「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
硬貨の葬送


これが銭升。案外早く計算できてベンリ。

https://www.auction-world.co/より

 今になって思えばバカなコトをしたモンだと後悔しきりなんだけど、どうだろ?この10年くらい、釣銭でもらう1円玉・5円玉・10円玉・500円玉をコツコツと貯めてた・・・・・・否、「貯めてた」っちゅうよりは「溜めてた」にむしろ近いな。「コツコツと」も盛り過ぎ、「漫然と」だわ。エエカッコゆうたらアカン。

 朝、出勤途中にコンビニでオニギリかパン、ほいでもってペットボトルのコーヒーとお茶を買ったりすると400円前後になる。そこで千円札出してお釣りがほぼそのままブタの貯金箱に行くようなカンジだな。それが溢れて来ると金種ごとに仕分けて煎餅の缶やら茶筒に移し替えたりしてた。タバコはカートンで買うから関係ない。それに千円超える買い物は全部クレジットカードだし、急いでてSuicaで済ますこともあったから、まぁそこまで熱心に毎日ではなかったが。
 いささか呆れ顔でヨメからは「こぉ〜んな小銭ばっかり、何したいのん?」な〜んて、苦言を呈されたりもしてたのだけど、そこまで部屋を占有してジャマでもなし、誰かに迷惑かけてるワケでもなし、適当にあしらいながら時は過ぎた。

 ・・・・・・気付くと塵も積もれば何とやらで、いつの間にか缶が重くて持ち上げられんくらいものすごい量になってる(笑)。大店から千両箱を盗み出して、小脇に抱えたりなんかして屋根の上を軽々と逃げて行く江戸時代の泥棒はエラいわ。そしてもう一つ気付いたこと・・・・・・そう、硬貨を取り巻く世の中の状況は急速かつとんでもないレベルで変わって来てたのだった。キャッシュレスとか電子化、っちゅうやっちゃね。長い貨幣の歴史の中でこらもぉ激変っちゅうても良いだろう。

 既にみなさんご承知の通り、そんな流れの中で今では硬貨の両替は有料だったりする。金融機関によって若干手数料の課金ルールは異なるが、1円玉1,000枚を両替すると1,100円掛かる、な〜んてフザけたくった例もあったりする。いやホンマ、まるでアホやね。また入金だけでなく出金でも、硬貨を指定したら手数料を取られるゆうちょみたいな例もあって、実に世知辛い。

 そんなんだから発行枚数も年を追うごとに減少して行ってる。1円玉なんてピーク時には年間27億枚作られてたのが最近では50万枚少々だから0.02%とかそんなんである。激減とか消滅寸前と言って良い。もぉ完全に社会の邪魔モノ扱いになっちゃってるワケだ。

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 硬貨は長い歴史の中でお金の基本形態だった。硬貨にまつわる悲喜こもごもの小説・童話・ドラマの類は枚挙に暇が無いくらいだったりもする。それがこのありさまだ。グリム童話の「星の銀貨」が「星のPayPay」ではまるでもぉお笑いだ。下着まで脱いで貧しい少年に与えて素っ裸になった少女ではあったけれど、スマホだけはしっかり握りしめてましたってか?

 でも実際、硬貨が今の時代ワリに合わないのは厳然たる事実だろう。概ね硬貨に用いられる金属類は、その使用量が貨幣価値に比例しているのが普通だった。だから大判は金が沢山使われてて大きいのである。現代においても500円玉は一番大きくてニッケルや銅が沢山入ってる。当然ながら、でも原価は貨幣価値よりも低い。
 ところがインフレが少しづつ進行する中で、硬貨を鋳造すると却って高く付くというネジレが起きてしまった。1円玉は1枚作るのに原価が3円掛かってる、っちゅうのは有名な話だが、実は5円玉も10円玉も同じような状況に陥ってる。昔のようにジャンジャン作ってたら1円玉だけで50億円以上の赤字になってしまう。それでなくても財政状況が思わしくない国にとって、硬貨を発行するほど赤字が膨らむなんちゅうのは看過できなかったワケだ。気持ちはまぁ分かる。

 数えるのだって管理するのだって保管するのだって、冷静に考えればたしかにめんどくさい。今でも金融機関に行くと大きな金種の選別計算機がドーンと鎮座してたりする。上からザラザラ流し込むと円錐状のプレートの上で回転しながらそれぞれの金種に振り分けられて行く仕組みだ。そんな高価な機械なんて買えない昔の小商いな商店だと、「銭升」っちゅうて大きな羽子板のようなのに5×10で50個の針金の格子がくっ付いたのがあって、そこに硬貨を掴んで載せて揺すって50枚を勘定する、な〜んてやってた。
 会社でも複数の相手に渡す現金をまとめて出金してもらう時には、必ず1円玉が何枚、5円玉が何枚ってな金種表ってのを添付させられたモンだ。そのロジックをプログラムにしたこともある。まぁカンタンな剰余系なんで、威張れるほどの内容ではなかったが。
 新聞や電気・ガス・水道の集金人、車掌さんなんかはみんな、学生カバンがガマ口になったような黒い革製の肩掛けバッグを提げてて、ひぃふぅみぃよぉと数えながらお釣りを渡してくれたりするし、色んな配達の集金だとコーヒー豆の袋を小さくして巾着にしたようなドンゴロスの集金袋に入れて、大切に店まで持ち帰ってた。合わなかったりしたらもぉタイヘンだ。
 銀行でまとまった硬貨をもらうと50枚単位で筒状にセロハンで堅く包んだものを渡される。「棒」って呼んでたな。正しくは「棒金」らしい。硬貨が全てバラバラだとレジにも入らないし面倒なんで、すぐに遣わないのはそのまま手提げ金庫に入れたりする。レジの皿の硬貨が不足してくると1本取りだして、ゆで玉子みたいに机の角で叩いて折って、指で押し出して入れるのだ。思えば今のスマホかざしてピッ!とは隔世の感がある。

 そんな風に急速に淘汰されつつある硬貨へのノスタルジーに加えて、とにかく時流には逆らってみる持ち前の狷介固陋な反抗心も、おれの密かな硬貨蒐集にはあったと思う。

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 ・・・・・・でも、交換してもらうだけで目減りするのには、どうにもやはり我慢ならない。絶対に許せん。

 意を決して極めてベタな結論ではあるが、おらぁ全て口座に入金することにした。調べると、郵便局は1つの局で1日1回50枚までなら手数料が無料だったりする。だから同一口座でもあちっこちの局から入金すれば理屈としてはナンボでも入金可能なのである。幸か不幸か、引っ越したこの地はどんな理由があるのか人口からするとやたらと郵便局の数が多い。これまで暮らしてたトコとは比べ物にならない密度で点在してる。やはり田舎なだけに郵便局への住民の依存度が違ってたからだろうか。加えておれは現在、限りなくヒマで時間だけは自由に使える・・・・・・やるなら今しかないやんけ!

 1円玉はさすがに手間を取らせるのも可哀想だし、いささか恥ずかしくもあるんで、これは賽銭の原資にすることにしたものの、他の5円玉・10円玉・500円玉については、ネチネチ数えて50枚づつ小袋に入れては、散歩のついでに郵便局に立ち寄ってる。窓口は16時で閉まっちゃうから、歩く時間帯もズラさなくちゃなんない。午前中は色んな家での作業があるんで、出掛けるのはどうしてもその後になってしまう。午後の炎天下、照り返しの強い道を歩くのはかなりな難行苦行だ。「何やってんだよ!?おれ」と独り言の愚痴が出ることもある。そうそう、これまで生活の中で関わることが無かった田舎には数多く残る簡易郵便局ってのが駄菓子屋に毛の生えたような存在だってコトも改めて知った。
 10円玉は数千枚と異常に多く、ヨメの助けも借りて2馬力だ。そうして多い日は5ヶ所回ったりしてるうちに案外早く終わりが見えて来た。おかきの缶や茶筒はスッカリ軽くなってしまった。総額はまぁせいぜい数十万ってトコだろう。
 当然ながら郵便局の局員からは奇異の目で見られつつも、案外多い通帳残高はしっかりチェックされてるようで、あれこれ勧められたりもしてる。ノルマでもあるのか「正月のおせちだったら何枚でも小銭でのお支払い引き受けますよ」なんて不思議な勧誘もされた。まぁ、会社も辞めて積立みたいなんが一切なくなったんで、この歳にしてNISAを少しだけ始めてみることにした。何だよ、結局右から左やんけ。

 かくしてどこか儀式めいたようなルーチンを何日か続けてるうちに思った。図らずもこれは消え行く硬貨の野辺送り・・・・・・葬送みたいなモンなんだ、と。 


これが「棒金」、逆だと鬼が持ってるヤツになる。こっちは今でもたまに見掛けるかな?

https://aucfree.com/より
2023.09.17

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