「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
FAREWELL TO TOKYO


散歩で出掛けた三軒茶屋・キャロットタワーからの眺め。7-14mm/F2.8はスゴいわ。

 宮仕えの定めっちゅうヤツで、いきなりの社命によって問答無用でこっちに転勤して来て気付けば早や四半世紀余り、随分と長く過ごしたモンだ。

 途中しばらく単身赴任で中抜けしてた期間があるものの、何だかんだでこれまでの人生でいっちゃん永く過ごしたことになる。それまでの最長は富田林の金剛駅前の団地での12年間だったから、倍以上だ。我ながら少々驚いてしまう。
 その間、色んなことが身の回りに起きた。おらぁちょと入院したりなんかもした。子供たちはいつしかスッカリ大人になって独立して出てったし、一人は最近結婚したりもした。その気なかったのに仕事も社内双六に乗せられてたみたいで、役職とか責任とかが乗っかって来るようにもなった。ヨメの方は幸いどちらも健在だけど、おれの両親はいささかフツーでない状況で亡くなった。マンションを買い、実家を売り、また別に買い、今また売ろうとしてる。未曽有の東日本大震災を経験したりもした。魔のようにコロナ禍も通り過ぎてった。そしておれもヨメもまぁそれなりの歳になった。「馬齢を重ねた」っちゅうやっちゃね。

 今は次の暮らしに向けての引っ越し準備で大わらわだったりする。そんなんだからこれ書いてる周囲は段ボールの山になってて何とも落ち着かない環境だ。実は机の上もこれまでパワードモニターやらミキサー、シンセ、シーケンサーに埋め尽くされてたのが綺麗に片されて、残ってるのはPC本体とルーターだけだ。殺風景ではあるもののむしろスッキリして快適やんけ!場所取って仕方なかった外付けHDDも思い切って全部SSDに移植した・・・・・・もっと早よからやっとけ!ってね。

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 殊更シニカル・ニヒルに東京暮らしを振り返ろうとは思ってない。どこに住んだかてそらもぉ良いコト悪いコト、どっちもあるに決まってんだから。

 こちらを起点にクルマであちこち出掛けられたっちゅうのは、まずイの一番に(←昭和な言い回しやねぇ〜!)挙げたいコトだったりする。大阪起点だと陸路で東はせいぜい群馬。山梨くらいが限界で、そっから先はちょっと出掛ける気になれないモンな。
 時間と金の都合もあってそこまで頻繁に出向けたワケではなかったが、北関東なら日帰り圏内、信州や南東北〜中越なら一泊二日でそこそこ中身の濃い旅程を纏めることが出来たのはホントに良かった。これで随分と、昔から行きたかった温泉等に行けた。
 ただ、流石に青森、秋田といった北東北は遠かった。その辺を緻密に回れるようにするには住まいを仙台・新潟辺りにせんとムリなんで、そこはいささか心残りだったりする。

 ところが、しばらく前に書いた繰り返しになるが、そうしてあちこち回ってるうちに段々行きたいトコが無くなって来たのも事実だった。やはりどこかにお出掛けする時、スポットの優先順位って考えますやん。組んだコースに行きたいトコをプロットしといて可能な限りしらみつぶしで訪ねてく、っちゅうんがおれの旅の基本スタイルなんだけど、どうしても時間が押したりしてトバさざるを得ないトコはいくつも生じてしまう。やはりそうしてオミットされるのは候補としては二番手・三番手だから、後日またそっちに出掛けたとしてもそんな二番手・三番手だけ集めてコース組み立てるとどうにもパッとしないし、ヘンに移動距離が長くなりすぎたり、コースが取りにくくなったりもする。
 かくして東京を中心として近年、行きたいスポットのドーナツ化現象っちゅうか、喩えは悪いがおれのGoogleMyMap上にいわば「絞りカス」のようなポイントが増えてってたのはどうにも否定しようがない・・・・・・粕汁とか卯の花に仕立てて一品にしろって!?いや、これでもケッコー頑張りましたよ。見る人が見ればわかるハズだ。

 「そんなことを人生設計の重要事項にしとるんか!?人生ナメとんのかワレ!?」と問われれば、「決してナメちゃぁおらんけど、自分にとってはすんげぇ重要事項です」って答えるしかない。ぶっちゃけそろそろ生活の拠点を変えて好い時期が到来しつつあったのだ。

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 東京が日本の流行や文化、物流、メディア等々、あらゆる利便性の中心であったことは、少なくともおれが引っ越して来た当時は厳然たる事実だったと思うし、そのメリットはおれみたいな流行に疎いおっさんでも随分と享受させていただいた。平たく言うと何でもある。ありまっせ〜。

 しかし、今はどうなんだろう?

 人口だって増えた。90年代終わり、おれが暮らし始めた頃の首都圏人口は3,300万人くらいだったのが今は4,400万人くらいにまで増加してるらしい。いやまぁ3,300万人でも多過ぎた。戦後が一段落した1950年で1,300万人、日本の人口構成比では15%だったのが26%にまで偏ってたんだから、その当時でもジューブン人だらけではあった。それが今はさらに人口集中が進んでしまってる。おれは東日本大震災の起きた夜、オフィスから見た想像を絶する人の群れを忘れることはないだろう。震源から遠く離れててアレだ。これが噂される首都直下型とかやったらどんなけエラいコトになるか。
 コロナでの一段落があったとは申せ、結局元の黙阿弥な朝夕の電車のラッシュ、クルマの渋滞、休日のあらゆる場所での大行列、オマケにこれに加えてインバウンドとやらでワラワラと押し寄せる外国人観光客。

 家の周囲にしたって随分サマ変わりした。まぁおれもそんな風にして出来たマンション買って住んでたんだから同じ穴の狢で、そんなエラそうには言えんが、越してきたころはそれほどなかったマンションがニョキニョキと増えたし、まだまだ今後も増えるみたいだ。別に低層階に暮らしてるワケではないにもかかわらず、気付けば窓からの風景は着実に少しづつ狭くなってってる。

 一方、この数十年での世の中の最も大きな変化であるインターネットの発展は、有形・無形あらゆるモノから「都会でなくちゃ迅速に得られない」っちゅう付加価値を駆逐したんぢゃないかと思う・・・・・・とまで言うと大袈裟だろうか?
 思えば80年代くらいから既にファッションなんかでは流通の発達によって東京と五大都市くらいだと格差はドンドン埋まる傾向にあったのが、情報を発信するにも受け取るにもどこに居たって同じになった。いや、モノにしたって同じだ。ECの急速な普及もちょっと前にやり玉に挙げてはみたものの、都会と地方の懸隔を埋めるのに大いに役立ってるのは疑うべくもないだろう。

 都会人vs田舎者っちゅう二元論は既に、居住地ではなく本人の資質による所が極めて大きくなっている。たとえ港区に住んでてもダサい田舎者であれるし、草深い片田舎に暮らして逆もある、っちゅうこっちゃね。

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 何を言いたいかっちゅうと、要はそこまでして首都圏に住まないといけない事情って最早、皆無とまでは行かないにせよ随分少なくなってんちゃうんか?ってコトだ。そらおっかなびっくりのトコが大半でツッコミ処は未だに多いとは申せ、リモートとかテレワークだってまずまず普及したやんか。極端な離島とかムチャクチャな山奥とかでなければ高速・大容量な回線だってほぼ全国に整備されてんだし。それにナンボ都市部で光だ!10Gbpsだ!っちゅうたかてあんなモン、所詮は理論値で、ベストなんちゃらで各戸に分配されまくった挙句、一部のアホにゲームやストリーミング視聴で占有されまくってサッパリ速度出ぇへんわ、ってなケースも多いやん。どこ行ったってロードサイドは似たような全国チェーンの店ばっかしやん。
 各地方の個性が喪われて風景が平板になったことを嘆くのも良いが、むしろどこ行ってもほぼ首都圏とニアリーイコールな環境が少し行くだけで得られるのだ。
 そうしてパソナは淡路島に移転したやんか。京都に文化庁が移るのを皮切りに、どこまで本気でやるかは知らんし、職員のネグレクトもあるだろうけど、他もあちこちに分散させるみたいやんか。

 いやいや、もぉホンマ充分っす!東京。おおきにやったね!ほな!


満開の桜の不忍池。
始めて来た頃、スワンボートに乗ったら風に流されてエラい目に遭った。


2023.06.12

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