳥小屋から集め、野菜は川と家の間にある畑から取ってくる。風呂は薪の五右衛門風呂で夕方になると必要な分を斧で割らなくちゃいけない。実際は面倒くさくて大変なことなんだけど、子供だったおれの目には年がら年中林間学校とかキャンプやってるように見えた。
 兄弟のオニーサン達は離れが自分たちの部屋になってて、そこだけは前時代的な雰囲気の母屋とは異なり、壁にはいろんな映画や音楽のポスターが貼られ、さらには古い大きなステレオと大量のレコードがあった。そこでおれは初めて「ロック」やら「フォーク」、あるいは映画のサントラなんちゅう音楽を聴かされたのである。
 あのころは興味がなかったので気にも留めなかったけど、アコースティックギターもエレキギターも部屋の隅に転がってた記憶がある。まぁ、戯れ程度とはいえ、煙草も吸わされたし酒も飲まされた(笑)、田圃の畦道みたいなところで軽トラの運転も教わった。

 そんな経験が記憶の中で一緒くたになって、おれは多分、余計に川魚が好きになったような気がする。

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 話を180度変える。

 川魚は食糧危機の到来が囁かれる状況の中、今後、蛋白源としてはもっと注目されるようになるのではないかと思っている。ウロ覚えなのでハッキリした数字は示せないが、たしか単位面積や与える餌量から見て最も効率の良い養殖は魚だ、って聞いたことがある。牛は逆にひじょうに効率が悪いらしい。かといって海辺に住んでるならともかく、内陸部で海水の確保は非常にむつかしいから海の魚を育てるのは容易ではない。家で海水魚を水槽で飼育するのだってひじょうに大変なのだ。やはり川魚だろう。

 家庭菜園感覚で庭にちょっとした池拵えて綺麗な水さえ確保すれば、あとは鳥や猫に狙われない仕掛けくらいで容易に育てることができるし、日々必要な分だけ取ればいいからムダがない。輸送に掛かるエネルギーも不要。
 これが禽獣の類だと、たとえ鶏だって1羽つぶすとかなりの量になってしまってすぐには食べきれない。豚なんかだともう大変だ。そうなったら保存するための工夫がいろいろ必要になってしまう。そもそもソーセージやハム、ベーコンなんてそんなトコから必然的に生まれたものだ。昔は塩漬けや燻製、香辛料くらいしか日持ちを良くする手立てがなかったのだ。今の時代、保存するには冷凍庫や冷蔵庫なんてベンリなものがあるが、しかしこれらは電気がないと動かない。

 つまり、今風の言い方をするならば、川魚を必要なだけ取って日々の食材にするのは究極のエコなのである。ただ水、水だけは綺麗な状態でないと臭くて食えなくなってしまう可能性が強い。

 ・・・・・・と、そんな力んで堅苦しく言わずとも、庭に生簀があって、そこからアマゴやヤマメ、あるいは底を這えずる田螺なんかを適当に取ってきて夕餉のおかずにする生活は、金もかからず隠遁と自給自足の雰囲気があって楽しいだろうなぁ~、と思ってしまう。ついでに生簀が山の水を引き込んだもので、山葵なんぞが自生してたらもっと風流だろう。不便で退屈だけど、淡々と穏やかな生活。

 そんな物件で今はもう住む人もなく荒れるがままになってるのは、今やおそらく日本中にある。人里離れてるから、それこそアンプフルテンで爆音垂れ流しにしても大丈夫なような所だ。流石に電気くらいは来てるだろう。それでおそらく買い取ったって二束三文の僅かな金額に違いない。しかし、不便とはいえクルマさえあればさほど生活には困らないし、いよいよアカンようになったらそん時ゃ~そん時だ。

 ・・・・・・川魚について考えると、なぜかいつも最後はそんなところに考えが辿り着く。海の魚食っても決してこんな風には思わない。

 違った意味でやはり独特のクセがあるんだな、川魚には(笑)。



※一般的には「ちょんがけ」と称することをこれ書き上げてから知った。

2010.11.01

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