「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
個性を尊重する教育(笑)


随分大きくならはりました。

https://yoyoka.jp/より

 「世界のトップドラマー500人」の1人に最年少で選出された天才少女、北海道在住の「よよか」が、まだ12歳で徒手空拳、多くのアーティストからの推挙を受けてビザを取得し、渡米するって記事が出てた。理由はミュージシャンとしてワールドワイドに活躍するため・・・・・・だけではないらしい。

 ------学校は答えを最初から決めている

 それが彼女の日本を出て行くもう一つの理由だとのことだ。

 要はこんなトコにこれ以上おったって自分の将来には何のプラスにもならん、っちゅうこっちゃろうね。ただアメリカも法治国家であるからして、まだ年端も行かない子供が単身渡米してミュージシャンでバリバリ稼ぐ、とはスンナリ行かないらしい。それに日本の場合、クラシックならともかく権威主義からは遠く離れたポピュラーミュージックの世界では国費留学生だとか奨学金だとかもない。仕方なく家族で行って、しばらくはこれまでの貯えで食い繋ぐんだそうな・・・・・・うわ〜、物価高いでぇ〜。

 ・・・・・・ハナシが逸れた。彼女が学校教育に絶望した体験がいくつか挙げられてる。例えば合奏会でドラムやったら他の子の出番が無くなるからって止められたとか、正確な再現ばかり求められる楽器の演奏とか、道徳では話し合いと称して結局は予定調和で予め用意された「正解」に誘導されるとか、何だかんだで所与の枠の中にハマらないと許されない学校って場に窒息しそうになってたっちゅうワケやね。
 ただ、だからって登校拒否になってたとかそんなんではないらしい。実態は真逆で、演奏活動がない時はキッチリ学校に通い、勉強もやって、図書室の本も濫読してたっちゅうんだから、よほど平均的なそこらのガキよりはチャンとやってたみたいだし、人の金で全国漫遊してる九九も出来ない自我だけ肥大させた生意気なガキなんかよりは画然と違う。何となくそもそもの地アタマがシッカリしてる印象がある。単なるタイコが死ぬほど巧いオネーチャンってだけではなく、所謂「ギフテッド」なのかも知れない。

 しかし僅か1歳半で色んな楽器が置いてある中(・・・・・・彼女の自宅にはなんとスタジオがあるとのコトだ。実に羨ましい)、タイコを選んで夢中になってたって、おらぁ「犬神家の一族」の「よき(斧)」「こと(琴)」「きく(菊)」のエピソードをちょと想い出した・・・・・・あ、ちゃうちゃう!子供が1歳になった時に玩具を選ばせる「選び取り」だった。えろうスンマヘン(笑)。

 それはともかくマコトにその通り、御説御尤もだと思う。しかしおそらく彼女が本当に絶望したのは、建前では個性を尊重するなんて綺麗ゴト並べてるくせに、結局は平均的なところにシンネリと懐柔して持ってこうとする・・・・・・平たく言うなら二重に個性を潰そうとする学校教育システムのイヤらしい欺瞞に心底ウンザリしたからではないか?って気がしてる・・・・・・あくまでおれの推測だけど、

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 いつからだろう?義務教育の世界では個性を尊重する、な〜んててコトが標榜され出した。そして結論から言っちゃうとそれで却っておかしくなった。

 気楽に個性を尊重する、っちゅうけどアータ、そもそも「個性」はまだ分かるとして、一体全体「尊重」って何なんだ?尊び重んじる、って?「許容」したり「受任」したりするんとどうちゃうねん?「ウンウン君の言うコトも分かるよ!」って適当な相槌を打ってあしらうことか?
 実はその辺の議論も理解もロクにないまま戦後民主主義の流れの中で、何となく個性だよね〜、って空念仏が独り歩きした結果、学校はひじょうにウソ臭くてキモチ悪い場になってるのだ。
 「〇肉〇食」の答えは何だかんだで「焼肉定食」ではなく「弱肉強食」としないと×なワケだ。おらぁ小学校の国語の時間、「『たれ』にはどんなのがありますか?」って先生の問いに、みんなが「まだれ」「がんだれ」「やまいだれ」ってマジメに答えてるのが面白くなくて、茶々入れてやろうと「餃子のタレ」っちゅうてブン殴られた記憶があるんだが・・・・・・まぁこれは確信犯だったおれがやっぱ悪いんだけどさ(笑)。

 開き直ってハッキリ言っちゃえば良いのである。義務教育って、要は型にハメてハメてハメまくって平均的な学力と平均的な価値観を植え付け、埋没することに抵抗も不満も感じなくさせるコトなんです。そんなごく一部の抽んでた能力の人のことなんてこれっぽっちも考えてない仕組みなんです。否、むしろそぉゆうのは面倒だしジャマなんっすよねぇ〜。そぉゆうのはヨソ行ってやって欲しいんっすけど、まぁ義務だしぃ〜、しばらく我慢してくださいよぉ。ともあれ黙って唯々諾々、与えられた課題や作業に正確に勤しんでくれる子になってくれたらそれでOKだし、それ以上のことができるワケないぢゃありませんか・・・・・・って。

 だってどう考えたって、それ以上のことが出来ないようなシステム、カリキュラムなんだもん。その事実を糊塗するかのように修正主義にもなってないただの、それも下手なレトリックで「個性の尊重」ったって仕方なかろう。二重に個性を潰そうとしてる、ってそぉゆうコトだ。

 さて、「コンピテンシー」ってのが一時期流行ったことがある。「行動特性」って意味で人事評価制度なんかに盛んに使われたりしたが、今はいささか廃れた感もある。
 どんなものか?っちゅうと、要するに仕事がデキる人の行動パターンをベースに、社員全員が能力をもっと発揮できるようにその行動特性を評価しましょう、って寒イボが出そうな美辞麗句が並んでて良く分からないんで、ミもフタもないほど分かりやすく言うと(笑)、ダメなヤツもデキる人の行動パターンを真似すりゃぁ、ちったぁ今よりはマトモに成果が出せるでしょ!?ってな考え方だ。

 実のところ義務教育って、このコンピテンシーにひじょうに近いとおれは思ってる。既知の満遍なく何でもできる人をロールモデルの100点として全ての評価がその到達具合によって行われる、っちゅう点で。だから100点を超えた人のことは、埒外で評価されないし、やりようがない。当然、能力の偏頗も好ましくないから、何かが突き抜けてて何かが皆無ってのも困る。あくまでどれもこれもそこそこ・・・・・・場末の安い旅館の夕食に出て来る、貧弱かつ凡庸で面白くも何ともない懐石料理のコースみたいだな(笑)。

 このコンピテンシー、今はいささか廃れたって書いたが、その理由が義務教育の問題を衝いてる。一つにはまぁ、あまりに維持・運用がめんどくさい、ってのがあった。だって評価項目が何百もあって、それを適時アップデートせにゃならんのだ。これはどう考えてもメンテナンス性に劣る。
 もう一つの理由、ここがポイントだ。ホンマに評価すべき人材が案外評価されなかったり、逆に優秀な人材の流出が起こったり、と企業側にとってはいささか不都合な事態が起こり始めたのだ。めんどくさいわトンチンカンだわぢゃハナシになんない。

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 ・・・・・・と、ここまで読まれた方は、おれが義務教育反対派だと思われたことだろうが、それはじぇんじぇん違う。

 おらぁただもう、個性の尊重なんてコトを安易に口走るな、って言いたいだけだ。それも個性の「こ」の字もないような毒され切った教育関係者とかゆう連中が、だ。どだい乳母日傘で尊重されなきゃ発揮されない個性になんて、一銭五厘の価値もない。
 今の義務教育システムの中での個性の尊重なんて、バカな親とバカなガキに言い訳や自我の肥大の機会を与えてるだけだろう。このところメンヘラちゃんが増えてるっちゅうのも、全部が全部ではないにせよこの個性の尊重とやらがかなり影響してるんぢゃないかとさえおらぁ思ってる。

 世の中のガキの大半、恐らく9割以上は、タイ焼きの型か金太郎飴かは知らんけど、ムリヤリでも何でも枠にハメられて、没個性に埋没するコトを叩き込まれた方が本人に好都合だろうと思ってる。少なくとも一生食うには困らない。まぁ小・中併せて9年は長いけどね。せいぜい6年で良い。高校全入なんてアホの所業だ。
 それにガマン出来なくて自らハミ出す勇気や情熱、そして楯突くのに見合うだけの溢れる才能を持ってるヤツだけが個性なんてコトバを口走れる資格があるのだ。

 おれはだからよよかの挑戦は支持したい・・・・・・先立つモノがもちょっとあればクラファンに一口乗っても良いくらいだ。だって、その実力に世界のトップミュージシャンが舌巻いた、っちゅう揺るがぬ事実があるんだもん。結果出してんだもん。実際ようつべ見ても、まだ子供、ってイロモノの部分を差し引かなくてもムチャクチャ上手いんだもん。若い分、まだまだ伸び代あるんだもん。

2022.09.11

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