「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
エッセンシャルワーカーと玉子・モヤシ




どっちも無くなったらムチャクチャ困ると思うで。

https://www.kurashiru.com/、https://tamagosizaikan.jp/より

 長く続いたコロナ禍の中で定着した言葉の一つに、「エッセンシャルワーカー」ってのがあると思う。

 分かってるようでよく分かんないんで改めて調べてみたら、カオナビなんちゃら、ってページに「生活の根幹を支える医療や福祉、保育や第一次産業、行政や物流、小売業やライフラインなどで働く人々のこと」と出てた。へぇ〜!
 看護師や介護士、清掃業に従事する人ばっかしメディアに取り上げられてたもんで、ちょっと自分の理解が偏ってたことに気付かされたのだったが、同時にこの定義のドメインが広過ぎるようにも思えた。生活の根幹を支える・・・・・・そんなん言い出したら、殆どの労働者はエッセンシャルワーカーだろう。何かはぐらかされてる気がする。ホンマに世の中に居っても居らんでもどぉでも良いのなんて、コンサルタントくらいやで。早くChatGPTみたいなんで世の中から駆逐されたら良いのに。

 何でこんなボヤ〜ンとした説明か?・・・・・・答えはカンタンだ。本当の事を言いにくいからである。

 正しくは、「生活の根幹を支える必要不可欠な業務内容であるにもかかわらず、不当なまでに応分の待遇でない仕事に従事するビンボーな人」なんだろうな。もっとシンプルに言うと「社会全体の下働き」だ。ミもフタもないけど、それが偽らざる定義だろう。

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 おれは新型コロナやロシアによるウクライナ侵攻をキッカケとする物価高について、そらまぁナンボ外的要因に引きずられたモンだったとは申せ、結果的にはかなり評価してる。一言でゆうと、これでようやく社会でちったぁ真っ当に金が回るようになるだろう。これはアベノミクスをおれが全く評価しないコトの裏返しでもある。何がトリクルダウンや!?って思ってた。理由はむちゃくちゃカンタンだ。金持ちはナゼ金持ちかっちゅうたら、無駄なお金を一切遣わないからだ。金持って浮かれて無駄遣いするんはせいぜい中途半端な富裕層までだ。だから貧乏人にまでお金がしたたり落ちて来ることはゼロではないにせよ、バラ撒いたり優遇したりする原資からするとひじょうに少ない。現にそうしてアベノミクスは見事に景気浮揚に失敗してるではないか。苦労知らずのおめでたいボンボンにはその辺がさっぱりイメージできてなかったんだろう。

 食い物の値段が上がった上がったっちゅうて大騒ぎしてるアホが多いが、ホンマに心底アホな連中なんだろう・・・・・・金があろうがなかろうが貧しいモン食ってる連中に限って、こぉゆうたわけたことヌかすのは一種の奇観でさえある。この国は食い物の値段がそもそも異常なまでに安すぎるっちゅうのがちっとも分ってない。
 それはさておき、こうして物価が上がるのがこの国の経済復活と歪みの補正には一番の近道なのだ。今年の春闘とやらを見れば一目で分かるやん。どこの会社もバンバン給与上げてるでしょ?ここで上げられないトコなんて、景気の良し悪しに関わらず淘汰されるべき存在なんだと思うで。

 そうしてよぉやっと可哀想なモヤシや玉子の価格も少しは上がって来た。玉子については上述の理由以外に鳥インフルエンザの大流行っちゅう問題も影響してんだけど、まぁとにかくエエ勢いで上がってる。大変喜ばしいことだ。
 モヤシが1袋9円とか、玉子が10個で100円とか、どぉ考えたってそっちの方が異常な状態だったのだ。今はどうだろ?モヤシが40円前後、玉子が270〜80円前後ってトコかな?それでもまだ全然不十分、安すぎると思う。他のモノとの相対的・感覚的な比較で行くなら、今の2.5〜3倍くらいにまで値上がりしたって構わないんぢゃなかろうか?そしてそのままになれば良い。

 何も昔が良かった、って言いたいワケではない。そこまでおれも懐古主義者ではない。しかし、今から半世紀前はモヤシはそれなりにチャンとした値段のチャンとした食材だった。「モヤシッ子」なんて言葉もこの優れた食材のイメージを低下させるのに一役も二役も買ったんぢゃないかとは思うが、それはともかく色んな料理に使えて美味しくて、栄養的にも高バランスな優れた食材で、その生産には巨大な機械類やハイテク機器並みのクリーンルームといった設備投資だって必要なのに、ゲス極まりない流通の手玉に取られた挙句の果てが一袋9円。そらやっとれませんわな。
 玉子だってそうだ。高タンパク低カロリー、オマケに消化も良いってコトで、かつてはおが屑に詰めた籠盛りが病気見舞いの手土産に選ばれるくらいのモノだったのだ。それがアータ、10個100円である。値段が上がらないどころか、むしろ下がってるっちゅうねん。ガチャガチャでも100円ぢゃマトモなのがない時代に、広大な養鶏施設、様々な給餌・採卵・洗浄・選別・ケーシングの装置といった工場設備を備えて10個100円。悪い冗談のようだ。無論、こっちも流通の毒牙のせいである。スーパーなんて一度全部ツブれてしまえば良い。

 似たような立ち位置のんには納豆や豆腐・揚げといった日配品の多くが挙げられるな。米とかパン、麺類なんかもワリと近い。明らかにそれらを生産するための設備投資や人件費コストと売価が釣り合ってない。カップ麺なんかもやはり、おれがガキの頃と現在の実勢価格に殆ど差がない。ズーッと一貫して100ナンボである。一方に大量生産によるコストダウンのメカニズムが働いてることもそりゃ間違いないとは申せ、どこもみんな「替わりは他にいくらでもあるんだからねぇ〜」の殺し文句で、流通の正に「食い物」にされた結果である・・・・・・ってまぁ、今回は流通業を叩くのが趣旨ではないからこれくらいにしといたろ。前も似たようなこと書いたし。

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 問題はそうしたエッセンシャルな仕事やモノって、どうしていつも安く買い叩かれるのか?あるいは買い叩かれ「なくてはならない」のか?ってコトだ。これがどうしても分からない。

 エッセンシャルワーカーの仕事の一つである看護師にしたって、そら婦長さんとかにまで昇り詰めりゃぁものすごい収入で、大病院なら副院長あたりと同水準とさえ言われる。ついでに言うと人事権を始めとした権力も絶大なモノがあるが、まぁココはひとまず割愛して良かろう。
 問題は、大半のあたふたとコマネズミのように院内を駆け回って実務に忙殺されまくってる人らの処遇は、その労働密度からするとひじょうに安いってコトだ。それでも正看護師ならまだマシどころか最近はかなり賃金自体は上がってるみたいだが、准看護師なんて平たくゆうて「非正規」みたいな存在で、経済的にも地位的にもとても不安定な立場に置かれてたりする。エッセンシャルワーカーっちゅうたかて・・・・・・いや、だからこそか、そこに厳然と階級はあり、かなり露骨な差別や蔑視が溢れる世界なのだ。

 それはともかく、この春ちょっとばかし給料が上がるっちゅうたかて、それでもやはり世の中の高給取りと言われる専ら頭脳労働な職業の連中と較べれば絶対的に低い。そしてその懸隔は余程世の中の価値観やら何やらが引っくり返ることでもない限り、これからも決して埋まることはない。

 反復作業だからか?・・・・・・でも、ひたすらは辛いで。でけへんで。
 アタマ使わなくても済むからか?・・・・・・いや、どんな作業にも創意工夫はあるで。
 誰でもその気になりゃやれるからか?・・・・・・一旦ラクを覚えた連中や、賢いだけでひ弱なインテリにやれるんかい?
 我慢してりゃその内良いコトあるからか?・・・・・・ないやんか。
 子供の頃に勉強せんかったツケか?・・・・・・利息がデカ過ぎません?

 ・・・・・・頭脳労働は必要だろうが、肉体労働に対して圧倒的優位であって良い根拠なんて何もない・・・・・・にもかかわらず世の中がテクノクラート/ビューロクラート指向に傾斜しすぎてんだろう。おれが時折、歴史上最悪の政治家の1人だったと言えるポル・ポトを評価するような言い方をするのはこの点によるし、デービッド・グレーバーが指摘した「ブルシット・ジョブ」にビビッと来たのも、それがそうした現在の中途半端なビューロクラートが溢れ返る現代の閉塞状況への鋭い考察だったからだ。でもだからベーシックインカムだって主張には賛同できないが。

 ・・・・・・と、そこくらいまでは分かるんだが、やはりその先が分からない。だからどやねん?どぉなんねん!?ってね。

 こっから先は、自分の中でもイマイチ整合性もとりとめもない断片的な仮説の羅列になることをお許しいただきたい。

 まずは常識的なトコから述べてみよう。食品なんかだと必要なモンなんだから国民に対してそこに高い経済的負担を強いちゃいけない、って基本原則がある。時代劇に出てくるような悪どい米問屋みたいなんを生んではアカン、っちゅうこっちゃね。そらまぁ分からんでもない。だから穀物なんて未だに価格統制が敷かれてたりするんだろうが、だからって不当に安くある必要はないし、ましてやそのことと従事する人の処遇までもがリンクする必要は当然ながら全く、ない。それにエッセンシャルワーカーだって玉子やモヤシの生産者だって社会の一部、国民だろう。

 次は暗い考え方だ。エッセンシャルワーカーが低所得なのは社会全体の供儀なんぢゃないか?と。そうしたヨゴレ仕事を知らぬままノー天気に暮らす大多数がノホホンと居続けるための自然発生的メカニズムの一環として屠られる生贄ではないか?と・・・・・・人柱だな。玉子とモヤシがお供え物になるかどうかは知らんが。
 昔、いじめっ子/いじめられっ子について書いた時はそんな風にオチを付けたんだけど、同様の図式が高度に分業化の進んだ、換言するならば「職業」って名前で一人一人のロールが固定化した社会にもあるのではないか?っちゅうコトだ。社会は根本的なところで暴力装置なんだしね。

 次はいわば中庸論だろう。実はガチ左翼の旧友・Mの主張は案外これに近い。世の中、働いた以上に儲かるヤツとそうでないヤツの二種類しかない。それは仕方ないが、でも極端はいけない・・・・・・ってなコトを若い頃に何度か聞かされた。
 だとしたら、現在の資本主義社会はどえらいコトになってるのは間違いない。国際NGO「オックスファム」の発表によれば、世界で最も裕福な26人が、世界人口の約半分の低所得層38億人分の総資産と同額を保有してるっちゅうニュース、読まれた方も多いだろう。富の寡占っちゅうたかてもぉスケール大き過ぎてイメージできんけど。
 それはナンボ何でもやり過ぎでしょ、って、この異常な格差を打破とまでは言わんけど是正せんとあきまへんで・・・・・・と。これはファナティックな革命論より良識的ではあろう。

 なるようにしかならん、って主張もあるよね。巨大な神の手に抗ってもしゃぁない。その内どぉにかなりまっせ。エッセンシャルワーカーがほんなにイヤなら別の仕事に就け、玉子とモヤシが食って行けんくらい安過ぎるんなら別のモン作れ・・・・・・みたいな。
 あるいは、人の欲とないまぜの向上心ってヤツが富める者にも貧しき者にも備わっている以上、考えること自体が無意味、っちゅう考え方だってあるだろう・・・・・・。

 ・・・・・・あれこれ想いは巡るものの、やはりどれもも一つ決め手に欠けてて確信が持てない。尻切れトンボになってしまうのはたいへん心苦しいが、玉子とモヤシ炒めを作って、それをアテに酒でも呷るしかないな・・・・・・って、カァ〜ッ!!オチまでキレが悪いや。じぇんじぇんあきまへんわ。

2022.04.10

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